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「おい、莉奈? そこにいるのか?」
やけに安心感のある声に聞こえた。
私は汚い4.5畳の小さいアパートの部屋の角の隅っこで、膝を抱えて大粒の涙を流しながら、震えて小さくなっていた。
「おまえ、どこ行ってたんだよ。大丈夫か?」
その安心感のある声が、私の肩をしっかりつかんで揺さぶった。
「どうしたんだよ。おまえ、前より姿薄くなってる」
私はやっと、それが誰の声なのか理解できた。
「……悠真」
「私、ぜんぜんみんなに好かれてなかった。嫌われてたの。みんな酷いことばっかり陰で私のこと言ってた。私なんかいない方がよかったんだ」
「涼も、美樹も、小麦も。全然親友なんかじゃなかった」
私は溢れ出す言葉が止められなかった。
「私、心のどこかで本当は気づいていたのかな? だから、もう気づかないふりして笑顔でいい子にしてるのが辛くて……。 だから、あのビルの屋上から飛び降りたのかな」
「私、すごくがんばって頑張ってきた。みんなに居心地がいいクラスだって思ってもらいたくて。生徒会だって部活動だって、みんなにとって一番いい状態にどうしたらなるかなって、いつも考えてた。でも自分が目立ち過ぎてもダメだからわざとテストの点数落としたりもしてバランスとってたの。いつも、みんなのこと考えて。なのに……。 みんな、ひどい」
「私なんて、消えた方がいいんだ」
肩の上にあった悠真の手が、ゆっくり私の背中へと移っていた。そのまま彼の胸の方へと引き寄せられる。なんだか暖かい。こんな暖かさ、ずうっと昔に感じたものみたいだ。まだ歩けないくらい小さい頃の。
「ダメだ。消えた方がいいなんて言ったら。まだおまえはちゃんと存在してるんだから」
「存在してる? こんな状態でも?」
「ああ。大丈夫。俺には分かるんだから」
ああ、そうか、“肉体の感触”って言うとちょっと……だけど、体温って安心するものだったんだって初めて思った。
体温を感じているうちに、彼の心の温かさも確認できる気がした。
どうして? 悠真は普段の私を知らないから?
普段から一緒にいたら、やっぱりみんなと同じように酷いことたくさん言うの?
この暖かさも感じなくなるの?
「俺が言うのもなんだけど、おまえの母さんだって待ってるだろ」
お母さん? 私のお母さんってどういう人だった? ガーデニングと刺繍が趣味で、学校から帰るといつも静かに振り向いてお帰りって言ってくれる。専業主婦で、いつも家の中も綺麗にしてて、料理もおいしくて。でも、いつもどんな話してたかな。どんな表情してた?
私って、学校のみんなのことも、自分のお母さんのことも、まったく何も分かってなかった。今まで一体何を見て生きてきたんだろう。
私自身は? 自分で気づかなかっただけで、本当にみんなが言っていたような人間だったの? 今の私はどう思った? この世界のわたしの本体を見て。
気が付くと涙は止まっていた。頭の中の混乱した思考の波が、悠真の腕の中で、静かに引いていくのを感じていた。
「ああ、よかった。少し姿が戻ってきたな」
私はとっても疲れていた。
でも、屋上から飛び降りた時に感じていた疲れとは、すごく違うものみたい。
体中の緊張が和らいで、暖かい眠りの中に落ちていった。眠りというものがこんなに心が安らぐものだったこと、ずいぶん長い間忘れていた気がする。
遠くなる意識の中で、悠真の鼓動の音だけが、静かに私の心の中で響いていた。
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