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「えっ? もうバイト行くの?」
学校でのケンカの件から2日後のことだった。
「そっ、苦学生は大変なのよ」
「でも、それじゃあ学校の方は?」
「せっかく、しばらく休んでも単位心配しなくていいっていっていただいたので~」
って、結局のところ、こいつは学校も勉強もあんまり好きじゃないだけなのかも。
そんな状態で行った今日のバイト先は運送業で、悠真のあざだらけの顔を見ると、客先には出せないからと、しばらくの間は倉庫内の仕事を言いつけられた。
「よぉ、沢野~、また派手にやられたなぁ」
そう言って後ろから肩を叩いてきたのは、配送の際よくペアになる、相馬さんという若手の社員さんだった。
男性のわりに高い声で、早口でガサツな彼を、私は少し苦手意識をもって見ていた。
「それさぁ、本当に街で絡まれたのぉ?」
うわぁ、なんだかすごく嫌味な感じ。相馬さんの声が一層高く響いた。
「はい。ちょっとぶつかっただけなんですけどね……」
「ふーん」
軽く苦笑いして答える悠真に、相馬さんは何か言いたげだ。
「本当、おまえさぁ」
「……」
「ま、いいや。じゃっ、今日俺、恭介くんと出だから」
ちょっと、この怪我見て、お大事にのひと言とかないわけ? 私はますますこの相馬さんという人に敵意を抱いた。
こんな対応をされた当の本人はと言えば、やっぱり何事もなかったような様子で、指定された倉庫へと向かうだけだった。怒りを抑えてるようにも見えない。
と、あれ?
悠真はどんどん仕事場である倉庫へと向かっていくのに、彼の5m先から離れられないはずの私は、その場に残されたままだった。
えっとぉ。自由に動けるみたいなんだけど、どうしよう。
何も反応のない悠真に変わって、さっきの相馬さんの態度に怒りを覚えた私は、相馬さんの運転する荷台へと潜り込むことにした。代わりにちょっとでも彼のことを困らせてやることはないかと考えて。
いつもは悠真がいる相馬さんの運転席の隣には、さっき恭介君と呼ばれていた子と思われる男子が座っていた。
年齢は私たちと同じくらい? 悠真と比べると体つきは華奢で、顔だちも柔らかいイメージの彼は、一見すると女の子にも見えそうだった。
「沢野君、大丈夫そうでした?」
「あぁ、怪我自体はな」
「他に何かあったんですか?」
「あぁ、あいつ、可愛げないんだよなぁ」
「はい?」
「ただ街で絡まれただけじゃねぇよ、あれ」
「学校でうまくいってないんでしょうか?」
「ひとりで抱え込んでないで、誰でもいいから何でも言っちまえばいいのに」
「彼、ぜんぜん目を見て話してくれませんもんね」
あぁ。相馬修司。あれで悠真のこと心配してくれていたんだ。案外いい人じゃない。
「ああ、楠さんも心配してるよ。実家だってすぐ近くなのに、ひとり暮らしする理由は何なんだって」
そう、そうだよね。ちゃんとみんな心配して見てくれてる。
なのに……。
バイト先の悠真。学校での悠真。私や霊体の皆さんとの間での悠真。弟さんの前での悠真。どれが本当の悠真なの? 両親との間ではどんな悠真なの? 両親との間に何があるの?
**************
快気祝いだそうだ。何かと言っては飲み会の口実を探している彼らなので、光景としては対して変わりはないのだけれど、いつもの4.5畳の一室では、霊のみなさんたちによって、いつも以上に盛大な宴会が繰り広げられていた。
常々気になっていたのだけれど、この人たちが持ち込んでくるお酒やおつまみはどこから仕入れてくるのだろう。彼らと同じように透けた状態であるのを見ると、現実世界から持ちこんだものではないのだろう。でも、成仏できずに彷徨っている彼らのためのマーケット市場が存在するとは想像しにくい。気になるものの、本当のことを知ってはいけないような気がして、あえて誰にも聞かずにやり過ごしている私だった。
会の主役である悠真は、霊のみなさんの楽し気な様子を、肩ひじをつきながら横たわって静かに見守っている。
私は相馬さんの言葉を聞いて感じた違和感について、再び思考を巡らせていた。
『どれが本当の悠真なの?』
今、霊のみなさんと和んでいる悠真は、学校やバイト先などとはぜんぜん違うように見える。私にとって一番自然に感じるのは、今のこの感じの悠真なのだけど。
そりゃあ、悠真も人間なんだから感情表現の変化はあって当たり前。でも、それとはなんとなく違う気がした。
何が違うのだろう。
私には、それぞれが別人に見えるよ?
「えっ? 何?」
「私にはみんな別人に見える」
私は自然と言葉に出してしまっていた。
「なにが?」
「私、今みたいに誰にでも気兼ねないのが悠真なんだと思ってた」
「なに、それ?」
「だって、変だよ……」
自分の気持ちを表すのに、最適な言葉を懸命に探すのだけれど。
「学校でもそうだけど、どのバイト先でも……」
「……」
「バイトの相馬さんも言ってたよ?」
「……」
「恭介君って人も」
悠真の返答がどんどんなくなっていく。
「悠真は目を見てしゃべってくれないって」
何だろう、この重苦しい感じ。
「学校でだって、誰とも関わろうとしないで」
これ以上はダメと思う反面、言わなきゃいけないっていう使命感を感じて、私は言葉を続けていた。
「陸上部の人にもわざわざケンカ売るような言い方するし」
「紘人君を家に送りに行った時だって変だよ」
「私の知ってる悠真じゃないみたい」
ぶちっ!
えっ? 何の音?
何かが引きちぎれる音が重く大きく響いた。
「お前なんかに何が分かる」
静かでゆっくりとした言葉だった。でも、これ以上は一言もかけられないと思った。
悠真の手には、見えそうで見えない透明なロープのようなものがあって。
でも、その透明なロープは彼の手によって引きちぎられていた。
引きちぎられたロープを粗雑に投げ捨てると、悠真はひとり、静かにアパートの部屋を出て行った。
透明なロープ? 私と悠真を繋ぎ止めていたものだったみたい。
『私、悠真を怒らせてしまった?』
その頃、霊体のみなさんはというと。気配を殺して、四方八方の壁にそれぞれぺったりとくっついて傍観しているだけだった。
酷い。フォローしてくれてもいいのに。
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