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「おまちどうさま」
花屋の店主に、一輪の花が咲いた鉢を手渡された。
「あ、あぁ。金は……?」
「いただきましたよ。あ、そうそう。お水は朝、たっぷりあげてください。天気の良い日は、太陽のあたるところに出してあげると良いでしょうね」
「はぁ。どうも」
柄にもなく花なんか買ってしまった。しかも、朝の出勤時間に。それにしてもこの花、なんて良い香りがするんだろう。ずっと香っていたくなるような、和やかで可憐な香りがする。降っていたはずの雨はすでにやんでいた。店主に一旦鉢を預けて傘を畳み、腕にかけて、また鉢を受け取る。思わず顔がほころんでしまって、軽く咳払いをしてごまかす。それを店主は少し寂しそうな笑顔で見送ってくれた。
今日はもう、仕事はいいや。休んでしまおう。
俺はこのまま家に帰ることにした。靴下が濡れることもお構いなしに、水たまりの上を歩いて行く。花を抱えて駅とは逆方向に歩く俺を、すれ違う人々が変なものでも見るような目で見た。でも、そんなことはどうでもいい。スキップでもしたくなるくらい良い気分だ。くたくたになったこの靴は、新しいのに買い替えよう。今日は朝からビールなんか飲んでしまおうか。手元の白い花が、湿気を含んだ風を受けて頷くように揺れた。
名前を付けようと思った。
この幸せの象徴のような、陽だまりのような愛しい花に。
<了>
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