紅い花と桃色の花

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「ああ、ええ花見や」  かの有名な八百屋お七もこんな景色を見てたんやろか。  目の前に見えるのは花見、言うても桜のその繊細な白にも桃色にも見えなくもない花びらではなく、真っ赤な花びら。そう火の粉の花びらや。 「もう全部燃えてまえ」  昨年の大火では、商いをしていた両親の店が全焼した。その上、自分自身の婚家である大店であったはずの店も焼けた。  夫はそのとき花街に居ったらしい。どうも昔馴染みの商売仲間から、日ごろの礼やなどと言われてえらいべっぴんなおなごを侍らしてお楽しみやったそうや。  私はそのとき、必死で店の帳簿や銭、それから子供たちを番頭や女衆に丁稚たちと安全な場所へと逃すために動いていた。けれども炎は無情で五人も子が居たのに残ったのは、二人。あとの子たちは、外には出れたけど火傷や人混みで踏まれたり、火の粉を臓腑に吸い込んでしまったらしく、病で亡くなった。  子供だけやない。子供を守ろうとしてくれた女衆も何人か病や建物に取り残されたりして亡くなった。丁稚の子も可哀想に顔や手に火傷を負ってしばらくは商いのことを任せられそうにない。中には田舎へ帰さねばならないような有り様の子もいたのは、ご寮さんと呼ばれ親しまれた身としては更に苦しかった。  何とか当面の生活はできるように荷物はある程度持ち出せたけれど、店が全焼。夫は赤ら顔で帰宅し、白粉や女の香りまで纏っていた。  私はその姿を見て、これまでご寮さんと呼ばれる立場として奥向きのこと、しっかりするやで、と嫁ぐ前に何度も両親に言われていたことを忘れたように涙が止まらなかった。  まるで梅雨の時期の雨のように、自分で止めようと思えば思うほど溢れる水滴に夫は赤ら顔で浮かれていた表情が一気に暗くなる。  それは私の瞳の雨のせいか、全焼してしまった店を見たからか。今となっては分からない。  私はひとしきり泣いた後、子供たちが心配して抱きついてきたのを気に、番頭に声をかけ実家へと三人で向かった。当然、そちらもうちの店から近かったのもあり、店は全焼。こちらは夫婦二人と跡継ぎ代わりの番頭だけだったのに三人とも店と共に逝ってしもた。それがわかったのは、燃え残った柱の影に三人の着物の一部や骨などがあとから見つかったからだ。  こうして一夜にして、私は大店のご寮さんから転落したのだ。 「ああ、この花吹雪の中を歩いたら会えるんやろうか」  亡くなったあの子たちに、母や父に、本当やったらさっさと離縁して仏にでも仕えて供養してやらねば、と思いつつ二人の子達が成長するまでは。 「いや、これは言い訳や。私が胎決められへんだけやね」  夫を隠居に追いやり女主人として商いをする。という決意も、夫を捨てて別のええお人と新しい幸せを見つける決意も、たまたま時が悪かったと割り切ってこれまで通りでいる決意も何も出来ないまま、またこうして再び起こった火事を今度はただボンヤリと眺めている。  もうすぐ桜の季節だからと、火の粉を桜に見立ててまだ燃え移っていない部屋で一人、花見と洒落こみながらあの世とやらから迎えが来ないかと願っている。 「次、生まれ変わるなら男がええかな。そんで今度は私が店継いで、大坂一の大店に⋯⋯」 「そら困るわ。おまさんには、手が皺くちゃのばあ様になるまでワシの隣に居ってもらわんと」  そんな声が上から降ってきたと思った。次の瞬間には、私の身体は宙に浮いて、夫の腕の中に収まっていた。 「な!何なん、旦那さん。なんの真似です」 「ああ、おまさんがそない暴れたって仔猫が興奮しとるみたいな愛らしいもんや。ほれ、外に逃げるで、もうじきここも火に呑まれる。花見は今度、ほんまもん見せたるさかい」  前回はおまさんに苦労かけたから、今回はワシがちゃんと守ったる。そう言いながら私を力強く運ぶ身体は、生きている温かさでポツポツと言葉の花びらを私に降らせていく。  どうやら夫も前回は、付き合いの手前抜け出せずしかも夫に一目惚れしたらしい女が火事を規模が大きくなるまで気付かせなかったらしい。  慌てて走ろうにも散々女に酒を飲まされた後、酔いが回って歩けなくなる方が帰りが遅くなると判断して、結果のんきな浮気者の旦那という姿を作ってしまったこと。子供たちや雇っていた者たちが亡くなったことに大変悲しみ、しかし、私がはじめて泣いたものだからどうしたら良いか分からず、番頭と相談してひとまず大店へと戻り以前の生活をできるようになれば幾らかは償えるのではないか。などと思っていた。 「そんなん、はじめて知りましたわ」 「そらそやろ。こんな間抜けな男の話、カッコ悪ぅておまさんに言えるかいな。せやからな、おまさんにはあんな嘘っぱちな花見で人生終わらせてもらいたないねん」  いつかはワシと離縁してもええけど、今はアカン。大事にするっておとっつぁんと約束しとるんやから。その言葉を聞いたら、気が抜けたのか。まだ火の花びらは近くを舞っていたはずなのに、私はいつの間にか深い眠りに就いていた。 「おっ母さん!おっ母さん!」 「あ、ああ、私ったら桜見てうたた寝してもうてたんか」  ふと気付くとあの頃よりも大人になった娘が、私を必死に呼びかけていた。どうやら、店の皆で花見をしようとここに来たのに、陽の光に負けて花より眠り、となっていたらしい。 「もうしっかりしてよ。おっ母さんは、もうすぐばあ様になるんだから」  ほら、と大きくなっている腹へと手を引っ張られた。どうやら元気がよすぎる子のようで、娘の腹を勢いよく蹴っている。 「この子ったら、お前の腹の中でも元気いっぱいだから、おっ母さん一緒に遊んであげられるかしら?」 「ご寮さん、そこは乳母や女衆の仕事ですから、奪わんとってくださいな」  楽しげに酒や茶を飲みながら皆楽しげに笑っている。夫も口には出さないようだけれど、私の発言が面白かったらしくいつも以上に楽しげだ。  私はまだまだあの世とやらにはいけないらしい。また火の粉の花びらを見る日は来るかもしれない。それでも、少しでも皆と長生きをし、この世の桜の花見をいつまでも楽しみたい。  過去の夢を見て改めて舞い散る花びらに願うのだった。
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