長谷川センセイ 14

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 が、  すぐに、  「…終わったことです…」  私は、言った…  「…終わったこと?…」  と、伸明…  「…そう、終わったことです…」  と、私は、繰り返した…  が、  実は、こんなに、簡単に、  「…終わったことです…」  と、言った、自分自身に、自分でも、驚いた(苦笑)…  こんなに、あっさりと、  「…終わったことです…」  なんて、言うと、思わなかった…  だから、自分でも、驚いた…  自分の言葉に、自分が、驚いた…  そして、それは、目の前の伸明も、同じだったのかも、しれない…  「…終わったこと…」  と、ポツリと漏らした…  私の言葉に、動揺していることは、明らかだった…  まさか、私が、こんなにも、あっさりと、  「…終わったこと…」  と、言うのは、想定外…  予想していなかったに、違いない…  だから、反応に、困った…  どう、返答して、いいか、わからなかったに、違いない…  そして、そんな、伸明の様子を見ていた長谷川センセイが、  「…プッ!…」  と、吹き出した…  そして、  「…寿さん…いくらなんでも、気が強すぎ…」  と、笑った…  「…諏訪野さんも、どうしていいか、わからないみたいだし…」  私は、長谷川センセイの言葉で、あらためて、伸明を見た…  たしかに、伸明は、戸惑っていた…  どうして、いいか、わからず、戸惑っていた…  すると、さらに、長谷川センセイが、続けて、  「…寿さん…たしかに、寿さんの言葉は、間違っていないが、言いようというか…言い方が…」  と、付け加える…  私は、その通りと、内心、思ったが、それを、認めることは、できない…  一度、吐いた言葉を飲み込むことは、できない…  綸言(りんげん)汗のごとし、という言葉がある…  天子や皇帝など、お偉いさんが、一度言った言葉は、汗をかいたと同じく、取り消せないという意味だ…  私もそれと、同じ…  私は、偉くもなんともないが、一度、  「…終わったことです…」  と、言った以上、その言葉を取り消すことは、できなかった…  事実、その通りだからだ…  ナオキとは、公私共に、パートナーだったが、すでに、終わったことだった…  会社では、ずっと、社長と社長秘書の関係だったが、私生活は、別…  最初の頃は、ジュン君を含め、ナオキと私と三人で、生活していたが、そのうちに、ナオキが、家から出て、別に暮し出した…  女好きのナオキは、別に暮らした方が、都合が、良いからだ…  なぜなら、簡単に自宅に女を連れ込める…  私やジュン君がいては、それは、できない…  だから、別居した…  そういうことだ…  だから、会社では、社長と社長秘書の関係だったから、いつも、いっしょに、いたが、私生活は、別…  すでに、別れていた…    だから、  「…終わったことです…」  と、いう言葉にウソはない…  すでに、男と女という形では、終わっていた…  男女の関係では、終わっていた…  しかしながら、会社では、ずっと、社長と社長秘書の関係のまま…  つまりは、男と女という関係は、ずっと前に終わったが、ビジネスパートナーというか…  考えてみれば、それほど、私は、ナオキに信頼されていると、今、思った…  これまで、そんなことは、考えたことも、なかったが、それが、事実…  紛れもない事実だった…  すでに、ジュン君は、成長した…  大人になった…  だから、遅くても、ジュン君が、大学に入った時点で、私は、お払い箱になっても、おかしくはなかった…  お払い箱=会社をクビになっても、おかしくはなかった…  私が、ジュン君と住んでいたのは、幼いジュン君の面倒を見るため…  だから、ジュン君が、成長し、どんなに、遅くなっても、大学生になった時点で、私は、FK興産を、クビになっても、おかしくは、なかった…  が、  それが、なかったのは、ナオキの優しさだと、今、振り返れば、わかる…  誰もが、そうだが、別れた女の面倒を見る男は、滅多にいない…  互いに、  「…好きだ…」  「…愛している…」  と、言っている間は、いい…  しかしながら、別れるとなると、どんな男も冷淡になる…  大抵は、手切れ金ひとつ渡さない…  それが、現実だ…  仮に、男にお金があっても、別れた女の生活を見る男など、滅多にいるものではない…  そして、そんなことを、する男は、大げさに言えば、  …国宝物…  まるで、国宝のように、数が少ないからだ…  それゆえ、女にとっては、国宝のように、貴重な男…  だから、ナオキは、国宝物…  私にとっては、国宝物の貴重な男だった…  貴重な恩人だった…  別れても、なお、会社で使ってくれている…  住まいも、億ションから、追い出すこともない…  別れても、なにも、変わらない…  そして、愚痴一つこぼさない…  そんな男が、この世の中に、滅多にいるはずもない…  だから、今、ナオキのことを、振り返って、  「…終わったことです…」  と、言ったのは、自分でも、マズいと思った…  自分で、自分の発言を悔いた…  ナオキは、恩人…  その恩人との関係を評して、  「…終わったことです…」  というのは、あまりにも、冷淡すぎた…  そして、そんなことを、考えていると、伸明が、  「…藤原さんには、申し訳ない…」  と、いきなり、言った…  「…五井家の内紛に巻き込んでしまって、申し訳ない…」  と、続けた…  「…内紛?…」  思わず、声を上げた…  上げずには、いられなかった…  「…藤原さんの一件は、知らなかった…」  「…ウソ!…」  「…ウソじゃない…」  伸明が、抗議する…  「…と、言っても、寿さんが、信じないのは、無理もない…」  伸明が、肩を落とす…  私は、伸明のそんな姿を見て、 …もしかしたら、ホントかも?… と、思った… …もしかしたら、伸明は、演技しているのでは、ないか?… …私を騙そうとしているのではないか?… そんな気持ちもなくは、なかったが、伸明を信じたくなった… これは、やはり、私が、伸明を信頼しているのが、大きい… 伸明を好きなのが、大きい… 私から、見たら、伸明は、お坊ちゃま… 正真正銘のお坊ちゃまだった… 32歳の私が、十歳以上、年上の四十代の男に対して、お坊ちゃまと、いうのは、おかしいかも、しれない… お坊ちゃまというと、どうしても、バカにした印象があるからだ… 世間知らずの印象があるからだ… が、 伸明には、失礼ながら、その言葉が、似合った… 世間知らずの印象も、もちろん、あるが、それ以上に、お金持ち特有のクセのなさというか… いかにも、育ちの良い、ノビノビとした印象を受ける… ノビノビとした印象というのは、ずばり、性格の良さ… お金持ちで、世間知らずゆえに、温室で育てられたというか… たいした苦労もしないで、この歳まで、生きてきたという印象を受ける… 良く言えば、育ちの良さ… 悪く言えば、世間知らず… それが、私の伸明の評価だった…   そして、なにより、世間知らず=好人物という印象だ… 苦労が、人を育てる… だから、苦労をした方が、良いと、いうひとがいる… 私は、その意見を否定しない… 誰もが、生きてゆく上で、苦労は、するからだ… この伸明とて、お金持ちの上に生まれたからと、いって、なんの苦労もせずに、この歳まで、生きてきたわけではあるまい… 現に学生時代、同級生とうまく、やれなかったと、以前、私に告白したことがある… 伸明は、スーパー金持ち… なんといっても、五井の御曹司だ… だから、そんじょそこらの金持ちとは、桁が違う… それゆえ、お金持ちが、大勢集う学校に行っても、周囲から、羨望の目で見られ、半端にされたと、過去に私に語った… だから、苦労をしたことがないわけではない… が、 しかしながら、世間一般の人間から見れば、大した苦労は、していないだろ? と、いう評価になる… それは、なぜか?   伸明が、金銭面の苦労をこれまで、一度もしたことがないからだ… 金銭面=生活の苦労をしたことがないからだ… だから、どうしても、伸明の評価が、辛くなる… 世間一般の基準で見れば、 苦労=金銭=生活の苦労となるからだ… だから、金銭の苦労をしていない、伸明は、お坊ちゃまだと、見られる… 正真正銘のお坊ちゃまだと、思われる… そういうことだ… そして、苦労は、した方が、良いという世間一般の意見に私が、与しない理由は、ただ一つ… 必要以上の苦労をすると、性格がねじ曲がっている人間が多いからだ… いわば、苦労が、人間を成長させるのではなく、人間の性格を曲げる… 自分より明らかに、頭が良かったり、会社で、出世が早かったり、する人間を見て、陰口を言ったり、悪口を言う人間が、それなりにいる… 要するに、自分が、できないことを、他人が、簡単にできる… どんなに努力しても、自分では、できない… それが、悔しくて、仕方がない… だが、悪口を言うしか、できない… 自分では、できないからだ… だから、苦労が、性格を歪める… そういうことだ… もちろん、全員ではない… 会社で、出世ができなくても、性格の良い人間は、いっぱいいる… が、 少なからず、悪口ばかり、言う人間もいる… そして、そんな人間と接していれば、自分自身もまた、その人間たちの悪口を言う人間になる… いわば、朱に交われば赤くなる、のことわざ通り、自分の性格も悪くなる… だから、苦労は、あまりしない方がいいと、私は、思う… 思うのだ… 私が、そんなことを、考えていると、 「…要は、主導権争いです…」 と、伸明が、続けた…               <続く>
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