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第2章 蟹と話す
「お父さーん!見て見て!キレイな貝!」
「ははは。この子は今日も元気いっぱいだな」
「本当ね、あなた」
「おまえ、身体の調子はどうなんだ?あまり無理してはいけないよ」
「ありがとう。もう安定期に入ったから平気よ。それに、もう初めての出産じゃないんだからね」
「そうだな。次で、2回目だもんな。今度はたくさんの子が無事に育つといいんだが…」
「あんなにたくさんいた子どもたちが、とうとうあの子1匹になってしまったものね。あの子だけは、私たちくらい大きくなるまで育ってほしいと願うわ」
「おーい!お父さーん!お母さーん!」
「本当だね…。それまでは、僕が君とあの子を守るよ」
「お父さーん!お母さーん!見て、こーんなに大きな貝、見つけたよ!」
「あらあら。おてんば娘だこと」
「君の若い頃そっくりだな…。おおー、すごいじゃないか!お父さんだって負けないぞ!ほら、こんなに大きな貝があった!すごく重いぞ~。おまえに持てるか?」
「お父さん、すごーい!」
「ごらんなさい!ふんっ!お母さんだってこんなに大きい貝、持てるのよ~!」
「おい、おまえ!そんなに無理して…」
「平気よこのくらい。愛しの娘に、あなたばっかり見せつけちゃって、ずるいじゃない」
「お母さんも、すごーい!」
「やれやれ…。おや、何だか向こうの方が騒がしいな」
「本当ね。砂が舞っているわ。ダイオウイカでも現れたのかしら」
「えぇ!ダイオウイカ!こわーい!!」
「なあに。じっとしていれば、大丈夫さ。やつらはあまり目がよくないから」
「…あなた、違うわ。ダイオウイカじゃない。あれ、底引き網よ!」
「何だって…もうすぐそこまで迫っているじゃないか。そこの岩陰まで走れ!」
「もうダメ!間に合わない!!」
「うわぁぁぁぁぁぁあああああああああ!!」
「お父さん、お母さん…」
「あなた…」
「無事か…、おまえたち…」
「よーし、あがったあがった!数は少ないが、なかなかいいのが入ってるじゃないか。雄も雌も、子蟹も入っているな。早いとこ港へ運んじまおう!蟹は、鮮度が命だからな!」
(…という訳さ。平和に暮らしていた私たち家族に、大きな網が襲い掛かってきたんだ。向こう三軒両隣までまるごとさ。あっという間に船にあがると、乱暴にケースの中へ投げ込まれた。それから、しばらくの間船に揺られ、港についた。たしか、石狩漁港という場所だ。日が昇る頃には、競りにかけられ、俺たち家族は買われてしまった)
「家族一緒に、買われたのか」
(そうだ。だが、市場で私たちを買った男は、手広く商いをしている男だったらしい。身体が大きく美しい私は、ふるさと納税用の高級品として。卵を持っていた妻は、高級レストラン行き。まだ身体の小さな娘は居酒屋行きだと言っていた。娘は、まだ10歳にもなっていないんだ…)
「なるほど、確かにいろいろ手広く商売しているらしいな。さぞ金持ちなんだろう」
(私は、やつらを許せない。私たちを引き揚げた漁師の男。そして市場で私たち家族を引き裂いたあの男を。きっと妻と娘はもう…)
蟹の怒りが、ひしひしと伝わってきた。心なしか、身体にも赤みが増しているような気がする。
(頼む、林田。私の復讐の手助けをしてくれないか。石狩の漁港に私を連れて行ってくれ)
「復讐って、具体的にどうするんだ」
(私のこの自慢のハサミで、あいつらの一部をちょん切ってやるのさ!)
なるほど、家族を離ればなれにした上に、妻と娘を売り飛ばされたとなっちゃあ、恨む気持ちも分かる。しかし、いくら何でも、蟹相手にただで協力してやる訳にはいかない。こっちだって、汗水垂らして働いて、日々日々税金を納めて届いた蟹なんだ。
「よし、わかった。蟹よ、協力してやるから、1本だけ脚を食ってもいいか?」
(本当か?!協力してくれるのか!君は何て親切で愛に溢れた人間なんだ!いいとも、脚の1本くらい、喜んで献上しよう。さあ、一思いにバキッといってくれ)
「バキッッ!」
(ぐあぁぁぁぁぁあ!)
「うむ。美味い。流石は高級品。では、明日の朝一番、その石狩の漁港に向かおうじゃないか」
(あまり、罪悪感とかはないんだな…、林田)
「まあ、蟹だからな」
俺は一度蟹を冷凍庫に戻し、買い置きの袋めんを鍋にいれて煮込んで食べた。蟹の出汁のせいか、いつもの何倍も美味く感じた。やれやれ、明日は日曜だが、早起きしなくちゃならん。布団を敷き、早いとこ寝ちまおう。
あまりにも奇妙な体験に、ドッと疲れてしまったのだろう、電気を消すなり、そうそうに眠りに落ちてしまった。
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