第3章 蟹と向かう

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第3章 蟹と向かう

「ピッ ピッ ピピッ ピピッ ピピピッ ピピ…」  やかましいアラームを乱暴に止めた。時刻は3時55分を指している。窓の外はまだ暗い。全く、眠くて仕方がない。いつもなら、日曜はアクティブな予定はいれず、7時か8時までぐっすり眠るのが俺のルーティン。旅行やイベントなど、よっぽどの予定がない限り、日曜日は安息日。でも今日は仕方がないか。蟹の復讐に付き合ってやらないといけないからな。やれやれだ。  丁寧に布団を畳んで、その上に枕を置く。それから歯を磨いて、顔を洗い、髭を剃る。櫛で髪を整え、ジェルで固める。休日は整髪料をつけない主義だが、何があるか分からないし、今日は少し気合を入れて身なりを整えておくとしよう。紺色の無難なシャツを着てジーンズを履く。紺色は汚れが目立たない上に、清潔感があっていい。世間的な印象は白の方がいいんだろうが、白いシャツなんか着ると、ラーメンもうどんも気になって食えやしないからな。素早く準備を済ませ、俺は冷凍庫から蟹を取り出した。  蟹を抱え、玄関の扉を閉める。2階の部屋から、マンションのエレベーターで地下駐車場まで向かう。  まだ早いから、マンションに人気はない。誰にも観られることなく、エレベーターまで辿り着くことができた。エレベーターが2階に到着し、B1のボタンを押した。ドアが閉まるのと同時に、目を覚ましたのか、蟹が話しかけてきた。 (おはよう。林田。今日はよろしく頼む) 「ああ、おはよう。石狩漁港までは、少しかかる。二人でドライブを楽しもうじゃないか」 「地下1階です」  エレベーターが地下駐車場に到着した。駐車場が地下にあるってのは、寒い北海道では、かなり利便性が高い。なんたって冬場でも雪かきをしないで済むからな。生まれも育ちも北海道の俺は、冬場の雪かきの大変さをよく知っている。子どものころから、父親の出勤のために、何度雪かきをさせられたことか。それに、駐車場がマンションの地下にあれば、盗難のリスクも少ないし、車のバッテリーが上がる心配もない。郊外とはいえ、札幌市内で地下駐車場付きということもあって、ここの家賃はそれなりに高いが、俺はこのマンションが気に入っている。部屋だってなかなか広い。エントランスはオートロックじゃないし、入り口に管理人がいるわけでもないから、セキュリティは今一つかもしれないが、男の一人暮らしだ。特に問題はない。  愛車の黄色いビートルのカギを開け、俺と蟹は車に乗り込んだ。石狩漁港までは、1時間ってところだろう。エンジンをかけてアクセルを踏み、目的地を目指す。石狩漁港くらい有名な場所なら、地図無しでも何となく道は分かる。辿り着けるはずだ。 「腹が空いたから、ハンバーガー屋のドライブスルーかコンビニに寄ってもいいか?」 (林田、今はなるべく急いでほしい。どうしても空腹なのであれば、…私の脚を食べたまえ) 「それは有難いが、本当にいいのか?」 (あぁ…。林田の協力がなければ、石狩漁港までたどり着けないからな。なに、私はこの右手のハサミさえ残っていれ) 「ボキッッッ!」 (ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁあ!) 「うん、今日もいい味だ」 (林田は、その、躊躇とかないのだな) 「あぁ。自分が痛いわけじゃないからな」  おれは蟹の脚の一本を食べ、小腹を満たした。そういえば、こいつ、ハサミを使って復讐するとかぬかしていたが、具体的にどうやる気なのだろう。もう凍らされて茹で上げられて、とっくに死んでるはずなのに。 「おい、蟹」 (なんだい、林田) 「おまえ、ハサミを使って復讐するって言っていたけど、どうやって動かすんだよ。具体的に」 (まあまあ、それは何とかなるさ。おいおい、説明するよ。とにかく、今は無事に石狩漁港まで着くことだけを考えてくれたまえ)  何だか腑に落ちないが、そもそも、蟹が人語で語りかけること自体、異常なんだから、今さら何が起きたって驚きはしないか。何かしら方法はあるのだろう。蟹の言う通り、今は余計なことを考えないでおこう。  しかし朝早かっただけに、まだ眠い。頭もハッキリしないような感じだ。眠気覚ましがてら、俺は蟹に話しかけた。 「なあ、蟹って、何食べるんだ?」 (貝やゴカイ、ヒトデ、あとは死んだイカや弱って動けない魚なんかを食べたることもあるな。君たち人間と同じで、色々食べるんだよ) 「ふーん。食べる意外に、することはあるのか?」 (もちろん。海藻を眺めたり、散歩したり。泡を吹いたり。結構忙しいんだぞ) 「のんびりして楽しそうじゃないか。危険な目に合うことはないのか?」 (そんなことしょっちゅうさ。イカやタコは私たちが大好物で、隙あらば砂に隠れて私たちを狙っているから、油断できない。あと、大きなやつらにも気をつけなきゃならないんだ) 「大きなやつら?」 (ああ、大型の蟹さ。大きなカニは、自分より小さな蟹を食べてしまうんだ) 「蟹同士で共食いするのか」 (そうさ。私は見ての通りかなり身体が大きいから、そう狙われることはない。むしろ、これまで何度か自分より小さなやつを食べてやったことがある。なかなか美味いよな、蟹って。ハハハ)  俺は何も言い返すことができなかった。蟹なりのジョークなのだろうか。  しばし続く沈黙。  微妙な間を埋めるために、俺はカーラジオのスイッチを押した。流れ出したのは、DJがリスナーからのリクエスト曲をかけるスタイルのよくある番組だった。  最近の曲はさっぱり分からない俺だが、音楽は好きだ。若い頃は海外のロックミュージックをよく聞いていた。  日曜の早朝ということもあってか、ラジオからは爽やかな洋楽が流れている。よく知らない日本のポップスはかかりにくい番組のようだ。若者たちはまだベッドの中なのだろう。なかなかいい番組じゃないか。DJの声も柔らかくていい声だ。  ふと、そんな番組の雰囲気と少し違った、激しいイントロがかかった。ベースとドラムの激しい音。爽やかというよりは、これから戦いに出るかのような荒々しい雰囲気の曲。  スポーツか何かの試合前の人がリクエストしたんだろうか。激しいベースとドラム音に、闘争心が燃え上がるようなカッコいいイントロ。  たしか、「Kasabian」ってバンドの曲だ。2004年の初めごろ、ロックミュージックに夢中だったころ何度か耳にしたことがある。そこそこメジャーなバンドだ。しかし、20年も前になる。曲名までは思い出せない。なんという曲だったか…。  脚が残り8本になっても、復讐心をメラメラ燃やした海のお友達と一緒に、石狩漁港へ車を走らせる。 「ラジオネーム、サッポロ8番さんからのリクエスト。今日は部活のサッカーの決勝戦。絶対に負けられない試合です。気合を入れるための勝負曲をお願いします。ということです。いやーサッポロ8番さん、がんばってくださいね!応援してます!お送りしたのは、サッポロ8番さんからのリクエスト『Kasabian』で『CLUB FOOT』でした」
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