第4章 蟹と探す

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第4章 蟹と探す

 予定通り、1時間ほど運転すると、目的地の石狩漁港に到着した。早朝ということもあって、あまり道が混んでいなかったのは幸いだった。  「ようこそ石狩漁港へ」と書かれた看板が横目に見えた。蟹のイラストもデカデカと描かれている。やはりここは蟹が有名なんだな。  札幌から近い漁港ということもあって、石狩漁港はかなり有名だ。北海道有数の観光地だと言えよう。  最近は、道の駅「ゆうろーど」も盛況らしい。北海道の新鮮な魚介はもちろん食べられるし、芋やトウモロコシ、キャベツなどの定番野菜、それから、まさかりかぼちゃ、札幌大球、札幌黄、食用ユリなんかの伝統野菜なんかも置いている。  もちろん、サケやタラ、ニシンなどを使った三平汁や、イカに米を詰め込んで炊き上げたいかめし、鶏肉を醤油ベースの甘辛いタレに漬けこんで作ったザンギ、厚切りの豚肉を砂糖醤油で味付けしたタレでからめた豚丼、自家製味噌の風味が豊かに香るコーンとバターたっぷりの味噌ラーメンなど、なんでもある。  特に、石狩鍋は絶品で、俺も何度か食べたことがある。とれたてのサケのぶつ切りやあらをそのまま味噌汁が入った鍋に入れて食べるのが石狩鍋だが、ここのは一味違う。仕上げに十勝産のバターと、石狩川でとれたサケのいくらをたっぷり乗せて提供してくれるんだ。これは本当に美味い。  これらの名物を石狩の海を眺めながら食べられる点も人気のポイントだ。全国道の駅ベスト5に輝いたこともあるらしい。  漁港一帯の入り口である入場ゲートを通過して、「ゆうろーど」の隣接した大きい駐車場に車を止めた。  蟹を入れた発泡スチロールを抱えて、車を降りる。  家を出る前に、発泡スチロールに少しだけ細工をしてやった。復讐相手の漁師と蟹を買い付けた男を見つけるため、蟹が目を出せるように、ドライバーで発泡スチロールに穴を開けてやったのだ。蟹はそこから目を出しながら、箱ごと俺に運ばれている。これだけ世話を焼いてやると、少し可愛いような気さえしてくるもんだ。  時刻は5時を過ぎていた。ここでふと、驚きの出来事が起こったのだ。 (おっはよーうございまーっす) (ようこそ、いらっしゃい)  高い声と小さい声で、俺の脳に話しかける声が聞こえてきたのだ。 「なんだ?何の声だ?」 (林田、きっとあれじゃないか)  蟹が見つめる先には、「ゆうろーどうぶつえん」と書かれた場所があった。「ゆうろーどうぶつえん」はここの名物の一つだ。  ニワトリやウサギが飼われている、小さな子ども向けのミニ動物園とったところだ。 「蟹以外の声も聞こえるとは、意外だったな…」  思わぬ出来事に少しだけ驚いたが、初めの蟹との会話が衝撃的だったために、今さら鶏やウサギが話しかけてきたところで、大して驚きはしない。随分、感覚が麻痺しているな。    「ゆうろーど」の開店は7時ということで、まだ観光客の姿はほとんどなかったが、漁を終えた漁師たちは大勢いるようだった。漁を終えて一息ついている者や、ゲラゲラと仲間と話す者、網や船の整備をしている者など、様々だ。ここから一人を探すのは、なかなか骨の折れる作業だといえる。 「見つけるのは、お前を捕まえた漁師と、買い付けた男の二人でいいんだよな?」 (ああ、その通りだ) 「漁師も業者も大勢いそうだぜ。どうやって見つけるんだ」 (なあに、こんなの海の底に比べれば大したことはない。海底にはもっとたくさんの生き物がウロウロしているよ。何より、憎い相手だ。どちらの顔もしっかり覚えている) 「そいつらの特徴について、何か覚えていないか」 (漁師の男は、色黒で、身長は林田より少し小さいくらいだったな。やや太っている。ウマヅラハギのような顔だ。それから、髪をウツボ色に染めていて、年齢は35歳から40歳ってところだろう) ウツボ色ってことは、金髪ってことだろうか。俺より少し小さいとなると、身長は170㎝程度。それから、色黒の小太りのアラフォー世代でウマヅラハギ。かなり具体的に教えてくれたものの、そんな男、割と多そうだな。 「他にはもっと目立った特徴はないか?」 (ううむ、そうだな…。あと、耳に小さなヒトデを着けて、胸にはクリオネのネックレスをぶら下げていた) 星型のピアスに、十字架のネックレスか…。いい歳こいて、あまり趣味のよいやつではなさそうだ。 「船の名前なんかは覚えてないか?」 (何しろ捕まってすぐにかごに入れられてしまって、港に着くなり、すぐに市場まで運ばれたからな。妻と娘はパニックにおちいり、なだめるだけであまり余裕がなかったのだ。船主の文字がチラッと見えた気はするが名前までは…。何かとんでもなくダサい名前だったような気はするんだが。あの非常時でも「ダサッ」って思ったほどだからな) ふむ、よほどダサい名前なんだろうな。まあ、それなりの手がかりではあるか。海臨丸とか梵天丸とか、定番の名前ではないってことだしな。 (まずは海沿いを歩いてみよう。船を見つつ、ウマヅラハギヅラウツボヘッドヒトデピアスクリオネックレスの男を探そう) 長すぎるだろう。しかもウマヅラハギヅラって。  俺と蟹は漁港を海沿いに歩き始めた。大小様々、たくさんの船が停まっている。あまり小さい船は、蟹漁の船ではないだろう。底引き網がないものも違うな。誰かに声をかけた方が手っ取り早い気もするが、何しろ目的が目的だ。話す機会は最小限にとどめておいた方が賢明だろう。それに、周りは漁師がほとんどだ。シャツとジーンズで蟹を運ぶ俺は、ここではやや目立ちすぎる。なるべく目立たないように捜索すべきだ。  俺はそれっぽい漁船を見つける度、蟹に尋ねた。 「多幸丸」 (ちがう) 「弁慶」 (ちがう) 「まりいごおるど」 (ちがう) 「みゆき丸」 (ちがう) 「かえでくいいん」 (ちがうな)  魚にちなんだ名前や、歴史的な人物をもじった船、花の名前をひらがなにした船なんかは、結構多い。あと、奥さんや娘の名前をつけることもしばしば。女性らしい名前をつけると縁起がいいらしい。しかし、どれもそこまでダサい名前かと言われると、そうでもないか。  船名の特定を半ばあきらめかけたその時、数メートル先にある漁船の名前が目に入った。中型の船で、底引き網も、引き上げるためのワイヤーやクレーンの器具もついている。 「鹿紅丸」    あまり見ない字面だし、派手で大きめの明朝体がやたらと目に入った。 「あの船、何て読むんだ?しか…?べに…?あか…?くれない…?しかべに?しかあか…?しかくれ…?」 (!!!!!!!) 「あ、しかく丸か。ダッセぇ!」 (それだ!それだ林田!!あらためて聞いても、なんてダサい。四角なのに丸だというダジャレなんだろうが、非常に面白くない上に、不真面目極まりない!!!!その船こそ、私たち家族が捕まった船だ!!!!)  確かに、蟹の言う通り、とてつもなく、この上なく、ダサい。  名付けたやつの奇をてらったでしょって感じとか、シュールで面白いでしょという雰囲気がムンムン感じられる。不愉快なレベルでダサくてつまらない。漁師の命とも呼べる船に、こんな名前を付けるなんて、どうかしている。俺は、蟹を手助けしてよかったかもしれないと、初めて感じた。  しかし、船を見つけたまではいいが、鹿紅丸は漁を終えて、荷下ろしまで済ませているようだ。人の気配が感じられない。そうすると、ウマヅラハギヅラウツボヘッドヒトデピアスクリオネックレスの男は、今頃市場にいるか、下手したらもう帰路についているのかもしれない。しかしまだ、網や船体から水が滴っているところを見ると、そこまで時間は経っていなさそうだ。もしかすると、近くをうろついている可能性もある。なんにせよ、急いだほうがよさそうだ。 「急いだほうがいいかもしれないな」 (ああ、早くウマヅラハギヅラウツボヘッドヒトデピアスクリオネックレスの男を探そう)  俺たちは、船着き場を離れて、市場の方へ向かった。市場から船着き場までは、100mほど離れている。  中間ほどのところに差し掛かった時、食欲をそそるいい匂いと、暖かそうな湯気が立ち上っている建物があった。  年季の入った木製の小屋には、「七石食堂」というこれまた年季の入った看板がかかっていた。  いわゆる漁師用の食堂のようだ。観光客向けの下品な登りがないところが、逆に武骨でよさげな印象だ。  漁港にあるにも関わらず、魚や出汁の匂いというよりは、揚げ物を揚げたような油の匂いがする。  そういえば、前に情報番組で、漁師はふだん魚を食べ慣れているため、こういう店では、意外にも、鶏の唐揚げとか、ハンバーグが好まれ、名物化しているというのを聞いたことがある。  「七石食堂」もそうなんだろうか。 「もしかすると、ウマヅラハギヅラウツボヘッドヒトデピアスクリオネックレスの男は、あそこの食堂で飯を食っているかもしれないな。少し、のぞいてみないか?」 (そうだな。漁師たちは今漁を終えて腹を空かせている時間帯だ。ウマヅラハギヅラウツボヘッドヒトデピアスクリオネックレスの男もあの中にいるかもしれない)  俺と蟹は、「七国食堂」へ入ってみることにした。 「いらっしゃーい!何名様?」  元気で愛想よい中年女性が声をあげる。 「ふた、いや、ひとりです」  胸に抱えた蟹の発泡スチロールを見つめて、女性はこう言った。 「お荷物、お預かりしましょうか?」  そうか、傍目には、市場で蟹を買った帰りに見えるんだろうな。 「いえ、大丈夫です。大事なものなんで、自分で持ってます」  蟹の目が無ければウマヅラハギヅラウツボヘッドヒトデピアスクリオネックレスの男は分からないので、俺はそう答えた。  食堂の中は意外と広く、4人掛けのテーブルが6つに、2人掛けのテーブルが4つ、それから、半分は店の従業員の荷物置のようになっているカウンターが8席ほどあった。  店は漁師たちで賑わっていた。ビールを飲んでいる者もいる。やはり、漁を終えた漁師たちのたまり場というか、憩いの場のような場所になっている店なのだろう。  俺たちは、窓際にある2人掛けのテーブルに案内された。 「ご注文、後ほどうかがいますね!」  水を置いて女性はいそいそと去っていった。  これだけ繁盛しているんだ。毎日忙しいのだろう。  ちらりとメニューに目をやると、やはり唐揚げがオススメのようだった。北海道では唐揚げのことをザンギと呼ぶことが多いが、この店はザンギと呼ばないスタイルなのだな。ジャンボ海老フライなんかもあるらしい。獲れたての新鮮な海老を使った海老フライ。さぞ美味いことだろう。  店内の黒板にも、「自家製醤油で味付けした名物唐揚げ!」「ジャンボ海老フライ!新鮮!おすすめ!」と書かれている。  どんな美味そうな料理なのか気にはなったが、俺たちの目的は食事ではない。ぐっとこらえて、俺たちは、ウマヅラハギヅラウツボヘッドヒトデピアスクリオネックレスの男を探しにこの店へはいったのだ。  俺は、怪しまれぬよう、蟹の入った発泡スチロールを胸に抱えながら、素早く店内を見回してみた。  ウマヅラハギヅラで、ウツボのような金髪、星型のピアスに十字架のネックレスをつけた男は見当たらなかった。しかし俺のイメージと蟹のイメージが違う可能性も考えられる。念のため、小声で蟹に尋ねてみた。 「どうだ?それらしいやつはいるか?」 (いや、残念ながら、いないようだ…) 「どうする、出ようか?」  蟹の返事を待っているその時だった、隣の4人掛けテーブルに座っていた男たちの声が聞こえてきた。 「まったく、あのウマヅラ野郎…」 「!」 (おい、聞いたか林田) 「あぁ、聞こえた…!今、確かに、ウマヅラって言ったよな」  俺は小さい声で蟹にそう伝え、再び男たちの会話に耳を澄ませた。 「とんでもねぇやつだ」 「このままじゃ、蟹がとれなくなっちまうべ」 「あいつの漁は、本当にめちゃくちゃだ。今日もまた、ちっせぇ蟹抱えて、ニタニタしながら市場の方行きよったべさ」 「ああ、海はみんなのもんだ。最低限、漁のルールは守らなくちゃなんねぇ。10年経ってない蟹はとっちゃいけないきまりだっぺ」 「そうだそうだ。それをあの野郎、俺が注意したらよ。10年も5年もそんなに変わらね。食えりゃ同じだ。売っちまえばこっちのもんだ。おっきいのと合わせりゃあんなもんでも金になるんだ。なんてぬかしやがってよ」 「今度同じことしやがったら、あのなまらダッセぇネックレス、引きちぎってやんべ」 「そしたら俺は、あのなまらダッセぇピアス、引っぺがしてやら」 「んだんだ。ついでにあのなまらダッセぇ名前の船も穴ぼこあけてやろうか。ワッハッハ」  どうやら決まりだ。蟹の復讐相手、ウマヅラハギヅラウツボヘッドヒトデピアスクリオネックレスの男に違いない。  発泡スチロール越しでも、蟹が怒っているのが伝わってくる。  俺は漁師の世界はよく分からないが、ウマヅラハギヅラウツボヘッドヒトデピアスクリオネックレスの男はルールを犯して、漁師仲間から嫌われているらしい。そして、べらぼうにダサいやつだとも認識されているようだ。  そしてやつは、市場に向かったらしい。  彼らの話が別の話題にうつったところで、さきほどの愛想のいい女性が再び現れた。 「ご注文お決まりですか~?」 (林田、もうこの店を出よう)  「そうだな。急いで出た方がよさそうだ。今すぐ向かえば、ウマヅラハギヅラウツボヘッドヒトデピアスクリオネックレスの男はまだ市場にいるかもしれない」 「えぇ、お客様?どうされました?」 「あぁ、すみません!ちょっと食欲なくなっちゃったんで、出させてもらいます。ごめんなさい」  変な客だと思われただろうな。蟹と話しているところを聞かれちまったかもしれない。  そそくさと立ち上がって、俺は店を後にした。
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