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第5章 蟹と襲う
「七国食堂」で有益な情報を得た俺は、蟹を抱えて、市場へ向かう。
(林田、少し急ごう)
「あぁ。そうだな」
蟹に急かされながら、俺は周囲に怪しまれない程度の早歩きで、市場へ歩を進めた。
石川漁港の市場は、漁師たちが商売人たちに売る卸売り市場と、漁師でない一般の人々も買い物を楽しめる一般の人が立ち入ることができる朝一用の市場とに分かれている。そして、朝一用の市場は午前10時ごろに閉まってしまうが、さらに手軽に買い物や飲食ができるのが「ゆうろーど」というわけだ。
ウマヅラハギヅラウツボヘッドヒトデピアスクリオネックレスの男がいるとすれば、卸売り市場のエリアだろう。通常、見学ツアーなど特別な場合を除いて、一般客は卸売り市場のエリアには入ることができない。漁師と仲卸業者、あとはその他の関係者以外は立ち入り禁止だ。関係者は、首からIDカードをぶら下げなければならず、もちろん俺はこいつを手に入れることはできない。見学ツアーが開催されていれば、そこに紛れることも難しくないのだろうが、あいにく、今日は見学ツアーは開催されていない。関係者のふりをしながらコソコソと潜入するしか方法がないようだ。IDカードがくるであろう位置を蟹の発泡スチロールで隠しながら、足早に歩いた。
目的が目的なだけに、より一層緊張感が増す。
どこかへ内緒で忍び込んだ経験なんて、ガキの頃の夏休みに、夜中の小学校へ忍び込んだ以来のことだ。あの時は肝試しなんていう可愛い動機だったわけだが。あの時もドキドキしたが、今のような背徳感とはちょっと違う。
実は、卸売市場へ入ったのは初めてのことではない。これもまた小学校の時のことだが、小学校4年生の時に、社会見学で一度訪れたことがある。競りの様子を見学させてもらえるということで、子どもながらに楽しかったことを覚えている。あの時は担任の先生に連れられるだけで分からなかったが、市場には当然色々な魚が集まっている。そして、魚の種類ごとに、競りの会場やタイミングが分かれているようだった。
蟹はいったいどこに集められているのだろうか。だだっ広い卸売市場を蟹を抱えて速足で歩くのはなかなかに骨の折れる作業だ。
「おい、蟹。おまえなんかセンサー的なもので、仲間の場所とか分からないのか?」
(うん?何を言っているんだ林田。そんなの分かるはずがないじゃないか。君だってそんなセンサーを持ち合わせていないだろう?)
「それもそうか…。やれやれ…」
語りかける能力はあっても、仲間を探知するような能力はないようだ。スピリチュアルな力を持っているのであればあるいは、と思ったんだが。
15分ほど歩くと、不意に後ろから肩を掴まれた。
「あー、ちょっとちょっと」
俺はギクリとして、恐る恐る後ろを振り返った。なんと、そこにいたのは、警備員だった。若くて瘦せぎすで切れ長の釣り目。いかにも意地の悪そうな人相をしている。二十歳前後ってところだろうか。バイトの警備員だろう。
「関係者の方ですか?ID見せてもらえます?」
「あーえぇーっとぉ…」
何も言えずもじもじしていると、痺れを切らしたのか若い警備員は俺に向かって強い口調で言った。
「困るんですよねぇ!たまにマニアでそういう人、いるんですよぉ。関係者じゃないなら、出てってもらえますぅ。あ、あんた、もしかしてその手に持ってるの、盗んだんじゃないでしょうねぇ」
あらぬ疑いまでかけられはじめた。たまったもんじゃない!
「いや、これは俺がふるさと納税で…」
「ふるさと納税?なんでふるさと納税でもらったもんをここで抱えてんだよぉ。おかしいだろう?ちっ、まったく」
若い警備員は腰に手をあて、インカムを取り出しスイッチを押した。
「あ、チーフっすかぁ?なぁんか、IDカードもってないのに、いい蟹もった不審な男を発見したんですよぉ、どうしますぅ」
あらぬ容疑をかけられる上に、通報までされちゃあたまらない。俺が逃げちまおうかと思ったその時だった。
(林田!あいつだ!!!ウマヅラハギヅラウツボヘッドヒトデピアスクリオネックレスの男だ!!!!)
蟹の目が見つめるその先に、ウマヅラハギのような見た目の、ウツボのような頭髪の男が立っていた。なにやら、知り合いと話しているようである。
蟹の目が見つめるその先に、ウマヅラハギのような見た目の、ウツボのような頭髪の男が立っていた。僅か数メートル先だ。なにやら、知り合いと話しているようである。
よしっ、もう、これしかない!ピンチはチャンス!!
「あーっ!これはこれは!どうもどうも!鹿紅丸の漁師さんじゃないっですか!!探しましたよもう~」
と言いながら、俺は、ウマヅラハギヅラウツボヘッドヒトデピアスクリオネックレスの男の方へツカツカと歩いて行った。
ウマヅラハギヅラウツボヘッドヒトデピアスクリオネックレスの男は、「何だ?」という怪訝な顔をしていたが、警備員の男は、
「な~んだ。鹿紅丸さんの知り合いか。だったらいいかあ」
と言っていた。どうやら俺を見逃してくれたようである。きっとバイトの身で面倒そうなことに巻き込まれるのが、そもそも好ましくないのだろう。警備員としてはいかがなものかと思うが、今回ばかりは有難かった。
俺と蟹は、ウマヅラハギヅラウツボヘッドヒトデピアスクリオネックレスの男に近寄った。もう相手はすぐそこだ。
俺は小声で蟹に話しかけた。
「おい、どうする?」
(一旦、適当に話を作って、あいつを船の傍まで誘き寄せてくれ。頼むぞ、林田。君ならできる)
蟹に励まされてもちっとも嬉しくないし、勇気も出ないが、ここまで来たらもうやるしかない。いつの間にか、後に引けない状況になっちまった。
俺は蟹の目が見つめるその先に、ウマヅラハギのような見た目の、ウツボのような頭髪の男が立っていた。僅か数メートル先だ。なにやら、知り合いと話しているようである。
よしっ、もう、これしかない!ピンチはチャンス!!
「あーっ!これはこれは!どうもどうも!鹿紅丸の漁師さんじゃないっですか!!探しましたよもう~」
と言いながら、俺は、ウマヅラハギヅラウツボヘッドヒトデピアスクリオネックレスの男の方へツカツカと歩いて行った。
ウマヅラハギヅラウツボヘッドヒトデピアスクリオネックレスの男は、「何だ?」という怪訝な顔をしていたが、警備員の男は、
「な~んだ。鹿紅丸さんの知り合いか。だったらいいかあ」
と言っていた。どうやら俺を見逃してくれたようである。きっとバイトの身で面倒そうなことに巻き込まれるのが、そもそも好ましくないのだろう。警備員としてはいかがなものかと思うが、今回ばかりは有難かった。
俺と蟹は、ウマヅラハギヅラウツボヘッドヒトデピアスクリオネックレスの男に近寄った。もう相手はすぐそこだ。
俺は小声で蟹に話しかけた。
「おい、どうする?」
(一旦、適当に話を作って、あいつを船の傍まで誘き寄せてくれ。頼むぞ、林田。君ならできる)
蟹に励まされても、ちっとも嬉しくないし、勇気も出ないが、ここまで来たらもうやるしかない。いつの間にか、後に引けない状況になっちまった。
俺は意を決して、ウマヅラハギヅラウツボヘッドヒトデピアスクリオネックレスの男に話しかけた。
「鹿紅丸の方ですよね?一度お会いしたかったんですよ!」
ウマヅラハギヅラウツボヘッドヒトデピアスクリオネックレスの男は、怪訝な目を向けながらも、俺に向かって口を開いた。
「そうですけど…。何なんか用すか?あ、もしかしてその蟹、うちの船で獲れたやつ?返品とかなら受け付けてないよ」
想像通りの、ねちっこそうな嫌な話し方だ。
「いえいえ!とんでもない!この蟹、二本だけ脚を食べてみたんですが、もう絶品で。もうビックリしましたよ。で、どんな漁師さんが獲ったんだろって気になって、いろいろ調べたら鹿紅丸さんに行き着いたってわけです」
「あー、そうっすか!美味いっしょ、ウチの蟹!新鮮さ命でやってますから。鮮度が違いますよウチのは。他の鈍間な漁師が選別だか何だかダラダラやってる間にウチはそっこー市場に持って運んでるからね。そっこーですよそっこー。だから鮮度抜群ってわけ」
「そうなんですねー。いやなるほどなるほど。消費者のために優先すべきことを考えながらお仕事されてるんですね。流石です」
「そうでしょ。そうでしょ。いやーこんなの初めてだから嬉しくなっちゃうな」
やはり、こいつは阿保だ。この手の阿呆はおだてに弱い。もうひと押ししておくか。
「鹿紅丸というネーミングセンスがもう、素晴らしい。そんじょそこらの漁師には考えられない洗練されたお名前で…。それにお会いしたらなんですか、海の男であるにも関わらず、大変オシャレでいらっしゃる。ピアスにネックレスを身に着けながら、漁をされるなんて、最先端過ぎますよ。漁師の多様性を牽引する存在なのでしょうぇ。平凡なサラリーマンの私にはとても真似できない」
「いやー、もう勘弁してくださいよ。照れちゃうなぁもう。なぁ、兄貴」
ウマヅラハギヅラウツボヘッドヒトデピアスクリオネックレスの男は、さっきまで話していた、隣の男に声をかけた。どうやらこいつらは兄弟らしい。
「本当だな。まあ、おまえのセンスは他の漁師とは違う。我が弟ながら、俺も先見の明があるなと感じているよ」
俺は一応、ウマヅラハギヅラウツボヘッドヒトデピアスクリオネックレスの男の兄という男にも話しかけた。
「あなたはお兄様でいらっしゃる?」
「そうです。私はこいつの兄で、札幌市内でレストランや居酒屋を数店舗経営しております。あと、ふるさと納税用に仲卸のようなことも。お宅が持っているそれも、私が卸したものでしょう」
と、いうことは…。
(そうだ、林田。そいつがもう一人のターゲットだ…!)
一度に二人とも見つかるなんて、ラッキーだったな。それにしても兄弟そろって、あくどいウマヅラハギヅラしてやがるぜ。
「なあ、弟よ。この人に自慢の鹿紅丸をお見せしてあげたらどうだ」
「まあ、もう競りも大体終わったしな。どう、あんた、俺の船、見に来る?」
さっきチラッと見たし、あんなダサい船にまるで興味はなかったが、これで蟹の要望に応えることができる。俺はにこやかな表情を保ちつつ兄弟に向かってこう言った。
「いいんですか!もう、感激だなぁ。人生最高の瞬間かもしれませんよ!」
ウマヅラハギヅラブラザーズは、鹿紅丸まで俺を連れて行った。
あらためて観ても、ダッサい船だ。
「かっこいいでしょ~。ウチの船。特にこの船名の文字なんかこだわってさあ。北海道で有名な書道家の先生に書いてもらったんだぜ」
「ウチの両親が先生の知り合いでしてね。ご協力いただいたんですよ」
「塗装ももちろんだけど、エンジンだって他の船とはモノが違うよ。ドイツの高級車メーカーが作ったエンジンで馬力が倍くらいあるんだ」
「これも業者が両親の知り合いでしてね。無理言ってこのサイズの船に無理やり調整してもらったんですよ」
もう、死ぬほどどうでもいい。
ウマヅラハギヅラブラザーズの自慢話を適当に聞き流しつつ、小声で蟹に話しかけた。
「さあ、どうするんだよ。うまくおびき出せたぜ」
(よし、林田、私のハサミを引きちぎってくれ)
「ちょっと待て、流石にやつらに気づかれる。俺に、いい考えがある」
俺は、ウマヅラハギヅラブラザーズに話しかけた。
「これだけ立派な船だったら、シャワーとかトイレも船内に?」
「ああ、もちろんあるよ。シャワーどころか、バスタブ付きさ。トイレにはウォシュレットまで付いてるぜ」
「はー、羨ましい。あのう、大変恐縮なのですが、お手洗いお借りしてもよろしいですか?こんな機会二度とないので、記念に…」
「もう、仕方ないなぁ。いいよいいよトイレくらい!使って使って」
俺はウマヅラハギヅラブラザーズと一緒に船内へ上がり、操舵室横のトイレに入った。
「上手くいったな。よし、じゃあいくぜ」
俺は、勢いよく蟹のハサミを引きちぎった。
(ぐぅぅぅぅぅう!)
「で、この次は?」
(まだだ、まだ持っていてくれ。少し食べておいてくれると有難い)
俺は蟹のハサミの下の部分をムシャリとかじった。美味い。それにしても、自分で言うだけあって、こいつのハサミはとても立派だ。気をつけないと、ケガしてしまいそうなほどだ。
蟹のハサミをジーンズの後ろポケットに入れて、俺はトイレから出た。
「どう?快適なトイレだったでしょ?この操舵室もすごいでしょ。めちゃくちゃこだわってるんすから。まあまあ、その蟹はここに置いて、ゆっくり見てよ」
俺は蟹を操舵室の窓の傍に置いた。
「この舵もねぇ、いい素材使ってるんですよ。この滑らかな手触り…」
(今だ、林田、私のハサミで舵に置いたそいつの指をちぎれ!私の腱を引いて、そいつの指を挟むんだ!)
何?!俺がやらなきゃいけないのか?
(頼む、林田!迷っている暇はない!後のことは何とかなる。こいつらは漁師からも疎まれているんだ。君に正義はある!)
蟹の勢いに押された俺は、半ばパニックになりながら、ポケットから蟹のハサミを取り出し、すばやくウマヅラハギヅラウツボヘッドヒトデピアスクリオネックレスの男の指を挟んだ。
「ちょっと、なにふざけてんの。やめてってもう」
声が遠くに聞こえる。きっと俺はもう、錯乱しているのかもしれない。しかし、その反面妙な高揚感に包まれているのを感じる。
「おい、やめろっつてんだろ」
ブチンッ。
にぶい音と共に、ウマヅラハギヅラウツボヘッドヒトデピアスクリオネックレスの男が悲鳴を上げた。
「ぎゃぁぁぁぁああ!」
(次は、目にハサミを刺しこめ)
あぁ、やっちまった。もう後には引けない。蟹の指示通り、俺はウマヅラハギヅラウツボヘッドヒトデピアスクリオネックレスの男の左目にハサミを刺しこんだ。
プチンッ。プチンッ。
今度はさっきよりも軽い音だ。目の両端の内直筋を切り取り、左目の視力を奪う。
プチンッ。プチンッ。
さらに右目の視力も奪った。
「視えない、視えない…、痛いよ…、兄貴ぃ」
スパッ。
仕上げに首を搔っ切った。ウマヅラハギヅラウツボヘッドヒトデピアスクリオネックレスの男を静かにした。
「どうした!何かあったのか?」
兄の方が操舵室へやってきた。
「あ、あんた、俺の弟に何を…。こ、殺したのか…?一体、何の恨みがあってこんなむごいことを…」
「友達に頼まれたからだよ。あと、税金。」
(やってくれ、林田)
スパッ。
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