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ある日を境に彼が話さなくなった。
誰と喧嘩をしたのでも喉を痛めている訳でも無さそうなのに、一言も話してくれなくなった。心配になった私は両親、兄、彼の家族に相談したが、皆は大して気にならないようで、何故か真剣に取り合って貰えなかった。
話さなくなっても身振り手振りで意思表示は出来る。特に生活で困っている様子はない。それでも私は彼の声が聞きたかったし、難しい病気だったらどうしようと不安で、大きな街の医院に彼を連れて行こうと思っていた。そんな矢先だった――暴れ狂った魔族が、町に攻め込んできたのは。
魔族に対して備えの無かった人々は慌てふためいたが、そこで活躍したのが彼だ。長年振るい続けてきた剣と常なる覚悟で、魔族を倒してしまった。魔族の屍からは不思議な輝きを放つ欠片が発見される。
王都からの使者が言うには、神殿で保管されていたクリスタルが魔族に盗まれ、奪い返そうとした争いの中で破壊されてしまったらしい。各地に飛び散ったクリスタルの破片が魔族に力を与え、狂暴化させているのだという。
クリスタルが魔族の手に渡れば平和な時代は終わる。人間は魔族よりも先に欠片を集めなければならない。そして、魔族に対抗する勇者として選ばれたのが……
「ハルト、お前こそがクリスタルに選ばれし勇者である!」
幼馴染の彼、ハルトである。
クリスタルの欠片が、彼の額に選ばれし者の紋様を浮かび上がらせたのだ。私には何の話かさっぱり分からなかったが、とにかくハルトは勇者で、クリスタル集めの旅に出ることになった。ずっと彼が言っていた事が現実になった今、私も彼の仲間として共に行くことを決める。怖いけれど、ハルトを一人で行かせられなかった。
「おやメルルちゃん。旅の準備は万端かい? 息子をよろしくねえ」
道具屋を営むハルトの母が、にこやかに声を掛けてくる。
「おばさん……私やっぱりハルトが心配だよ。具合が悪いかもしれないのに旅なんて。他にも強い人は沢山居るでしょ? おばさんから大人の人達に話して貰えないかな?」
「おやメルルちゃん。旅の準備は万端かい? 息子をよろしくねえ」
「……おばさん」
ハルトが喋らなくなった頃から、町の人達と会話が噛み合わない事がよくあった。寸分違わず同じ言葉を繰り返すおばさんに、私は拒絶された気持ちになって、そっと店を離れる。
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