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北の嵐
ついに時代は動いた。外圧に耐えられなくなり、しかも内圧にも屈した形で幕府は瓦解した。将軍慶喜が政権を朝廷に返上したのだ。世に言う『大政奉還』だ。だが政権を返上したとはいえ実権はまだ旧幕府にあり、新政権樹立を進める西国諸藩との軋轢を増していった。
そうしてとうとう慶応四年、鳥羽・伏見の戦いが起きる。佐渡はその戦いの直後、京都御所警護のため南部藩兵とともに京に赴いていた。
「楢山さま、岩倉さまの使いが…」
南部藩の佐々木という若い藩士が袱紗(ふくさ)に包まれた手紙を俺に渡した。佐々木は家柄はいいが、元来の正直さと歯に衣着せぬもの言いで藩内の者に嫌われていた。藩兵として京にあがってもその直言は続き、差配役を困らせていたので俺が引き取った。
「まったくあの爺さん、しょっちゅう手紙なんか寄こしやがって。俺が情人に見えんのかな?」
「楢山さま!あいては公卿さまですよ?不敬です」
「不敬なもんか。いいか、あいつはくわせもののタヌキじじいだ。妖怪だ。灰坊主だ。たぶらかされておしまいだぜ」
「灰坊主ってなんですか?」
佐々木は江戸藩邸育ちだ。南部の夜話なんか知らないのだ。
「とりあえず西郷のところに行ってくる。手紙は帰ってから、読む」
「またそんな。いつも嫌なことを先延ばしにするって、悪い癖ですよ」
「俺の妻みたいなこと言うな。なかはおまえみたいにあばた顔じゃねえ」
「これはあばたじゃなくてにきびです。青春の顔です」
「いやうっさいおまえ」
俺はほうほうのていで南部藩が借りている寺を出た。このころ俺は西郷隆盛や桂小五郎としょっちゅう会合してた。岩倉具視もそのひとりだ。そうして付き合ううちに、俺は武士としてこいつらを幻滅した。薩長土肥、まったくどいつもこいつもひどいもんだ。まだあの新選組のやつらの方が武士らしかった。出自はさまざまなやつらだったが、誰もみな侍として生きていた。そういやあいつらどうしてるかな…。
新選組は鳥羽・伏見の戦いで敗れ、北に逃げたと聞く。そいつらが南部に来たらどうする?味方をすれば新政府の敵になるのだ。
その岩倉卿だが、俺にとんでもないことを勧めてきた。北国諸藩の勢力を集めて新政府に対抗しろというのだ。まったく東北の連中は純朴でおひとよしばかり集まってる。もうすでに卿に言いくるめられてる連中はかなりいる。とくに会津びいきだった陸奥藩と出羽藩が会津藩の朝敵赦免を願い、それが拒絶されると途端、奥羽越列藩同盟という軍事同盟に発展した。
「楢山さまはどうなさるおつもりです」
佐々木が目くじらを立ててそう聞いてきた。どうするも何も、俺はいくさなんか大きらいだ。太平の世に生まれ、長生きして死んでいくのを望む軟弱ものだ。なかといっしょにボケるまで、桜を見ながら暮らしたいんだ。
「どうもしないよ。まああれだ、亀だな」
「亀?」
「そう、手足も頭も引っこめて、嵐が通り過ぎるのを待つ」
「亀はひっくり返されたら終わりです」
「そう、なんだよなー」
ひっくり返されたら終わり。それは新政府か同盟軍か。だがそれは意外なところから手が出てきたのだ。
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