戦争

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ

戦争

京から帰郷の海路、仙台港についた俺は仙台藩家老但木成行(ただき なりゆき)に押しとどめられた。奥羽越列藩同盟に参画せよというのである。 「名前が気に入らん」 俺はそれを押し通すつもりだ。なにが奥羽越だ。東北諸藩同盟でいいじゃないか。だいたい家康公のときから東北諸藩はわざと仲が悪いのを寄せ集めたんだ。いまさら同盟だなんてちゃんちゃらおかしいぜ。 「きみは馬鹿か。名前などどうでもいいだろう。それより薩長の横暴には朝廷もお困りになっている。きみは勤王の意思がないのか?」 「この前まで幕府べったりだったあんたがよく言うよ」 仙台藩は伊達政宗がつくった。先進的で開明的でおまけに野心の塊のような公だ。だがいまは人がいない。時世を引っ張るような人がいない。だがそれはどこも同じだ。会津藩主の松平容保(まつだいら かたもり)はただひとがいいおっちゃんだし、まあ強いて言うなら越後長岡藩の河井継之助ぐらいだが、あいつは軍事オタクでしかも長岡藩のことしか考えてない。戦力にはなるが指導者としては何か欠落している。俺?俺なんかもっとダメだ。 「幕府の御威光に震え上がってたのは貴殿の藩だろうに。いままで幕府にすがりついてた田舎藩がなにを言うか」 「それ言う?いま言う?そうじゃねえさ。俺はただ藩士たちの未来を思ってだね…」 「で?それで農民を見殺しに?またこの前の一揆みたいにか?新政府のやつら、われら旧幕派からはとことん搾り取るつもりだぞ。それこそ金も人もだ。また年貢を搾り取るか?それこそ一揆どころじゃすまなくなる。うちの藩じゃもう助けてやれんぞ。」 「助けなんぞ要らん。われらは独立自営、その道もできつつあるのだ」 ハッタリじゃない。南部は三陸海岸で良質の砂鉄を産する。それは良質の鋳鉄の原料だ。南部鉄瓶が有名なのはそういうわけだ。その良質な鋳鉄を英国に売る契約を、じつは京都にいるあいだに結んだ。販売先は英国ハットマン商会。仲介したのは土佐の浪人の坂本龍馬だった。 「なら独歩の道を歩くがいいさ。だがな、先年の一揆の鎮静にわれらどれほど苦労したか」 「なっ、それは…」 「おぬしの義理のお父上に頼まれてのう。懇意だった幕府重臣の阿部さまとも相談してな、江戸表には小競り合い程度に一揆の規模を申告したわが藩の面子も、お考えくださればのう…」 「くっ…」 それはこの前の借りを返せ、と言っているのだ。これは俺の妻のなかの親父と阿部正弘がこいつにそそのかされてやったことだ。あとで俺はそれを知って激怒したもんだ。なかを離縁して江戸に叩き返そうと思ったほどだが、なかの顔や生まれた子供の顔を見てるとそんなことはどうでもよくなった。まあしかし、これはもうどうしようもない。借りは返さなきゃならんしな。 盛岡に帰ると、俺は藩論をまとめた。同盟に賛成なもの、同盟は嫌でも新政府に従いたくないもの、あくまで旧幕府の恩顧を忘れないものだけを残して、あとはみんな支藩の各南部家に引き取ってもらった。 「わたしもお供します」 そう佐々木が言った。こいつはバリバリの勤王派だ。旧幕派を老害と罵ったやつだ。それがなんで。 「お供したっていいことはないぞ。こういうときは勝ち馬のケツに乗っかるもんだ。もう越後も会津も南部もぜんぶ滅ぶ。武士の時代の終わりなんだ。おまえは江戸に出てもっと勉強しろ。案外、武士以外で食ってけるぜ、おまえならな」 「あんた以外のところで生きようとは思いませんよ。だいいちわたしは嫌われ者なんです。あんた以外にわたしを使えるものなんていませんから」 「すっげえバカ」 「どうおっしゃろうと結構です。じゃあわたしはこれで。鉄砲の訓練をしてきます」 鉄砲って火縄銃じゃねえか。あんな時代遅れなもんで、よく戦おうって気になるなあ。まあいいか。 遅く、家に帰るとなかは寝ずに待っていた。 「どうした?子供たちは?」 「みな寝ております」 「おまえは…」 「だんなさまはずるいです」 「え?」 「昼間、奉公人の源蔵から聞きました。わたしたち、江戸に行かされるって」 戦火はおそらく城下まで及ぶだろう。この屋敷にいたんじゃ危ない。義父のところに行かせるつもりだ。もう新政府がある江戸なら安全なのだ。 「俺が心おきなく戦えるためにもそうしてほしい」 「いやです」 「だめ。あしたここを出なさい。俺はだいじょうぶ。きっと生きて帰りますから」 「ほんとうですね?」 「ほんとうだ。生きてまたあの桜をおまえと一緒に見るんだからな」 そう言って俺はなかを抱き寄せた。なかは俺の腕のなかで震えていた。これでいい、これでいいと俺は何度も心のなかで言った。だがやっぱりあのもやっとした感情が、俺の心に沸いていた。 「いいから前進しろ!それから右翼に増援を向かわせろ。あれじゃ後方に回り込まれる」 大館南方に進出した南部兵は久保田藩兵を蹴散らしながら大館に向かっていた。俺は前線に立ち指揮をしている。なぜこんなことになったのか、俺にはまったくわからなかったが、ただ目の前の敵を打ち破る、その一点だけを目指した。久保田藩が奥羽越列藩同盟から離脱し、新政府軍とともに会津や庄内他を攻めようとした。やらなきゃやられる、そういう戦いだった。 「遮蔽物が多すぎる。燃やせ」 「しかし村を燃やすことは…」 「見通しが悪いとこっちの不利だ。家は建てればまた住めるが、人の命は帰ってこないんだぞ!」 俺は行軍する行く手の村々を焼かせた。こんな粗末な銃でどうやって戦えばいいんだ。藩士の命を守るせめてもの俺の戦いかただ。 畑や道端に死骸がゴロゴロあった。新政府軍の兵卒が被る陣笠を被っていたが、それだけでみな貧しいなりをしていた。みな百姓のようだ。なんで百姓がと思ったが、いままでさんざん武士にいいようにされてきたんだから、ここらで仕返しのひとつもしたくなったんだろうと思い、俺は手を合わせて立ち去ろうとした。 「楢山さん!」 佐々木の声だ。こいつは驚くほど戦場を駆け回り、居並ぶ銃列にも果敢に飛び込んで斬り込みをかけていた。まったくすごいやつだ。 「どうした?」 「女が倒れてます。もう虫の息ですが…」 どうやら軍夫のようだ。新政府軍のために兵糧や銃弾を運ぶのだ。久保田藩に限らずどこの藩でもそうやって軍夫を徴用する。だがどうやら逃げ遅れて、流れ弾にでもあたったのだろう。 「おい、聞こえるか?」 虫の息の女にそう声をかけた。せめて名を聞いてやろうと思ったからだ。 「なんで、だ?なんでさ村さ燃やす。おらたちが何した?おめさどもになにした」 「すまなかった。あやまる」 「あやつけるべやな(かっこつけるな)。そだらことで、許されるどでも、思っでるか」 「わがっだ、みなまでいうな。おめえさのごもめぐ(小言は)はあどがら聞いでやる」 「おだつ(調子に乗る)のもいまのうちだ」 女はもう息も絶え絶えで、それでも俺に恨み言を言いつづける。俺はもう頭のなかが限界だった。 「もうしゃべるな。医者を呼んでやる」 「かっちゃましい(うるさい)、おらは比内扇田の煙草屋の女房、みよだ、おぼえどけ、くそやろう」 そう言って女は死んだ。ああ、俺はクソ野郎だ。この女の言う通り、もうどうしようもないクソ野郎だ。だからもうどうでもいい。ああ、はやく帰りたい。なかと子供たちのいるところに。 「楢山さま!前進しましょう!大館城はもう目前です」 「そうだな。前進しよう…」 空に村の燃える火と煙が昇っていく。こんなに醜い空を見たのは、生まれてはじめてだった。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!