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もののふの道
明治二年、盛岡は夏の匂いに包まれていた。あれからすべてがまた少しずつ動き出した。人びとの営みもあのころと変わりなく、たしかに政府や仕組み、制度が変わっても、生きる人に変わりはない。ただ変わりゆくのは、人の心だった。
「またきみの恩赦の嘆願が来ているよ」
明治政府の軍監、山城高通がそう俺に言った。俺は寺の離れの一室で、座ってそれを聞いていた。山城は俺の明日の処刑を告げに来たのだ。
「そんなのは破り捨ててください」
「誰から出されたか、気にならないのか?」
さあてね。まあ藩主じゃないだろうし、まさか岩倉卿じゃあるまいな。だったら笑えるんだが。
「それにしてもわからないね」
「なにが、かな?」
「きみだよ。きみは大館城まで奪ったんだ。あの貧弱な兵装と人数で、よくそこまでできたと思ってるのだ」
「あんなのは誰だってできますよ」
「それはちがう。きみはわれわれの防御を排除しながら進んだ。しかも銃隊と斬り込み隊を交互に使ってね。いくさ下手(べた)の東北人だと侮ったわれらのせいだが、それにしてもまったくあきれるほど、あなたはとんだいくさ上手だったってわけだ」
そりゃちがう。ただ相手が弱かっただけだよ。みんな三百年以上も戦争なんかしてこなかった。そんな人間が、いきなり戦争なんかしても無様なだけだ。ああそうさ。俺たちはもっと相手が強くって、もっと手こずらせてくれたら、あんなところまで行かなかったのに。とっとと自領に引き込んで、すんなり降伏できたのに。多くの人間が死んだ。佐々木だって死ななかったろうに。江戸で弁士かなんかしてたんだろうに。あの女だって死なずに済んだろうに。
「敗軍の将に弁明もなにもありませんよ。それより水菓子が食べたいですね。梨がいいな」
「わかった。あとで届けさせよう」
「できればふたり分」
「ふたり分?」
「ええ、妻の分なんです」
翌日の早朝、盛岡城下外れの法恩寺で刑は執行された。刑は切腹、斬首をもって執り行われた。
花は咲く 柳はもゆる 春の夜に うつらぬものは もののふの道
彼はそう辞世の句を残した。彼は武士として死んだ。それは儚い一生だったのかもしれないが、意地を通し、おのれを捨てた生き方を選ばざるを得なかった時代を、彼は恨んではいなかったろう。
彼の心のもやもやは、彼が捨てるであろう生き方を、彼自身が感じていたのだと、そしてその幸せが、永遠に続かないことを彼は知っていたのだろう。
彼の妻や子供たちは宮古に移り、楢山が刑死したあともそこに住んだ。なかは毎年桜の季節になると子供たちを連れ、その一本だけ生えている桜を見に行くという。
彼女が何を思い、なにを桜の樹に語ったかは、誰も知らない。宮古の桜もまた、何も語らないからだ。
――完
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