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――一体どれだけ時間が経ったのだろう。
数十分とも数時間ともつかない時間の後、玉男の腹の虫がぐぅと音を立てた。
「お腹が空かれましたか?」
「あぁ、もうペコペコだ」
味川の問いに悲鳴をあげる。その時、鼻先をえも言われぬ香りが掠めた。
「お待たせいたしました。一品目のお料理をご用意しました」
闇の中に何かが蠢く気配がした。
「こちらをどうぞ」
右手の上に置かれるヒヤリとした感触は、カトラリーの柄に違いない。味川はさらに、玉男の左手を目の前に置いた料理の皿へと導いた。
「料理は食べやすいように一口大にカットしてあります。慌てずゆっくりとお召し上がり下さい」
手探り状態で、闇の中にフォークの先を突き立てる。一度目はカツンと皿にぶつかり、二度目はフォークの先を何かが掠めるような感触がした。
「これは難しいな。全く見えないというのはあまりにも食べにくい」
「じきに慣れるでしょう。もう少し手前ですよ」
三度目にして、ようやく何かが刺さる手ごたえを感じた。しかし相手はどんな大きさで、どのような形状のものなのかもわからない。下品かとは思ったが、口で迎えるようにして無理やり口中に収めた。
ふんわりとしたバターの香りと、サクリとした歯ごたえ。その奥に、血を思わせる鉄っぽい風味とハーブが入り混じった複雑な味わいが広がった。噛んだ歯にまとわりつくようなねっとりとした食感。
「これは……パテか? パテ・ド・カンパーニュ……いや、パイ包みだからアン・クルートか」
「ご明察でございます。いかにも、前菜は田舎風パテのパイ包み焼きでございます」
「だがしかし……これは豚か? いや、それにしては臭みが強い。レバーのような風味もあるが、独特の歯ごたえがあるようにも感じられる。これは……不思議だ。今まで食べた事のない味だ」
「お気に召しませんか?」
「いや」
玉男はさらに一口味わった後、言った。
「……実に素晴らしい。パテの滑らかな舌触りの中に、ところどころあえて残した弾力ある内臓の食感もいいし、独特の臭みとハーブ、さらにパイのバターが合わさった香りのバランスも絶妙と言えよう。これは素晴らしい」
「お褒めいただき、ありがとうございます。よろしければ、おかわりはいかがでしょう? ご希望であれば余分にお持ちする事もできますが」
「そうしたいところだが、我慢する事にしよう。まだこの先もあるだろうからな」
「かしこまりました。それでは、次の料理を急がせましょう」
あっという間にパテを平らげ、玉男は舌なめずりした。かえって空腹が増したようにも思える。一品目のオードヴルとしては最高の仕事だ。
暗闇の中で食べなければならないのは風変りではあるが、静雄の言う通り、シェフの腕は確かなものらしい。ガストロノミック・アカデミーと比べても遜色ない出来だ。
いやが上にも、玉男の期待は膨らまざるを得なかった。
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