桜と欲深

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 昔むかし。とある村。  城下では戦乱の世と呼ばれ荒れること久しいが、戦火の届かぬ山奥では、あまりいつの世も関係ない。  そんな山と山の間にぽつんとある村には、真っ白な幹の桜が生えていた。  いったいいつから生えているのか、村民は知らない。村長の子供の頃には既に生えていたらしいのだから、桜の寿命は百は越えているんだろうとは言われていた。  誰が呼び出したのかは知らないが、それは千年桜と呼ばれ、皆が見守っていた。  春になったら伸びた梢からは薄紅色の花が零れる。山桜はここまで見事な薄紅色ではないし、他の桜よりも長く咲く。  このふしぎな桜の下で、春になったら花見をするのが生業だった。  山菜を食べ、酒を飲み、今年も無事に乗り越えられますようにと祈りを込めるのだ。  桜は祈られていることすら知りもせず、ただそこで咲いていた。  ただただいつものように薄紅色の花をつけ、ぱっと咲いてぱっと散る。  いつもののどかな風景。  ──だったのだ。 ****  ある日、唐突に鎧を着込んだ足軽がやってきたとき、村民たちは武器を携えてそいつを追い出そうとした。  辺鄙過ぎる村は、税の季節にならなければ殿様の使いだってやってこない。今は税を納める季節じゃない。  そんな季節にやってくるのは、大概は落ち武者だ。落ち武者に暴れられたら男は死ぬし女は慰み者になる。生かしちゃおけねえ。  そういきり立っていたのだが、それには足軽が慌てた。 「待て! 殿がここに待機したいので、場所を提供してほしい!」 「……戦のですか?」 「この地を借り受けた暁には、褒美を取らすとのことだ」  村民たちは胡散臭く思いながら顔を見合わせた。  殿様は大概は村民を下に見ている。いいように使って約束を反故にするんだろう。しかしひとりふたりだったらいざ知らず、殿がやってくるということは、殿の侍がたくさん付いてくる。ひとりふたりだったら村民たち全員で殴り倒せば済むが、多勢に無勢だ。  村長は村民たちに言った。 「適当に酔い潰して早く帰ってもらおう」  こうして、村長宅に殿を泊め、その他の皆を村の神社を空けることで宿泊場所とした。  それからしばらくして、殿がやって来た。  殿の小姓からは「今は戦のために山を越える必要があったのです。皆様には感謝しております」と腰低く挨拶され、村民たちも悪い気はしなかった。  酒を出し、食事を出す。早めに寝てもらえば、村民から被害は出ないだろうという判断であった。  しかしこの殿。なかなか酒に強く、神社に集まって飲んで食ってを繰り返していた者たちは皆酔いが回って眠ってしまったというのに、いつまで経っても寝やしない。  それどころか、村に一本太く大きく立っている千年桜に興味を示していた。 「あれはなんだい?」 「千年桜です」 「ほうほう、千年生えているのかい?」 「それはわかりません。ですが、私の子時代には既に花は咲いておりました。私の曽祖父もこの桜を愛でていたそうですので、それくらいは咲いているのかと」 「ほうほう……そりゃあ春になったらさぞや見ものだろうねえ」  その言い方が気に食わなかったら、村長はそれ以上言うことはなく、「山を越えるならばそろそろお休みくださいませ」とさっさと殿を寝かしつけるにとどめた。  その桜に目を付けられたことこそが、この騒動のはじまりだとは、そのときは誰も知らなかったのである。 ****  自分たちの殿が戦で大勝利を治めたらしいというのは、山を越えている商人から話を聞いた。 「なんでもここの殿様、もっと国をよく治めるために、新しい城を建てるんだそうで」 「それはよろしゅうございますなあ」  口ではそう言いながらも、村長は「税が上がると嫌だな」と思った。偉い人間は増税の口実を常に探しているのだから。  その中で商人は「ところで」と口火を切った。 「殿様は庭に飾るための桜を所望しているそうだ。津々浦々の名花を庭に並べて飾るのだとか。ここの千年桜もその名誉に預かれるんじゃないかい?」 「とんでもない」  村長はきっぱりと切って捨てた。 「これはうちの村のものですよ。いくら殿様にだってあげる訳がない」 「そうかい? あの殿様、金払いはかなりいいけれど」  商人は首を傾げていましたが、村長はそうとは思えなかった。  以前に山越えのためにこの村一帯を借りに来た際、たしかに褒賞は弾んでいた。しかし村長はその支払いになにやら嫌な思いをしたのだ。  山と山の間にあるこの村で、酒も食事も贅沢品だ。それを好き勝手飲み食いして支払ったもので、皆の飲み会を数か月も我慢させる分が賄えるとはどうしても思わなかったのだ。  千年桜は、村長の曽祖父の代から皆が愛できたもので、金だけで賄えるものではない。  村長はそうきっぱりと言い切っていたが、残念ながら世の中商人のような考えの人間は多いのだ。 **** 「この千年桜は実に見事なものだ。山桜のように大味でもなく、梅や桃のようにお高く留まってもいない。これは庭に飾るにふさわしい花なため、もらい受けたいと思うが!」  村民たちは口をあんぐりと開けた。  殿が運んできたのは、米俵がたんまりと。炭や薪もたくさんあるのだから、これならば冬を越えるまで遊んで暮らせるだけの備蓄ができる。  殿の持ってきた贈り物は魅力的だったが、それに真っ先に否を唱えたのは、子供であった。 「でもうちのおかあ、冬に弟か妹を産むんだ。弟か妹はもう千年桜を見れねえんじゃねえか?」  それに村民たちはぐらつきました。  彼らにとって、千年桜はあって当たり前なものだった。それが一生お目にかけられない生活というものを考えたこともなかったのだ。  次に声を上げたのは男だった。 「そりゃたしかに米も炭も薪も魅力的だが……桜の花が咲いた頃、俺たちゃようやく春が来たことにほっとするんだ。春の目印なんだ。目印なくなったあとは、どうやって春の知らせを知りゃいいんだ?」  それに移り気だった村民たちも、それぞれ頭に思い出が浮かんだ。  桜の枝の面倒を見るのが骨が折れるが、村の中の男がきちんと切った枝を焼き、冬になったら藁をかけてやる。都から流れてきた者に教わった桜を労わる術は、千年桜を充分長生きさせた。  子供たちははしゃいで千年桜にもたれかかって鬼ごっこをしていた。耳をくっつけると、この太い幹がたしかに生きていて水を吸っていることを知る。  花見をして、春を知る。山菜は苦くて子供は食べられないが、その苦みを噛みしめて大人になるのだ。  日常の中に常にいる千年桜がいなくなることは、この村で生きてきた村民たちにとっては死活問題だった。 「俺たち、春がなくなっちまう。お殿様には桜はあげられねえ」 「山桜じゃ駄目なんだ。他の花はわびしいんだ。帰ってくれ」  帰れ。  帰れ帰れ。  帰れ帰れ帰れ。  村民たちが声を上げて殿に訴えると、殿は「はんっ」と鼻で笑った。 「目先のことしか考えられない奴らだな」  それだけ言って帰っていった。  何故か米と炭、薪は置いて行ったが、村長は「蔵の中に入れておきなさい。手を付けたらきっと大変なことになる」と注意して、誰も手を付けることがなかった。  その日の夜。  嫌な予感がしたため、神社には男衆たちが集まり、酒の代わりに沸騰させた水を舐めながら千年桜を見張っていた。  皆で交代ごうたいで休みを取り、見張りを続けている中。  がっさごっそと音がすることに気付いた。  男たちは一斉に武器を持って立ち上がる。 「お前ら、人の村のもんなにやってんだぁぁぁぁ!?」  男たちは問答無用で穴を掘っていた男たちを捕まえると、一生懸命どつき回してふんじばった。  ごろんと転がしたのは、黒づくめの着物を着た男たちだった。皆で服を引っぺがして確認したら、それは殿の部下だったのだ。 「困ります。夜中に桜を持って行かれては」  こうなるだろうことを予想していた村長は、きっと睨んで殿の部下を睨んだ。  すると部下は訴える。 「前払いで米も炭も薪も用意した! これ以上はなにを寄越せと言うんだ!?」 「米も炭も薪も手を付けてはいません! 勝手に置いて行ったのですから持って帰ればいいでしょうが! 米も炭も薪も、使えば消えます! でも今日の一件で消えたものがあるんですよ!」 「なんだそれは!」 「信頼ですよ! 信頼なんて、一朝一夕で生まれる訳がないでしょうが!」  村民たちからしてみれば、もう殿は敬うべき人ではない。  殿にとっては千年桜は庭をにぎやかす花のひとつでしかないが、村民たちにとって千年桜はあって当たり前のものであり、消え物だけで賄いきれる存在ではない。  自分たちに物を渡せば平気で人の心を凌辱してもかまわないと思っている敵だ。  敵に情けは必要ない。  全員米も炭も薪も放り出して、ついでに部下も村はずれに放り出した。  そのあと皆で、獣避けに使われる棘付きの柵で村を覆い、村の外にはあざみの花を撒いた。  もう自分たちの気持ちを無茶苦茶にされるのはこりごりだと思ったのだ。 <了>
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