最愛の裏切り者

2/2
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/2ページ
ーーコンコン。 不意に戸がノックされる音が静かな部屋に響いた。 「はい」 短く返事をすると、黒いスーツを身に纏った幹部もとい兄が顔を出した。 眉間に皺を寄せ、睨みつけるように私を見ている。 いつだって兄の顔は険しい。怒っているわけではないと分かっていても、体に緊張が走る。 その緊張をおくびにも出さず、すまし顔で「どうかしたの、兄さん」と返す。 「……またあいつのことか」 「あら、何のこと?」 すっとぼけて首を傾げる。 「隠すならパソコンの画面を消してからとぼけるんだな」 「失礼ね。あなたたち幹部がまた仕事をしたから、私が事務処理をしているんでしょう」 私は机に開かれていた、今朝渡されたばかりのファイルを手に取りチラつかせる。 兄の眉間の皺が深まった。 「……」 返す言葉もなさそうだ。 「それで? 私に何か用事? また私の仕事を増やしに来たの?」 「……悪い」 図星か。 せめて知らない名前であってほしいと願いながら、新にリストに乗る人物のファイルを受け取った。 チラッと覗いたファイルの中には、名前だけは知っているが話したこともない相手の情報。 私は内心でほっと胸をなでおろした。 兄に視線を戻さないまま、私は自分の記憶から逃げるようにマウスを操作して画面を下にスクロールした。 私の記憶も、自分の目の届かないところに消えて欲しい。もう思い出せない場所に。 そんなこと、彼が知ったら怒るだろうか。 いや……。 きっと、『それでいいよ』なんて言って笑うのだろう。 自分が所属する組織を裏切ってまで彼と一緒に居られなかった。そうした所で、組織は直ぐに私を見つけ出し、彼諸共私を消したことだろう。 それに怯えて彼の存在を消したのは私なのに、名前を見ただけで彼を思い出してしまう。 いや、裏切ったのはお互い様か。 彼は私たちの組織を裏切っていた。 私は組織に刃向かえず、最愛の人を裏切った。 それでも私は今でも彼を愛している。 彼が最期にくれた愛の言葉に返した私の囁きも、心からの言葉だった。 『あなたは最愛の裏切り者よ』 了
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!