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二人が向かった先は、志賀光蔵という資産家の別荘で、場所は東京の郊外。緑の木々に囲まれた森のような環境にありながら、幹線道路からもそれほど離れていない、恵まれた立地になっていた。
建物に足を踏み入れると、先に来ていた警官たちから、まず二階の書斎へと案内される。そこが事件の現場であり、志賀光蔵が殺された部屋だった。
窓際に机と椅子が一式置かれており、机の上にはノートパソコン。手前には本棚が二つあるが、家具はそれだけで、来客をもてなすようなテーブルもソファーも用意されていない。
本棚に並べられた蔵書も思ったほどの数ではなく、ちらりと本のタイトルを見た限りでは、知らない小説ばかり。書斎といっても、読むためというより書くための部屋だったのだろう。
ざっと部屋を一瞥した段階で、明田山探偵はそんな印象を受けた。
床には赤いカーペットが敷き詰められているが、元々の色とは明らかに異なる、どす黒い赤の染みも目立っていた。
ちょうどその辺りに、倒れた人の形が白いロープで描かれている。死体は既に警察に運び去られた後だが、その場所で発見されたのは一目瞭然だった。
「通報を受けて、自分たちが駆けつけた時には、こんな状態でして……」
若い警官が、奈土力警部に数枚の写真を見せる。
彼の後ろから明田山探偵も覗き込んで確認すれば、この部屋の様子だった。死体や遺留品などを鑑識が持ち去る前に、様々な角度から撮影されたものだ。
写真の中では、白髪の老人がうつ伏せで倒れていた。まだ夕方なのに、もうナイトガウンを着込んでいるのは、書斎でくつろいでいる最中だったのだろう。
頭から血を流しており、凶器らしき白い花瓶も転がっていた。ただしその位置は少しだけ離れているし、そちらの方にも血が溢れた痕跡がある。殴られた場所で倒れてそのまま死んだわけではなく、少し這って進んでから絶命したようだ。
そして重要な意味がありそうなのが、老人の両手だ。右手にはペンを握り締めて、左腕では一冊の本を抱え込んでいた。
ちょうど明田山探偵と同じタイミングで同じ部分に着目したらしく、奈土力警部も、その本について言及する。
「ふむ。これが例のダイイングメッセージだな?」
「はい。その角度からでは、よくわからないと思いますが……。こちらをご覧ください」
そう言いながら若い警官は、別の写真を奈土力警部に示した。
問題の本をアップで写したものだ。
文庫本ではなく、立派に装丁されたハードカバーの新書サイズ。本のタイトルとしては『明日あなたが会いたいと』と印刷されているのだが、その三文字目から五文字目まで、つまり「あなた」の三文字に被さるようにして、二本の横線が書き加えられている。
わずかに歪んだ箇所もあるので、定規などは使わず、フリーハンドで引いた線だ。印刷されたものではなく、ボールペンか何かで後から書かれた線だから……。
「被害者がペンを手にしていた事実と合わせれば、彼が死に際にやったのは明白。いわゆる死に際の伝言、ダイイングメッセージというやつですな」
明田山探偵の呟きに対して、奈土力警部は振り返ることなく、頷いてみせるのだった。
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