後宮夜譚

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 ようやく真珠夫人はただならぬ状況かもしれないと察したのだが、身構えるには遅すぎた。  散乱した絹の衣装、壊された寄木細工の宝石箱、丁寧に布に包んでいたはずの真珠の連なる銀の髪飾りは剥き出しである。外から手にしていた油ランプが寝室の状況を映し出す。  砂漠の向こうから取り寄せた瑠璃の瓶はコルク蓋が引き抜かれ、ふんわり薔薇の芳香が夫人の鼻腔をかすめた。  一瞬のうちに、扉横の暗がりに身を潜めていた何者かに灯りを奪われ闇の中に引きずり込まれた。  悲鳴を上げる前に、汗ばんだ固い手の平が顔に押し付けられた。  必死に手を振り回し足を蹴り上げて暴れれば、背後から羽交い締めにされる。  侵入者の広い胸や固い腹の筋肉、弾力のある脚の強さを全身で思い知る。  そして、干し草のような匂いと野生の動物のような体臭、それらが部屋中に広がる薔薇の香りと混濁し、その濃厚な匂いに夫人の頭の芯がしびれた。  拘束されているのか、抱きしめられているのか、ふりほどけばいいのか、しがみつけばいいのかわからない、どちらともとれるあわいの妖しい感覚におぼれそうになる。   息ができない。  窒息死を覚悟した時にようやくその手が緩んだ。 「し、しいッ。暴れるな。……手荒なことをするつもりはない。頂けるものを頂いたら去ってやる。あんたの、細首を飾るのは真珠か?桃色の照りと巻きが美しく、まるであんたそのもののようだ。それに、これほどの大きさの大真珠は拝んだことがない。よく見せろ」  床に転がっていた灯りに顔を向けさせられた。  天井に踊る影は龍山に巣くう鬼のようだ。  男の、荒い息が頬に触れ、熱さに体が震えた。  男は、真珠夫人の首の金鎖から大真珠を引きちぎる。  親指の関節ほどあるその大きな神秘の結晶を、男は目をすがめ炎に透かし愛でた。  それはたちまち夫人に取りかえされることになるのだが。 「これはわたくしの命よりも大事なもの!欲しければこの腹を引き裂いて奪ったらいいわ!」  夫人は、握りしめた真珠を口の中に押しこんだ。  なんとか嚥下しても胸の半ばで巨大な岩の塊のようにつっかえる。  たちまち自分のしでかしたことの愚かさを悟っても、飲み下すこともはき出すことも出来そうにない。  大きく開いた口からひっひっと苦しい息が漏れた。  汗と涙を全身から噴き出させ、美貌を苦しげにゆがませる。
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