後宮夜譚

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 先ほどの苦しさを思えば、はき出せるとはとうてい思えない。  いっそのこと腹を割いて取り出した方が楽なのではないかと、寝室にナイフはなかったかと夫人は目を泳がせた。 「……馬鹿な考えはよせ。命より貴重なものはないと俺が言ったことをもう忘れたのかよ。それに、遅かれ早かれこの国は内部から崩壊していくだろうって予言してやる。あんたらの好きな神託だと受け取ってもらってもいいぜ。俺は無鉄砲な奴らに乗せられてここまで来たが、途中で増税に苦しみ、飢饉に苦しみ、疫病で苦しみ秀王を呪う町をいくつもみてきた。土台がそんな有様だというのに、この国の中枢の、豪華絢爛贅沢三昧、酒池肉林……。王城が自己保身の近視眼の無能者たちが支配しているなんて思いもしなかったぜ。ここに来て、よおうくわかった。俺たちが動こうと動くまいと、この国の終焉はすぐそこだ。俺が宴を抜け出しあんたの館に侵入できたのも、何も特別なことをしたわけじゃない。あんたを守る者が既に逃げ出していなかったからだ。あと三日もこの国は持たないかもしれないぜ?俺は、真珠が気に入ったんじゃない。あんたが気に入ったんだ。酒と女に溺れる仲間を置いて帰る前に、あんたの何かが欲しかったんだ。それを、俺の戦利品にしようと思ったんだが」 「ものには意味がないっていったでしょう」 「あはは。それもそうだな。それじゃあ、一番大事なものをいただこうか?あんたをこの内部から爛れて腐っていく殷国奥津城から奪い去ろうか?……美しい絹の衣を脱ぎ棄てて、俺とくるか?強制はしない。決めるのはあんただ」  さし伸ばされた手を衝動的に女はとった。  一度握れば離さない。  痛いほど強くて熱い、たくましい手だった。    その深更のこと。  後宮に、鎮圧部隊の千の矢の雨が降る。  王を人質に後宮を占拠し、わが物顔に乱暴狼藉の限りを尽くしていた暴徒たちは粛清される。そのときに、暴徒たちを身を挺して引きとどめていた女たちも犠牲になったのである。  暴徒と10人の妃たちは全員死亡と公文書には記録されたのだが、ひとり夫人を抱えて馬を巧みに操り矢の雨をくぐりぬけ、龍虎門外へと逃亡した馬賊の若者を見たというある宦官の日記が残されている。  さらわれたのは真珠夫人ではないかと噂された。しかしながら、10年たっても20年たっても大真珠は市井に出回ることはなかった。 馬賊の若者と真珠夫人の行方は、誰も知らない。
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