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入院してよかったこと
「綺麗ね。」
病院の敷地内にある小川に沿って植えられた、桜を見上げながら、永子は隣に座る恭一に息がいかないようにして、桜をほめた。
「そうだな。」
「私ね、入院してよかったことがあるの。」
「なに?」
「あなたとこうして、毎年貸し切りでお花見ができること。」
恭一は微笑んで、永子の髪を撫でた。
「あ!」
「なに?」
「ううん。なんでもないわ。」
永子は髪のにおいを気にしていた。病院では入浴日が決まっていて、月水金だった。そして今日は日曜日だ。においが気にならないはずはない。
そんなことを思って、そっと身を離した永子だったが、恭一がそれを追うようにして、肩に腕をまわした。
そして抱き寄せて言った。
「永子は、いい匂いがする。相変わらずだな。」
「嘘。」
永子の口調はついきつくなっていた。
恭一は驚いたように目を見開いてから、クスッとした。
「女にとってのいい匂いと、男にとってのいい匂いは、違うんだよ。」
「違うわけないわ。臭いでしょう。」
「まあ、臭いけどね。」
「ほら、やっぱり。」
「でも、嗅いでいたいんだ。そんな匂いなんだ、永子の匂いは。」
そう言って、恭一は永子を抱え直した。さっきまでより、もっと近くにだ。
永子は複雑だった。
満開の桜の下で、桜吹雪を浴びているのに、自分には少しも桜の香りが感じられなかった。たぶん、体臭でかき消されているのだ。
「桜のほうがいい匂いよ。」
「僕が嗅いでいたいのは、永子の匂いだ。」
「もう! お花見の意味がないじゃない!」
甘いことばかり言う恭一に、永子はふてくされた。
恭一は何がおかしいのか、肩を揺らして笑っていた。
そんな春も、あった。
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