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川辺にて
「花は散るけど、桜はとくに散るなあ。」
ある年のことだった。
二人は恒例となったお花見をしていた。
恭一の肩に頭を預けて目を閉じたまま、永子はなんとなく笑いだしたくなった。花は散るけど、桜はとくに散る……意味がわからないわ。そして泣きたくなった。
恭一は永子の頭に手のひらを当てていた。永子が眠っている時に、何かちょっと訊きたいことがあると、恭一はいつもその温かい手のひらを永子の頭に当てた。優しく目を覚ます永子に、尋ねたいことだけきいて、そして「おやすみ。」を言う。いつもそうだった。
恭一が、手のひらを少しだけ動かした。
「永子? 眠いのかい?」
永子は頷こうとした。
だが、体はもう動かせなかった。
せめて恭一の腕を握る力を強めて微笑もうとしたが、やはり動けなかった。
悲しくて、悲しくて、薄れゆく意識の中で必死に(愛してるわ。)とくり返した。
ふと、思い出した。
棺の中に横たえられるとき、人はみな微笑んでいる。
そうだ。たった今は無理でも、最後には微笑みを遺せるのだ。たとえ造られた笑顔でも、血色の良いお化粧も施される。
( 綺麗にしてもらえる。私のメイクよりずっと上手いかもね?)
心のなかでクスクス笑って、永子は安堵した。すぅっと、息が抜けた。
恭一は眠った永子の背中に腕を回して、胸に抱き締めた。手のひらを添えたときはいつも、そっと離して去っていたのだが、今日は……今回はそうした。
「おやすみ……。」
そのまま日が傾くまで、恭一は永子の体に残された温もりと匂いを、川風から守り続けた。医師からは、最後の外出になるかも知れないと告げられていた。
吹き飛ばす風の証である、舞い散る花びらが、ここ数年二人で毎年眺めた桜の儚さが、心底恨めしく、そして……永子のために歌を歌っている小さな天使たちでもあるようで、綺麗だと思った。口にはもう、出さなかった。
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