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蓮士の章
これまで四人の学生が教官に指名され、前に出て唱和したが、第七号まで言い切れた者は一人もいない。
「拳銃を手にしたときは、回転式拳銃にあっては弾倉を開き、自動式拳銃にあっては弾倉を抜き出し遊底を引いて、たまの有無を確かめること」
自分はどうするべきかと思案しながら、糸井蓮士は拳銃の安全規則を唱えていく。目の前にはクラスメイトがずらりと並んでいる。蓮士は五人目に指名され、前に出たのだった。
みな絶望的に表情が暗い。拳銃の安全規則は、「拳銃の授業までに覚えておけ」と命令されていた。だがまさか指名され、前に出て言わされるとは予想していなかった。次は自分かもしれない。蓮士を見つめる学生の目には、「どうかお前で終わらせてくれ」と祈るような熱が込められている。さて、どうしたものか。
「射撃するときのほか、回転式拳銃にあっては撃鉄を起こさず、自動式拳銃にあっては、所属長が特に指示したときを除き、薬室にたまを装塡しないこと」
とりあえず二号目を唱える。蓮士の後に続いて、クラスメイトが唱和する。
「射撃するときのほか、用心金の中に指を入れないこと」
三号目までは、つかえながらも全員がクリアできていた。問題は四号からだ。
『目立つな』
親父の言葉が頭に過った。
『目立つな。けして正体がバレてはいけない。万人として粛々と訓練をこなし、顔のない警察官になれ』
「射撃の目標物以外のもの又は跳弾により……」
蓮士は言葉を切った。射撃場の空気が凍りつく。隣にいる教官が一歩、蓮士に歩む。
蓮士はギブアップを示すため、顔を伏せた。はあ、と落胆の吐息が、前に並ぶ学生から溢れる。
「五人続けて言えないとはどういうことだっ! なぜやれと言われたことをやらないっ! 貴様には警察官の自覚がないのかっ!」
ヒグマのような大柄な教官が、蓮士の頬を殴った。大胆な動きのわりに痛みは軽く、これはパフォーマンスなのだと理解する。蓮士は頭が動いただけで、よろけることはなかった。
「自覚がないのかっ!」
「ありますっ!」
蓮士は威勢よく答えながら、茶番だな、と内心では白けた気分だった。考えなくても答えられるようなことを、なぜ言わせるのか。なぜさっさと授業に入らないのか。教官にクドクドと怒鳴られながら、蓮士はあの日のことを思い出す。
『警察官になれ』
高校二年の冬、蓮士は親父に告げられた。親父と言っても血縁関係はなく、蓮士という名も、本名ではない。元は昴という名だった。もっとも、それで呼ばれた記憶はない。いつも自分は、「おい」とか「アレ」と呼ばれていた。「おい、そこから出るなよ」実の父親の声を聞いたのは、それが最後だった。蓮士は言われた通り、押し入れの中でジッとしていた。蒸し暑い夏の日だった。糞尿を垂れ流し、飢えを唾液で誤魔化し、朦朧としながら、父親の帰りを待っていた。
(早くきて。ここから出して)
栄養失調の七歳の子供には過酷すぎた。熱中症で死にかけていたところを、当時闇金をしのぎにしていた親父に救われた。その日は取り立てだった。
無事に採用試験を突破すると、親父は言った。
『今年、六鳴会の組員も警察学校に入学したと聞いている。お前と同じ異分子だ。見つけ次第、学校から排除しろ』
その言葉を反芻しながら、目の前に並ぶ、学生を見回す。どいつもこいつも情けない表情だ。警察学校に入校して一週間。蓮士が気づいたことは、警察官になるような人間に、秀でた者はいない、ということだった。射撃場の薄灯りの中でも、学生が青白い顔をしているのが分かる。一体、何を恐れることがあるのか。
目立つなと言われている。でも『覚えろ』と言われたことをただ言うだけだ。それで目立ってしまう組織を警戒する必要が、あるだろうか。
「もう一度チャンスを下さいっ!」
蓮士が言うと、教官は意外という風に目を丸くした。「一回だけだぞ」と許可を出す。
蓮士は姿勢を正し、口を開いた。つかえず最後まで唱和し、無駄な時間を終わらせた。
「拳銃の安全規則を前に出て言えなんて、アレはビビったね。俺、一つも覚えてないからヤバかった」
教場にモップをかけながら、知久芳樹が言った。ホームルーム終了後、夕食までの二十分間は清掃時間だ。担当場所を班で清掃する。
班は六人編成で、卒業まで変わらない。食事も入浴も常にこの六人でとる。だから必然と距離が縮み、会話が増える。
「覚えてこいって言われただろ。やる気がないなら辞めちまえよ」
机を拭きながら、氏家学人が言った。キリリと精悍な顔。柔道有段者で上背があり、肉体は武人のように逞ましい。見るからに正義感の塊で、三世代で警察官という、まさに警察官になるために生まれてきたような男だ。
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