ロングタイム

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「絶対、秘密にする!」  泣き出しも取り乱しもせず、彼女はきっぱりと告げた。  予想外の反応に、私は呆然としていた。  ついうっかりと、私の本体を目撃されてしまった直後のことだ。  いや、『ついうっかり』では済まない。これは『重大で深刻な事案』だ。  目撃者の記憶を消去、もしくは改竄の後に、本部には報告せねばならない。本部から規律違反の調査担当者が派遣され、長時間の取り調べを受けることとなる。この地域への影響はどれほどか、『我々の存在を悟られない』という基本方針を侵してはいないか……等。結果によっては罰が加えられる。良くて研究事業の報酬減額、悪ければ本国に送還の上謹慎。もちろん、この地域での研究継続はできなくなる。地位の低い一研究者の私にとって、これは大きな痛手だ。  そういうわけで、私は珍しく狼狽えていた。 「秘密にする……?」  私はぼんやりと、目の前に立つ彼女の言葉を繰り返す。  彼女と私はいわゆる『賃貸マンションのお隣さん』だった。会社に勤務している一人暮らしの彼女と、同じく会社勤めの私。廊下で会えば挨拶を交わし、天気の話をして別れる。派遣される前に研修で学んだ、怪しまれない交流の仕方。私は常にそのやり方を守り、平凡な住民のふりを続けていた。  今日はたまたま、ドアに鍵をかけ忘れていた。  外出から戻った際、私は必ず専用のシャワーを浴びる。この地域での汚染や罹患を防ぐためだ。擬態用の外皮を脱ぎ、改造済みの浴室で、水道水ではなく専用の洗浄液で洗い流す。  雨に降られたせいで、気が焦っていたのが災いした。帰るなり外皮を脱ぎ捨てて浴室へ飛び込み、シャワーで全身を念入りに清める。洗浄を終えてもたもたと新しい外皮を着ている最中に、彼女がドアを開けてしまったのだ。  私の本体は、この地域の人間たちにとって醜悪なものではない……恐らく。しかし、明らかに彼らとは異なる形状をしていた。  ここで彼女が騒ぎでも起こしたら、全てが台無しだ。  ……なのだが。 「絶対、秘密にする!」  私が何者かを聞きもせずに、彼女はそう言った。 「……何を秘密にするの?」  率直に聞くと、彼女はうっと言葉に詰まった。 「ま、まだわかんないですけど……」 「わからないのに”秘密にする”の?」  ますます不可解。この人間は何を考えているのだろうか。 「で、でも、私に見られて、あなたが困っているのだけはわかるよ!」  力説する彼女。 「あなたは悪い人じゃないと思う。だから協力したいの」  彼女の手には回覧板のフォルダ。何度か回ってきたことがある。恐らくこれを届けるために私の部屋を訪れたのだろう。それを両手で胸に抱き込むようにして、彼女は私を見つめた。  本体をこの地域の住民に晒したまま、私は凍りついていた。  黙り込む私に、彼女は再び口を開いた。 「あ、あの……良かったら、あなたが何者か教えてくれない?」  体液が痺れるほど冷え、全身を駆け巡った。  このような場合、基本的な対処は”消去”だ。目撃者の記憶を部分的に改竄、もしくは消去。事態によっては目撃者自体の処分すら許可されることがある。よほど深刻な事態の時に限られるが。  だが、この時の私は人生で最も動揺していた。  そして、この失態を本部に知られたくないと焦っていた。  動揺と自己保身、この二つが私を滅茶苦茶な結論に導いた。私は外皮を身に着け、今度こそドアを閉めると彼女を部屋に通した。  そして、素直に私が何者かを告白してしまったのである。  話を終えた後、彼女は恐る恐る私に聞いてきたものだ。 「……地球侵略とか、しないよね?」 「しませんよ!」  侵略が目的ならば、こんな面倒な形で潜伏などするものか。  急いで否定した私に、彼女は安心したように笑いだす。  それから、私と彼女の長い付き合いが始まった。  私たちの本部は、長い間の調査を経てこの地域に数多い拠点を作っていた。なるべく人口が多い街の、入れ替わりが激しい集合住宅がほとんどだ。このマンションもそのひとつで、彼女との出会いと秘密の露見は、ほんの偶然だ。  しかし、この日の出来事は意外にも私の研究に大きな進展をもたらした。彼女は秘密を守るだけでなく、私を友人として扱ってくれたからだ。私は彼女と連れ立って、様々な場所へ出かけることができるようになった。私の研究対象はこの地域の文化と風俗だ。彼女の存在は、現地調査に大いに役立った。もっとも、調査場所の選定は彼女の趣味や嗜好を重視したものとなったが。 「画像撮ったよー。ねえ、これは食べても大丈夫?」  カフェのテーブル席で、スマートフォンを片手に彼女が聞いてくる。目の前の食器には色鮮やかな菓子の数々が載っていた。彼女曰く『流行りのスイーツ』とのこと。 「ちょっと待って……うん、成分的には問題ない」  スイーツの成分分析を終え、私は装置を片付ける。普段通り、他の客にも店員にも見咎められていない。これは協力者のおかげでもある。女子二人がスマートフォンで記念撮影、という形をとれば誰にも怪しまれずに済む。彼女の助言を受け、記録や計測に使う機材はスマートフォンやタブレットに似た形状に改造済みだ。  優秀な現地アドバイザーは、作業を終えた私ににっこりと笑いかけた。 「よし! それじゃいただきまーす」  言うなり一口目をぱくりと頬張る彼女。この地域の住民はとても楽し気に食物の摂取を行う。食べるという行為は彼らにとって必要な行為であり、同時に快楽を伴うものらしい。 「い、いただきます……」  その物体を一口大に切り分け、そろそろと口に入れる。毒ではないと判明していても、未知の物体を摂取するにはいささか勇気が必要だ。柔らかな部分と小さくぱりぱりとした部分が合わさって、面白い。 「おいしい?」  聞かれて、私は一瞬迷う。  味という感覚は私にはない。私たちの種族は食事を”食べられるもの”と”食べられないもの”、それに”有害なもの”という3種類に分類している。”食べられるもの”は単に摂取が可能なもので、私たちは必要な時にそれを体に入れる。ただそれだけだ。  私がこの食物を摂取するのは、あくまでも調査の一環だ。そこには充足感も満腹感も、ない。  でも、彼女と食物を摂取するこのひとときは、私を心地良くさせる。  だから、私はいつもこう言うのだ。 「うん、おいしい」 「結婚!?」 「そう。てな訳で、これ。来てくれる?」  満面の笑みで、結婚式の招待状を差し出してくる彼女。 「わ、私が? あなたの結婚式に?」  こんなに驚いたのは、本体を見られた時以来だ。 「うん。結婚式に出席するなんて、めったにないチャンスでしょ?」  初めてもらった招待状が珍しくて、私はじっと見つめた。教えてもらった彼女の名前と、知らない名前らしき言葉が並ぶ。  聞いたところ、結婚相手は彼女の職場の人間らしい。そういえば、私はこの地域の『結婚』という行為を詳しく調べたことがなかった。まだまだ知らない事が多いと、改めて己の無知を痛感する。後で本部に情報を送ってもらおう。 「まあ、他の人に怪しまれない程度に、思う存分調べまくってよ!」  彼女の声は弾んでいた。 「気持ちは嬉しい。けど……」 「スピーチは他の子に頼むから、心配しないでいいよ」 「そうじゃなくて」  躊躇う私に、彼女は不意に真面目な顔で告げた。 「一応言っとくけど、彼にも言わないからね」  ”何を”とは言わない。  彼女は秘密を守り続けるつもりなのだ。これから一生を共に過ごす配偶者に対しても。  彼女は、一度した約束を決して破らない。  彼女がそういう人間であることを、今の私はもう知っている。 「わかった、出席する」  そう答えた後、はっとしてもう一言付け加えた。 「おめでとう」 「ありがとう!」  目の前の笑顔を、私は眩しいと感じた。この輝かしさは何だろう。 「今まで、ありがとう」  白いシーツ、薄暗い病室。  長い闘いを終え息絶えた彼女に、私は別れの言葉を送った。  もう彼女は答えない。二度と。  触れていた皺深い手が急速に冷えてゆく。彼女の体が生命活動を終えた証拠だ。わかっていたのに、いざその時が来ると私の体は震えた。  彼女の横たわるベッドの周りで、彼女の子と孫たちが泣いている。私も俯いて彼女の死を悼む。  私の体は涙を分泌しない。でも、心は涙を流している。 「ご臨終です」  脈拍や瞳孔などを確認した後、医師はゆっくりと告げた。すすり泣きと彼女を呼ぶ声が室内を満たす。 『絶対、秘密にする!』  私の記憶の中で、あの日の言葉が鮮やかに蘇った。  私は口には出さず、横たわる彼女へこっそりと感謝の言葉を送った。 (秘密を最後まで守ってくれて、ありがとう)  私は、重い足を引きずって自室へ帰った。  皺の刻まれた外皮を脱ぐ。彼女の加齢に合わせて皺を加え、頭髪を染め、改良してきた外皮。  シャワーを浴びても、体液に溶け込んだ喪失感は消えない。  私は外皮を着ないまま床にだらしなく寝転び、目を閉じる。  彼女の葬儀の調査を終えたら、本部に調査終了の要請をしよう。  帰郷して、ゆっくりと彼女との想い出に浸ろう。
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