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第27話
年越し用に蕎麦を購入し、それから車で数十分行った先にその場所はあった。
編集長の言う「絃が好きな場所」という意味がわかった。なるほど、納得である。
そこは酒蔵直営のお酒の販売所だ。
つまり醸造元というわけで、絃が気に入らないわけがない。
扉を開けて出迎えてくれるお酒の香りに、絃はゆっくり深呼吸する。肺の中まで、お清めされるような気分だ。
「編集長、ここはお酒のいい香りがします」
「そうですね。こちらの蔵元は、この銘柄のお酒が有名なんですよ。昔ながらというか、ちょっと珍しいつくりかたをしています」
言いながら彼が指さした先に、看板商品がずらりと並べられている。どれもこれも美味しそうで、目移りしてしまう。
「試飲もできますよ。絃さんどうですか?」
いつも騒いだりしないように心がけているのに、今日は絃もワクワクした気持ちが押さえられなくなっていた。
「飲みたいです!」
はしゃいでしまってから、しまったと思って編集長を見る。彼は運転するため、もちろん飲めない。
申し訳ないと思ったのだが、編集長はなんとも言えない表情で笑った。
「いいですよ、たくさんはしゃいでください」
言われてしまったからには、遠慮せずにはしゃぐほうがいい。変に遠慮するほうが、逆に失礼というものだ。
ほかの人の前ではしゃいだ姿を見せるのは好きじゃないが、編集長の前だったら良い。
そう思えたのは、酒飲み友達だからというだけではないだろう。もうずいぶん、編集長は絃の心の壁を壊している。
編集長と一緒にいると居心地が好い。不思議な人だ。ただの飲み友達以上になってもいいと思えたのは、編集長の人柄に間違いない。
「ありがとうございます、編集長」
「いえいえ」
たっぷり楽しんでほしいと頼まれたからには、絃は真剣に試飲に向き直る。
日本酒を数種類試させてもらうことになり、飲めない編集長には香りだけ楽しんでもらうことにした。
どのお酒もフルーティーな味わいが強く、燗酒でも冷酒でも美味しく飲めるという。酸味が特徴の珍しい酒で、にごり酒も口当たりがよく美味しい。
どれか買って帰ろうと思っていると、つんつんと袖をつつかれた。
「絃さん。僕が好きそうなの選んでください。部屋に一本欲しいんで」
「……お酒の手綱を、人に任せていいのでしょうか?」
編集長の好きなお酒はわかるが、絃の好みとは違う。だから頼まれたことにびっくりしたのだが、編集長は瞳をやんわりと細めながら頷いた。
「絃さんなら大丈夫です。僕の好みの味と、ぬる燗が好きというのも熟知していますよね?」
「そうですが、私にできるかな」
そうまで信頼されると、逆に困ってしまう。
「絃さんが選んでくれるなら、間違いないですよ」
絃は試飲をもう一度させてもらい、ぬる燗に合う酒を選び出す。最後まで迷ったけれど、きっとこれならと推せるものをチョイスした。
「ありがとう。楽しみに飲むことにします」
絃は自分用の一升瓶も購入し、二人とも大満足でその場を後にした。
車に乗り込んでシートベルトを装着すると、もう帰るのか、と一瞬寂しくなってしまった。
名残惜しいと感じるのは、今日一日が楽しかったからだ。走り出した車のフロントガラスを見ていると、運転席から声が聞こえてきた。
「本当は、蔵元見学もできるんですよ」
「そうなんですか!?」
編集長は残念そうに肩を落とした。
「申込制で、一週間以上前からの予約が必要です。それに、もう今年は予約埋まってしまっていたので」
「残念ですが、調べてくださってありがとうございます」
きっと、絃のためを思っていろいろ見てくれたのだろう。その気持ちが嬉しかった。
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