踏みにじって、壊してよ

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 写真も、アルバムも、全部チェックした。  彼が少しでも映っているものは全て処分。さすがに卒業アルバムを丸ごと捨てるのは忍びなかったので、色画用紙を切り取って、彼の写真を全て隠した。  正面から撮られた笑顔も、友達と話している横顔も、真剣に部活をしている姿も、体育祭の騎馬戦でほとんど崩れかけた後ろ姿も。全部全部、見つけてしまう。青い色画用紙を四角く切り取り、アルバムの一部にマスキングテープで貼り付ける、という作業を繰り返した。  いっそアルバムごと捨てられたら。ううん、そもそも彼との思い出も全部気にすることなく過ごせたならば、何も問題ないのに。  私が彼と別れたのは、卒業式の一週間前のことだった。  別々の高校へ進学することが決まっていたので、勇気を出して一緒に帰りたいと言ってみよう。私のちっぽけな勇気を踏みにじるように、彼は困ったように笑った。 「ごめん。今、他に好きな人がいる」  足元が揺らぐような気がした。  それからは何も手につかなかった。お別れの日である卒業式のときだって、彼と言葉を交わすこともなかった。最後にばいばい、と言えたなら、もしかしたら私の気持ちも少しは吹っ切れたのかもしれないのに。  高校入学を控えた私は、静かに彼との思い出を消していった。これから先の未来に彼の姿がないのなら、こんな思い出は全部私の足を引っ張るだけだ。  だってほら、写真や彼の書いた文字を見るだけで、こんなにも鮮明に記憶がよみがえってしまうのだから。  もっと簡単に嫌いになれたらよかったのに。  そんな風に思うけれど、きっとすぐに捨てられるくらいの気持ちだったなら、こんなにも好きになってはいなかったのだろう。  苦しいけれど諦めて、思い出と再び向かい合う。  授業中に先生に隠れて交換した何気ない手紙。まだ付き合う前の私たち。  小さく折り畳まれた紙を開くと、下手くそな絵が描かれている。きっと授業に飽きて、絵しりとりをやっていたときのものだ。  次は英語のノート。ノートの端に書かれた「好き」という告白に懐かしさが込み上げる。  返事は?  おいこら  おれにだけ言わせんなって!  なあ、おれのこと好き?  隣の席になったとき、ひそかにしていたやりとり。  あの瞬間のことを今でも鮮明に思い出せる。  私もすき。と書いた文字は、今も彼の英語のノートの端に残っているのだろうか。そんなことを考えながら、そのページだけを破り捨てた。  しょうもない思い出がたくさん残っていた。一つずつ処分して、消していく。部屋の中を見回して、カバンや小物もひっくり返して、あの人の気配がするものを探す。  テストの日に消しゴムを忘れて、慌てる私に、自分の消しゴムを半分に折ってくれたこともあった。筆箱の中に残っていた歪な形の消しゴムを、ゴミ箱に捨てる。  お気に入りの赤いドット柄のシャープペン。筆箱を忘れたから何本か貸して、と言われて、似合わないかわいい柄のペンを使っていたことを覚えている。お気に入りだったペンも、そのまま捨てた。 「あれ? 今日誕生日なん? へー、おめでとう」  さして興味もなさそうな声で言ったくせに、私に差し出してくれた小さな猫のマスコットは、お菓子についてくるかなりレアなアイテムだった。  思い返してみれば、彼はあの時期よく周りにチョコレートを配っていた。レア猫マスコットが出るまで、地道に買い続けていたのかもしれない。そんな風に思うと、彼のことが愛おしくてたまらなくなった。  猫のマスコットは、捨てるのが辛かった。このキャラクターは元々好きだから、捨てなくてもいいんじゃないの、と心の中で甘ったれた私が呟く。  だめだよ、そんなの。  だってこの猫を見るたびに、私は彼を思い出す。どちらかといえば苦手なチョコレートを、特に好きでもない猫のキャラクターマスコットのために、しかもシークレット商品でどれが当たるか分からないものを、買い続けてくれたのだ。そのことを、その優しさを、思い出してしまう。  猫に罪はないので、やわらかい布にくるんで、ゴミ箱の底にすとんと落とす。ごめんね、と心の中で謝りながら、また一つ彼との思い出を消した。  スマートフォンの中身も、彼にまつわるものは全部消すしかなかった。  連絡先、一緒に撮った写真、彼と繋がっていたSNSのアカウント、電話の着信履歴、留守番電話に残された音声、それからアプリでやりとりしたたくさんのメッセージ。  一つ見るたびに、好きだという気持ちが溢れ出す。涙と一緒にこぼれ落ちて消えてくれればいいのに、それだけは残ってしまうみたいだ。  一つ、二つ、と指折り数えながら全て消し終えると、彼と私の関わりは一切なくなってしまった。  もう同じ学校に通うこともない。会うこともきっとないだろう。二人を繋いでいたスマートフォンも、連絡先や履歴を消した今となっては、ガラクタ以外の何者でもない。  ああ、好きだったなぁ。  本当に彼のことが、好きだった。  でもそれも今日で終わり。  彼にまつわるもの。彼を連想させるもの。思い出してしまうもの。全てを消し去ったから。  これできっと私は、次の恋に進めるはずだ。  迎えた高校の入学式。  登録されていない番号からの着信に、私は息をのむ。  だって、その十一桁を、私は知っている。  どんなに履歴から消したって。電話帳から削除したって、意味がない。本当は、心のどこかで分かっていたのに。それを突きつけられた気がした。  記憶からは消すことのできなかった、見覚えのある電話番号。間違いなく彼のものだと言い切れるそれに、おそるおそる応じてしまう。  電話に出てしまったら、せっかく関係を全て断とうとしたのに意味がなくなってしまう。春休みに泣きながら捨てたたくさんの思い出も、全部無駄になってしまう。  分かっているのに、通話に応じてしまう私は、きっと世界一の大馬鹿者だ。  私の中からあなたを消そうとしても、あなたは居着いて離れないから。  それならいっそ、ぐちゃぐちゃに踏みにじってよ。傷ついて、ぼろぼろになって、あなたのことなんて大嫌いになるくらい。  記憶からも消えてなくなるくらいまで、傷つけて、私の心を殺してよ。  そうしたらきっと、私、あなたのことをようやく消すことができるから。  だからどうかお願い。  これ以上、好きにさせないで。
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