中村くんのお母さん

1/1
前へ
/37ページ
次へ

中村くんのお母さん

「ストローの穴? どういう意味?」  お母さんは微笑んだ。 「六花がどれほど物知りになったとしても、そもそも人類にわかっていることなんて、ほんのほんのちょっぴりなんだ、ってこと。ストローの穴から、空を眺めるように。確かに空だけど、本物の空だけど、それだけじゃ、空を知ってることにはならないでしょ。空は何色? 青いときも、白いときも、藍色のときも、黒いときも、赤いときもあるわ。ストローの穴から覗いていただけでは、説明ができない。」 「『無知の知』ってこと?」  六花が言うと、お母さんは 「むーん。どうしてくれよう、このおませ娘め!」  と言って、六花の髪をくしゃくしゃにした。  幸せな記憶。ちょっとしたことで、こぼれ出てしまう。六花はスーパーの卵売り場で感傷的になるのも馬鹿馬鹿しいと思った。卵を手に入れた六花は、縦に並んだ乾物の類の列を、看板を見上げながら進んでいく。 「あった。」  『小麦粉』の文字を看板に見つけて近寄っていくと、なんとまあ親切なことに、手前にたこ焼きに必要なものがひとかたまりに並んでいた。たこ焼き粉、たこ焼きソース、マヨネーズ、天かす、青のり……。たこ焼きは家族みんなの好物だったし、たこ焼き機やひっくり返す棒なども家にある。父ちゃんとお母さんと三人で、よくおなかいっぱいになるまで食べたものだ。 「父ちゃんに、ちょっとは働いてもらわなきゃ。」  父ちゃんは、たこ焼きをひっくり返すのがとても上手いのだ。  六花が必要なものを選びながらかごに入れているとき、左のほうで、ガシャーンという音が聞こえた。びっくりしてそちらを向くと、中年の女性がかごを取り落としてこちらを見ているところだった。かごはひっくり返り、なかのりんごとかキャベツとか、転がりだしてゆく。 けれどそのひとは、そんなことなんて全然気にも留めず、泣き出しそうな顔で六花のことをみつめ、近づいてきた。  六花も気づいた。あれは、確か中村くんのお母さんだ。同級生の。おばさんは歩を速めて近づいてきて、 「六花ちゃん……?」  と、消え入りそうな震える声で尋ねる。
/37ページ

最初のコメントを投稿しよう!

16人が本棚に入れています
本棚に追加