触れられる理由をちょうだい

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◇ 「佳吾くん、待った?」 「いえ、今来たところです」  まるでカップルのデートの待ち合わせのようなやり取りに思わず笑うと、相変わらず鈍い麦嶋さんは俺が笑っている理由が分からないという様子でぼんやりとしている。  それでもこれからのことを考えたのか、満面の笑みを浮かべた。 「そんなに楽しみだったんだ?」 「うん、だって水族館なんて久しぶりだし……。付き合わせてしまってごめんね」 「俺も久しぶりだから別にいいんですけどね。まぁでも水族館とか彼女と行けばいいのに」 「ここ数年いないってこの間言ったのに、分かっててそんなこと言うんだ?」  麦嶋さんが、拗ねた様子で頬を膨らませた。  ぷうっとしているそこを指で何度もつつくと、彼は空気が出ていかないように唇に力を入れる。  俺とそれで勝負でもするつもりなのだろうか。  いつもならしばらく付き合ってあげるけれど、人通りの多いここではさすがに無理がある。呆気なくやめると戸惑った表情を見せた。 「それもういいから、早く行こう」 「……うん」  別に楽しいことでもないのに、そんなにやりたかったのか。  やっぱり付き合ってあげれば良かったかと思い、顔を覗き込むと眉を垂らして下唇を突き出していた。 「麦嶋さんって変ですよね」 「え?」 「初めからそう思ってたよ」 「ひどい……」  痴漢からのトイレ事件の日から数ヶ月経ち、友人になるならないで色々あったけれど、麦嶋さんの精神年齢が俺よりも低いおかげもあってか、長い時間一緒にいても会話に困ることもなく、少しずつ会う時間が伸びていった。  電車でも、俺が一限から授業の日は同じ車両に乗っている。  俺より後で乗ってくる麦嶋さんを俺が元々座っていた席を譲り、座らせていると、それだけのことなのに俺のことを優しい人だと思ったのか、目に見えて懐いてくれるようになった。  車内での会話も増え、時々電話をかけると三コール以内で出てくれる。  麦嶋さんを知れば知るほど放っておけなくなり、早く学校へ行かなくて良い日でさえも朝早い電車に乗ってしまいそうになる程で、でもそれは何だか自分が気持ち悪くてできないでいる。  せっかく大学にも慣れ、去年よりも楽しくなってきたというのに俺は、学校の友人や可愛い女の子よりもこの人を優先してしまうのだ。  段々と懐いてくれる麦嶋さんを見ていると、もっと気を許してもっと甘えてほしいとの欲が出てくる。  おかしな出会い方をしたことで、他の人よりも特別だと思っているからなのか。 「佳吾くんは、どの魚が好き?」 「クマノミ。麦嶋さんは?」 「クラゲ」 「えっ、クラゲ……? ふはっ、そうなんだ。じゃあまずクラゲ見に行きます?」  そう言って麦嶋さんに手を伸ばすと、その手を何の躊躇いもなく握り返される。  そのまま数歩進んだところで、ハッとして麦嶋さんの手を離した。 「ごめん。麦嶋さんが子どもっぽいから、つい弟の手を引くような感じで……」  思わず手を伸ばした理由にそんな嘘をついた。  弟なんかいたことはないし、小さい子どもの手を引いてあげた記憶もないのに。 「……反射的に繋いでしまった。こちらこそごめんね」  子どもっぽいと言ったその発言には何の反応も見せずに、麦嶋さんはさっき繋いでいた手を背中へと回した。  少しの間沈黙が続き、麦嶋さんは傷ついたような顔をしている。  俺が手を離したせいだろうか?  いや、だっておかしいじゃあないか。  俺がうっかり手を伸ばしてしまったにしろ、麦嶋さんが反射的に手を伸ばしてしまったにしろ、このまま繋いでおくわけにはいかない。  別に麦嶋さんを拒否したわけでもないのに、どうしてそんな顔をするのだろう。  ……手を繋いだままでいたかったってこと? 「麦嶋さん……」 「あっ、あそこの魚きれいだね」  もう一度伸ばした手はやんわりと拒否され、麦嶋さんは少し先の水槽へと走って行ってしまった。
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