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学校が休みの土曜日、はやたくんの部屋に行ってみる。大学も土曜日は休みだと聞いたけれどいるだろうか。
インターホンを押すけれど応答なし。ほっとしている自分もどこかにいて、これではいけない、と心を奮い立たせる。少し待ってみようとドアにもたれた。
――どうしてキスしたの?
そのひと言が聞ければ充分だ。返ってくる答えを想像すると怖くて指先が震えてくる。そこになにがあるのか。考えも及ばないようななにかがあった場合、俺はどうしたらいいのだろう。
「さむ……」
手袋をして来ればよかった。空気が冷たい。手をこすり合わせて息を吹きかける。俺がこうしているのを見つけると、はやたくんはよく手を握ってくれた。心が温かくなる思い出に自然と口元が緩む。
「澄人……?」
はっとして声のしたほうに顔を向けると、待ち人が驚いた様子で固まったまま突っ立っている。
「っ……」
踵を返そうとするはやたくんに駆け寄り、手首を掴む。
「待って!」
「離せ!」
手を振りほどこうともがくのでさらに強く手首を握る。絶対に離さない。
「やだ! ちゃんと話がしたいんだ!」
俺の勢いに負けたのか、はやたくんがゆっくりこちらを向く。その瞳にはなにかを怖がっているような色が浮かんでいる。
「……」
「はやたくんと話がしたい」
「……話してどうするんだ」
どうするか、なんて決めていないしわからない。でも話をしないとだめだ。
「わからない。でも聞きたいことがある」
はやたくんは少し俯き、ポケットから部屋の鍵を出す。
「あがって」
「……うん」
あんな目をしていたけれど怖いのははやたくんだけじゃない。俺だってものすごく怖い。でも勇気を出さないといけないからここに来た。
はやたくんの後に続いて部屋に入った。
室内は「はやたくんの部屋」という感じで、よく遊んでくれた隣の家にあるはやたくんの部屋と同じ雰囲気がある。本を種類ごとにきちんと並べているところとか、モノトーンのものが多いところとか、はやたくんはそのままなのだなと思う。そのはやたくんが俺にしたことに、やはり疑問を持ってしまう。
「なに飲む?」
「ううん。大丈夫」
大丈夫と言っているのにお湯を沸かし始めた。キッチンに立つはやたくんは見慣れなくて、じっとその姿を見ていたらどきどきしてきた。
今、好きな人とふたりきりだ。
はやたくんとふたりきりなんて初めてではないのに、初めてのように緊張し意識してしまい、やはりはやたくんが好きだ、と胸を押さえる。
「適当に座ってくれていいのに」
マグカップをふたつ持ってこちらに来る姿にまたどきりとする。カップの中身はホットココア。マシュマロが浮かんでいる。
「俺、これ好き」
「知ってる」
そっけなく言われ、その冷えた声にずきんと胸が痛む。マグカップを受け取るとはやたくんが俺の手を取る。
「どうしたの?」
「手が冷たかった。いつから待ってたんだ」
カップを置いて俺の手を両手で包み、ぎゅっと握ってくれる。
「……どうしてキスしたの?」
前置きもなにもなく聞いてしまい、失敗したと口に出してから思うが、はやたくんは真剣な表情を崩さない。
「澄人が好きだから」
呼吸をするのを忘れてはやたくんを見つめる。
「でも澄人にとって俺はそういう対象じゃないって知ってる」
「え……?」
どういうことだろう。
「あの日、澄人が友達と一緒に部屋にいるとき、俺も自分の部屋の窓から見てた」
「うん……?」
苦しそうに眉間にぎゅっと皺を寄せ、俺から目を逸らす。その表情の意味がわからず首を傾げる。
「……キスしてたから、本当はあいつ友達じゃないんだろ?」
「え?」
「なんでつき合ってるやつがいるって教えてくれなかったんだ。おまえの口から聞けばまだ諦められたかもしれないのに、あんなの見せられて」
「ちょ、ちょっと待って。キスなんてしてないよ。本当に友達だし」
誓ってあいつは友達だ。それ以上でも以下でもない。それなのにはやたくんは信じないと言うように首を振る。
「ふたりが顔を近づけてるのを見た」
「顔を……?」
あの日のことを思い出す。ふたりでゲームをしていて、友達が目にごみかなにかが入ったと言うので見てあげたら睫毛が入っていた。顔を近づけたのはそのときだけ。それを見ていたということだろうか。
そのことを説明すると、はやたくんは動きを止めてしまった。
「ごみ……?」
「うん。好きな人以外とキスするわけないじゃん」
言ってからぱっと頬が熱くなる。
「好きな人? 誰?」
「それは……」
はやたくんだと言っていいのだろうか。はやたくんも俺が好きだと言ってくれたのだから言っても――。
「あの友達じゃなくても俺の知らない誰かが好きなんだな……」
諦めたような声に顔をあげる。はやたくんはなにか勘違いをしているようだ。
「俺が好きな人ははやたくんだけど……?」
はやたくんがまた固まってしまう。ゆっくり俺を見て首を傾げる。
「……俺?」
「うん。昔からずっとはやたくんが好きだよ」
かあっと頬に熱が集まる。たぶん今俺は赤い顔をしているだろう。はやたくんと目を合わせられなくて、握られたままの手を見つめる。
「えっ」と大きな声が聞こえて顔をあげるとはやたくんが真っ赤になって俺を見ている。
「どうして早く言ってくれないんだよ!」
「い、言えるわけないじゃん!」
「ずっと俺の片想いだと思ってたんだからな!」
「俺だって……!」
見つめ合って、ふたりでふっと噴き出す。
「俺達、馬鹿かな」
「かなりね」
はやたくんが俺の肩に額をつけてくくっと笑う。
「勘違いでキスしたの?」
「そう。嫌われてもいいから澄人とキスしたかった」
大きく息を吐き出したはやたくんが俺の顔を覗き込む。その整った顔と綺麗な瞳にどきりとする。
「上書き、してもいい?」
「上書き?」
「ちゃんと気持ちが通じ合った俺達でキスしたい」
どくんどくんと心臓が暴れているけれど、なんとか頷く。
でもこういうときはどうしたらいいのだろう。目を閉じて待つのだろうか? 恥ずかしくないか。頭の中でぐるぐる考える。雰囲気もあるし、そんなことを聞いていいかもわからないけれど失敗もしたくない。
はやたくんを見ると、これ以上ないくらい優しい眼差しが俺をとらえる。
「澄人、好きだよ」
あ、と思ったときには瞼をおろしていた。雰囲気は頭で考えるものではないのだ。どうしたらいいか、ではなくて、どうしたいか、だと思った。
はやたくんの「好き」と唇を受け止めた。
ふたりでくっついて話をしていたらあっという間に夕方になってしまった。
「駅まで送るよ」
「うん……」
無性に寂しくてはやたくんの手を握ってしまう。
「今度、泊まりに来てもいい?」
気持ちが繋がったのに、またなかなか会えなくなってしまうのもつらい。俯くとはやたくんが指で俺の額を押す。
「そういう心づもりがあるならいいよ」
「『そういう心づもり』?」
なんだろう、と考えて頭に浮かんだ考えにぼっと頬に火がついたかのように一気に顔が熱くなる。
「あの……」
「このまま帰したくなくなるから、そういう顔は禁止」
顔が熱くてどうしようもなかったけれど、額に触れた唇の温もりはしっかり感じた。
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