ホワイトデー小話 王子様のご執心

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ホワイトデー小話 王子様のご執心

 家の冷蔵庫を開けてため息をひとつつく。そこに鎮座ましましているのは昨日――バレンタインデーに里村からもらったチョコレート。しかも手作りだ。差し出されたときには受けとるのを躊躇ったが、あんなふうに言われてしまったら受けとらないわけにはいかない。  ――俺、小さい頃からチョコをあげるなら絶対「あっくん」だって考えてた。  里村はずるい。俺が里村のすることに対して躊躇うと「ゆうちゃん」の顔をする。面影なんてまったくないのに、「あっくん」と言われるとなぜか里村の喜ぶようにしてやりたいと思ってしまう。  そんな俺の心をわかっているかのような里村は、一応俺の彼氏であったりする。  彼氏の立場を無理矢理もぎとられたとも言える。俺が里村の押しに負けたという言い方もあるだろう。そうなった理由をどう言っても彼氏なのは事実だ。  だからと言って特別なことはなにもしていない。キスは一度されただけで、それ以降手は出されていない。一緒に帰っているのは以前から俺の後をついてきていたから変わらない。「可愛い」連呼もそのままだけれど、もうそれを嫌だとは思っていない。里村がなにも言わなくなってしまったときのショックが忘れられないからだ。 「……結局罠だったんだけど」  クラスメイトからは温かく見守られているし、里村の思惑どおりになってしまった。でもそれも悪くないと徐々に思えてきた。  それよりも今考えるべきなのはホワイトデーのお返しのこと。母親以外からチョコなんてもらったことがないのでなにを返せばいいのかがわからない。思いつくのはキャンディくらいだ。 「……」  キャンディでいいか。いろいろ考えるよりシンプルなものが一番よさそうだ。相手は里村だし――。 「…………」  そう、里村に贈るのだ。  スマホを出してホワイトデーギフトを検索しようとしてやめる。なにを焦っているのか、と深呼吸をする。里村はチョコをすべて断っていたから、俺からのお返しだけを欲しがっているのかも――そう思ったらとても「キャンディでいいか」なんて気持ちで渡すなどできないと思ってしまった。  もしかしたらこれも里村の作戦かもしれない。俺にチョコを渡し、自分宛てのチョコはすべて断って、俺がこの考えに至るようにしたのでは……というのは穿った見方だろうか。 「……ああ、もう」  本人には絶対言えないけれど、俺はひとりでいても里村のことばかり考えてしまう。  ホワイトデーのことを考えるのは一旦保留。まだあと一か月あるから、それまでに決めればいい。 「どうしよう……」  ホワイトデーまで三日しかない。毎日保留にしていたらあっという間に時間が経ってしまった。もう時間がない。  帰宅後、どうすればいいのかさんざん悩んで近所のスーパーに行くことにした。  そう、近所のスーパーに行くはずだったのに俺は電車に乗っている。四つ行った先にある、賑やかな駅まで行って降りる。近所のスーパーのはずだったのに、デパートでパティスリーが並ぶ一階にまっすぐ向かい、そこでひとつひとつ吟味している。あれは高すぎる、これは気合いが入りすぎている、こっちでは可愛すぎる――気がつけば三十分もパティスリーの並びをうろうろしていた。 「どうしよう……」  どうして里村へのお返しでこれほど悩まなければいけないのか。  そう考えてため息をつく。里村へのお返しだから悩んでいるのだ。他の誰かへの贈り物だったらここまで悩まない。 「……里村の馬鹿」  つい当たってしまう。悪いのは里村ではないのだけれど、でも悔しくてつい文句が零れた。 「ひどいなあ」 「えっ」  なぜか里村の声がして振り返ると本人がいる。いつもの王子様スマイルだ。 「章人はなにをそんなに悩んでるの? さっきからずっとうろうろして」 「えっ……えっ……」  見られていたのか。というよりどうしてここにいるのだろう。その疑問が表情に出ていたのだろう、里村は「親から頼まれて買い物に来たんだ」と教えてくれた。そしてパティスリーのある一角に着いたら、なぜかずっとうろうろしている人がいる。よく見なくても俺だとわかったようで、様子を見ていたとのことだ。 「声かけろよ……」 「だって真剣になにか考え込んでたから」 「……」  いつから見ていたのだろう。いつだとしても俺がぶつぶつ言いながらうろうろしていたところはしっかり本人にばれたわけである。 「まさか俺へのお返しじゃないよね?」 「……」 「可愛いなあ、章人は。顔に全部出てる」  里村には隠しごとができない。悔しいようなほっとするような、変な感じだ。 「なにもいらないよ」 「えっ、でも……」 「章人が悩んでくれた時間がお返し。そんなに悩んでくれるほど俺が好きなんて嬉しいな」 「……」 「あれ、『好きじゃない』って言わないの?」  確かに俺はいつもそう言う。でも、今それを言っていいのか。 「……好きだし」  視線を逸らして精いっぱいの気持ちを伝える。里村の顔が見られない。にやにやしているだろうか。それも悔しい。 「こんなに悩むほど、里村が……す、好きだよ……悪いかっ」  言ったはいいが恥ずかしすぎる。踵を返し、急いでパティスリーの並びを後にする。少し離れたところまで行ってから振り返ると里村が笑顔でひらひらと手を振っている。その微笑みにせつなく胸が疼き、もう一度里村のいる位置に戻った。 「どうしたの?」 「……里村の好きなもの教えて。それ買う」 「お金じゃ買えないよ」 「そんなに高いもの?」  ゆっくり首を左右に振る動きに合わせて里村の艶やかな髪が揺れる。 「俺の好きなものは章人以外にないよ」 「……好きな食べ物は?」 「章人」 「……」  俺は食べ物ではない。そう言いたくても言えない。こんなに優しく微笑まれたら、食べ物になってもいいかなと思ってしまう。 「あきちゃん可愛いなあ。このままお持ち帰りしたい。親いないから来る?」 「……? 親御さんから頼まれて買い物に来たって」 「朝頼まれたんだ。両親が仕事から帰ってくるのは夜だよ」 「……」  里村の着るニットの裾を軽く握る。 「……それがお返しでもいい?」 「えっ」  恥ずかしいから聞き返すな、と思うのに、里村は目を見開き俺を凝視して聞き返す。自分から言ったくせに。 「里村の好きなもの、あげる……」  頬が熱くて心臓が激しく脈打っている。里村はまだ俺を見ている。その瞳は「本気?」と聞いている。  里村の手を取って歩き出す。少し引っ張られるようについて来た里村はすぐに俺の隣に並ぶ。 「章人が可愛すぎてどうしよう」  すごくいい笑顔で隣を歩く里村をちらりと見上げる。ほんのわずかに頬が赤らんでいるように見えるのは気のせいだろうか。気のせいではないといい。俺と同じくらい緊張してくれていたら、もっとどきどきしてしまう。  俺からの「お返し」をおいしく食べた里村は、とても幸せそうな表情を見せてくれた。
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