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→この気持ちは?
あれから、お兄ちゃんは雫との交際を公にするようになった。日曜日の今日もそれは然り。リビングであたしのお気に入りのショートケーキ型のビーズクッションを抱きしめて、デレデレしている兄の姿があった。
スマホで通話しているようだけど、きっとその相手は雫で間違いない。
無言のままで突っ立っていると、兄がこちらに気が付いてひらひらと手を振ってきた。
いつもなら沸々と通話相手の彼女とやらに嫉妬心が湧き上がってきていたのだが、今は心穏やかである。
兄離れとは、こんなにもあっさり出来るものなのか、と、自分でも拍子抜けしてしまう。
小さなため息をつくと、通話を終えたお兄ちゃんが「どうした? 優乃」と優しく聞いてくるから、やはりその優しさは身に沁みてしまう。
そっとソファーの隣に座ると、あの日イブちゃんに言われた言葉を思い出す。
「……あのさ、沼るってなに?」
「……ん?」
あたしの質問に、兄は首を傾げる。
「沼る? なんだろ?」
やはり兄もご存じなかった。ものを知らないのはあたしだけじゃないことに少しだけ安心する。
「あー、ほら、あれじゃない? 底なし沼にアリの巣地獄みたいに吸い込まれる……みたいな?」
ニコニコとしながら残酷なことを言い放つ兄に、あたしはドロドロの泥沼の真ん中で余裕の表情で待ち構えているイブちゃんと、必死に渦に飲み込まれないように這いあがろうとする自分の姿を思い浮かべた。
「ん? なんか顔色悪いぞ。大丈夫か?」
すぐに胸の中がモヤッとして、恐怖心が顔に出たのかもしれない。
「沼にハマったら……」
「出られないんじゃない?」
もちろんと言わんばかりに笑う兄に、あたしは笑い事では済まない。
「こわっ!!」
「え? なにが?」
いきなり叫んだあたしに驚いて、兄が聞く。
「……なんでもない」
兄にイブちゃんのことを話したって、兄はイブちゃんの味方だろうし。もう信用ならない。
よっぽどあたしが不満げな顔をしていたんだろう。
「なに? なんか悩んでる? 俺に話してよ」
優しく笑うお兄ちゃんは、やっぱりカッコいい。頼りにしたくなる。だけど……
「あたし! お兄ちゃん離れすることにしたんだから! もう頼るのやめるね!」
「え!」
「自分でなんとかするから! だから、お兄ちゃんは……お兄ちゃんは……雫といちゃいちゃしてればいーじゃん!!」
立ち上がって叫ぶと、あたしは自分の部屋へと戻った。
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