前編

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前編

 外はまさに秋晴れといった好天だった。けれど、葬儀場の中はしんみりと静かだ。もっとも、葬儀場が楽しげに賑わっていれば、それはあまりに不謹慎な状況だろうが。  それはさておき、ぼくの姉が死んだ。彼女が二十九歳になった翌月のことだった。 「三十歳になるまでに結婚したいんだよね」  姉はしばしばそんなことを言っていたが、独り身のまま逝ってしまった。彼女はいつも最後の詰めが甘い。浮いた話はちらほらとあったものの、結局は浮きあがれずじまいだった。  通夜は姉が死去してから三日後の今日に執り行われた。土曜日のほうが親戚一同も集まりやすいだろう。そのような話がなされて、通夜の日程が組まれたのだった。しかし、通夜の主役といえば姉にほかならない。参列する人間は脇役だというのに、そちらの都合を優先するなんて、どういう了見かと首を傾げたくなくなる。  とはいえ、残念ながら死人に口なしである。  姉は甘んじて受け入れるほかない。  ところで、ぼくと姉に血の繋がりはない。戸籍上は本物の姉弟(きょうだい)であっても、身体(からだ)を巡りゆく血はまったくの別物だ。  ぼくの母が唐突に死んだのは、ぼくが小学一年生のときだった。赤信号を見逃したトラックが交差点内に侵入し、横断歩道を渡っていた母を真横から()ねた。連絡を受けて病院に向かうと、母はもう息をしていなかった。本当に唐突な死だった。  それからしばらくは父子家庭だったものの、ぼくが小学五年生のときに父が再婚した。新しい母には娘がひとりいた。離婚した前夫との子供らしく、それが二歳年上の姉だった。  いかにも春らしいうららかな日のことだ。はじめてぼくの家にやってきた姉は、母親が押す車椅子に乗っていた。鼻からは透明のチューブが伸びており、チューブの先っぽは銀色の酸素ボンベに繋がっていた。  姉の肺には先天的な疾患があった。激しい運動が禁止なのはもちろん、長く歩くだけでも息が切れてふらつく。そのため、彼女は車椅子生活を余儀なくされていた。  ただ、姉の肺は少しずつ回復しているらしかった。将来は車椅子から解放されるだろうと、担当医師の見立ては明るいものだった。  ぼくたちはあっという間に意気投合した。姉はかねてからか弟か妹がほしかったらしく、ぼくはかねてから兄か姉がほしかった。需要と供給が一致した形で、すぐに意気投合したのだ。彼女が家にやってきた数日後には、ぼくは普通に「姉ちゃん」と呼んでいた。  酸素チューブを鼻に通している姉を、デリカシーもなく褒めたのも数日後だった。 「人造人間みたいでかっこいい」  姉は自慢げに「ふふん」と鼻を鳴らした。 「そうなの。かっこいいでしょう」    しかし、人造人間という言葉には苦い思い出もあった。  姉の誕生日のことだった。ぼくは彼女に喜んでもらいたくてホットケーキを焼いた。ホットケーキを口にした彼女は、顔を顰めてこう言った。 「不味(まず)い。美味(おい)しくない……」  はじめて作ったホットケーキは真っ黒に焦げていた。確かに苦くて美味しくなかった。けれど、ぼくは姉の素直な感想に怒りを覚えた。 「人造人間のくせに!」  姉を蔑むために人造人間という言葉を用いた。あのときの人造人間という言葉は差別的だった。決して言ってはいけないことだ。
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