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ぼくはその日ことを回想しつつ言った。
「狐の卵、すごく不味かった……」
「良薬は口に苦しだから」
それを聞いて思いだした。あのとき姉はこんなことを言っていた。
「狐の卵には滋養強壮効果があるんだよ」
もし、狐の卵を食べたのが姉だったら、姉は今も生きていたのだろうか。
「あ、そうだ」と姉がぽんと手を打った。
「なに?」
「不味いで思いだした。ここにきた理由」
「なんだったの?」
「謝ろうと思って」
「謝る? ぼくにってこと?」
「そう。ごめんなさい」
姉はいきなりぼくに頭をさげた。
「え、なにが? 急に謝られても意味がわからないんだけど」
「わたしの誕生日にホットケーキを焼いてくれたでしょう。でも、美味しくないって言っちゃった。あれは失言でした。ごめんなさい」
姉は再び頭をさげた。
「ああ、それ。謝らなくていいよ。本当に焦げてて不味かったし。それよりぼくのほうこそごめんなさい。人造人間とか言って」
今度はぼくが頭をさげた。
「実は気になってたんだよね」と姉は続ける。
「言いたいことがあったら、すぐに言わないといけないね。人間、いつ死ぬかわからないもの」
ああ、すっきり。姉がそうつけ加えたとき、ぼくの腹がグウゥーと鳴った。
腹をさすりつつ言いわけをした。
「一昨日からあまり食べてないんだ。姉ちゃんのせいで」
「わたしのせい? なんで?」
「親しい人が急に死んだからね。ショックで食欲がなくなった」
「ああ、なるほど。面目ないです」
「でも、姉ちゃんと話をしてたら、急にお腹が空いてきたよ」
「そう。いいね」
「うん」と頷いてから、ぼくは首を傾げた。
「いいね? どういうこと?」
「お腹が空いていいねってこと。死んだらお腹が空かないもの」
「死んだら空かないの?」
「空かないよ。お腹が空くのは生きている人だけ」
「へえ」
「だから、お腹が空くのはしあわせなことだよ。生きてる証拠だもん」
ぼくはもう一度腹をさすりつつ言った。
「そうか。空腹はしあわせなんだ」
「うん、すごくしあわせなこと。感謝しないと」
「死んだ姉ちゃんが言うと、なんだか説得力あるね」
「でしょう?」
姉は「ふふん」と自慢げに鼻を鳴らした。それから「さて」と言って立ちあがる。
「そろそろ帰る。じゃあね」
「え、なんで?」
ぼくは驚いて姉を見あげた。
「急すぎない?」
「だって、言いたいこと言ったし」
「そうか。言ったね……」
なんとなく納得させられてしまった。
でも、名残惜しくあるので訊いてみた。
「外まで送ろうか?」
「ダメダメ、死人についていったら。あの世までいっちゃうよ」
「あ、そうなんだ」
もう少し生きていたいので、見送りは辞退することにする。
「じゃあ、ごめんだけどここで」
「うん、ついてきちゃだめ」
姉はそれから葬儀場の外に向かって歩いていった。ぼくはその背中に尋ねた。
「また、こっちにくる?」
「さあ、わからない。死んだのはじめてだから」
姉が振り向いて答えたとき、無数の白い蝶が舞いあがった。同時に葬儀場に花の匂いが充満していく。姉は白い蝶が舞う中でぼくに手を振っている。彼女の声はここまで届かないが、口が、じゃあね、と動いている。やがて、無数の白い蝶は祭壇の菊の花に戻った。
どうやら姉はあの世に帰ったらしい。彼女の姿はもうどこにも認められなかった。
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