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勘違いメイドはご主人さまの無理難題をかなえたいっ!
ある日、ご主人さまの燈次がこう言った。
「マグロの解体ショーを見たいな」
驚いてリアクションをしたのはメイドのさと。
「今、何て言いました?」
燈次は不思議そうに首をひねる。
「うん。〈マグロの解体ショー〉を」
燈次は、まな板の上でマグロをさばく姿を想像する。
「ええ、〈マグロの描いた衣装〉を見たいのですか」
さとは、魚のマグロが胸びれでペンを持ち、洋服のデザイン画を描く姿を想像する。
「だからマグロの解体ショー(カイタイショウ)だ」
「ええ。マグロの描いた衣装(カイタイショウ)ですね」
燈次は目をぱちくりさせる。
「マグロの解体ショーはダイナミックで見応えがありそうだよな」
「ほええ。マグロの描いた衣装は、ダイナミックな画風なのですか」
「解体作業は包丁さばきが見事に違いない」
「珍しい。包丁で布を切って衣装を作るのですか」
「会話が噛みあってないような……」
「どこがでしょう」
「それは分からんが」
「とにかく。燈次さまのお願い、よく分かりました。私、燈次さまのために探しますね。マグロの描いた衣装!」
燈次はまた首をひねったが、さとは意気揚々と屋敷を出ていった。
「マグロの解体ショー」を「マグロの描いた衣装」と聞き間違えた、おとぼけメイドのさと。
彼女は聞き間違いに一切気づかぬまま行動を進めていく。
「マグロの描いた衣装」とはところで何か。さとは頭を散々ひねって考えた。そして1時間後に答えを導きだした。
マグロの描いた衣装、があるということは。衣装を描いたマグロがいる。
つまり燈次の願いを叶えるには、まず衣装のデザイン画を描けるマグロを見つける必要がある。
さとは鼻歌を歌いながらスキップする。
大好きなご主人さまの役に立てることは、彼女にとって至福の喜びなのだ。
さとの浮きたつ気持ちは、彼女のかかとを何度もピョコピョコ跳ねさせる。
さとはまず、水族館へ行った。広い館内を回ると、マグロの展示スペースが見つかった。
さとはガラス越しにマグロへ話しかける。
「マグロさん、マグロさん。あなたはお絵描きができますか?」
マグロはスイッと前を泳いでいってしまう。さとはその場でじっと待つ。マグロが水槽を一周して戻ってくると、さとはまたマグロに尋ねた。
「私、絵が描けるマグロさんを探しています。お洋服のデザインができるマグロさんです。あなたのお友だちに、そういうお魚さんはいませんか?」
水槽の中のマグロは胸びれをバタバタと振った。さとを振りはらうような仕草だった。
次にさとは、水族館の係員に聞いてみた。
「この水族館に、お絵描きができるマグロさんっていますか」
「え? マグロが絵を描く? どういうことですか」
「お洋服のデザインの絵が描けるマグロさんを探してるんです」
さとはマグロがペンを持って、洋服のデザイン画を描く姿を想像する。しかし係員は目を泳がせるだけで、ピンと来ていない様子だ。
「えっと、あ、マグロの魚拓を展示しているか、というお問い合わせでしょうか」
「マグロさんの身体をスタンプみたいにペタッでするんじゃなくて、マグロさんが、自分でお絵描きをするんです」
「あ。ええと。アシカショーでアシカがお絵描きをするときがあるので、それの話ですかね?」
「アシカさんじゃなくて、マグロさんです」
「魚が絵を描く? 胸びれでペンを持って描くのですか? 水中で? すみません、ちょっとわたくしには理解が……」
係員の背後で水槽のライトアップが消えていく。一定のサイクルでついたり消えたりしているようだが、さとはこの消灯がずっと続くように感じられた。さとはしょんぼりと肩を落とす。
「ありがとうございました。他でも聞いてみます」
さとは丁寧に腰を折った。
続いてさとが向かったのは漁港だ。あまり大きくはないが卸売市場がある。
ところ狭しと並ぶ魚たちを、さとはひとつひとつ、楽しそうに眺めていった。春の午後の日差しがうろこをキラキラと輝かせている。さとはうっとりと目を細めた。
「いけない。私、燈次さまのためにお魚さんを探してました」
先ほどと同じく、さとはマグロを見つけて話しかける。
「マグロさん、あなたはお絵描きがお上手ですか?」
しかしマグロは答えない。まるで死んだ魚のような目をして黙っている。
「こっちのマグロさんは、お洋服のデザインできますか?」
こちらのマグロも死んだ魚のようだ。もっと言えば、死んだ魚そのものだ。
さとは困ったように唇を尖らせる。
「どうしましょう」
「嬢ちゃん、何かお探しかい」
市場の人が話しかけてきた。さとは顔の前で小さくガッツポーズをして質問をする。
「〈マグロの描いた衣装〉を探しています!」
「〈マグロの解体ショー〉? うちではやってないよ」
「衣装デザイン、やってるマグロさんはいないんですか」
「え? 嬢ちゃん、今何て」
「衣装のデザインをしている、お魚の、マグロさん。絵がとっても上手くって、とっても素敵なお洋服をデザインするんです」
「俺ぁ、夜釣りで色んなモンを引っかけてくるが、絵が描けるマグロなんて見たことねー。そんなのいねーんじゃねーか」
「衣装デザインをするマグロさんはいます。だって言ってましたもの、燈次さま。マグロの描いた衣装を見たいって。だから衣装のデザインの絵が描けるマグロさん、本当にいるんです!」
さとが必死に訴えかける。すると――何故か、後ろから叫び声が聞こえた。
「ええっ。どうしてワタシの昔のアカウント名、知ってるの!」
さとが振りかえると、大きな身体をもじもじさせている人がいた。
よく見るとそれは、さとの友だちだった。
「ほえ。高音さん、どうしてここに」
高音は顔を赤らめ、自分の口元を押えた。
「おいしくて安い海鮮丼を出す店が近くにあるから……。さとちゃんは」
「〈マグロの描いた衣装〉を探しています」
「マグロ、ね。懐かしい響きだわ」
「ほえ?」
「昔、イラストサイトで衣装のデザイン画をあげてたのよね……。恥ずかしくてやめちゃったけど」
「ええっ」
「そのとき使っていた名前が〈マグロ〉だったわ。初めて食べたお刺身がおいしすぎて、ついアカウント名にしちゃったのよね……」
高音は懐かしむように宙を眺めた。一方のさとは口をあんぐり開けていた。
「高音さんが、衣装デザインができるマグロさん?」
「あれ、そういう話じゃないの?」
「高音さんは実はお魚」
「ごめんなさい、何の話?」
高音はさとの顔を覗きこむ。さとはかかとをグイッと上げ、目をキラキラと輝かせた。
「高音さん、お願いです。衣装のデザインをしてください!」
「ええっ。いきなり?」
「燈次さまが見たいって言ってるんです。〈マグロの描いた衣装〉を!」
「どうしてそんな急に」
「きっと燈次さま、高音さんが昔デザインした衣装を見たことあったんです。それでファンになって、また見たいなって思ったんだと思います」
「そんなことあるかしら……」
そう言いつつも、高音の口角は少し上がっている。ファンという言葉を使われて嬉しくなっているらしい。
高音は小さく咳払いをし、人差し指をピンと立てた。
「でも〈マグロの描いた衣装〉って……。具体的に何を見たいのかしら。衣装ラフ? それとも実際に作った衣装?」
「さあ」
その疑問に正解はない。何故なら「マグロの描いた衣装」は「マグロの解体ショー」を聞き間違えただけなのだから。
だがふたりとも気づく気配は0だ。
そんなとき、潮風が1枚の紙を飛ばしてきた。さとが拾いあげると、それは創作衣装コンテストのチラシだった。
各々が衣装をデザインし、実際に形にする。モデルがその衣装を着て、ステージで披露する。最もよかった服がグランプリ。
さとと高音は、同時にワッと声をあげた。
「燈次さまが言ってたの、きっとこういうことです!」
「〈マグロ〉がデザインした衣装を着た人が、実際に動いているところを見たい。そういう意味だったのね!」
「それが燈次さまの言う、〈マグロの描いた衣装〉ですね」
「でも困ったわ。ワタシ、デザインするのは好きだったけど、縫い物はまったく駄目なの。細かい作業が苦手で」
さとは得意げに胸を反らした。
「私はお裁縫、得意です」
「さとちゃんが作るの?」
「ふたりで素敵な衣装、作りましょうね」
さとの目の前で、海面が日差しを反射して輝いた。その光は、まるで海の中にオーロラが存在しているようだった。
ふたりはさっそく衣装作りに取りかかる。
高音がデザインのラフを描き、それを元にさとが試作品を作る。実際に作ってみると思いどおりの形にならず、デザインの見直しに戻る。その繰りかえし。
でも、その振り子みたいな行き来が楽しかった。これが誰かと一緒に何かを作る喜びなのだとふたりは知った。
長い奮闘の末、ようやく納得のいく衣装ができあがる。
膝下までのワンピースで、色は白。いくつもの大ぶりなフリルが、八の字を描くように折り重なっている。生地はツルツルとした素材で、オーロラのように輝く。実際に漁港で見た美しい海面から着想を得たものだった。
ふたりはすっかりこの衣装にメロメロだった。何時間でも鑑賞していられると思った。
高音はほっと肩の力を抜いて言った。
「コンテストに間に合ってよかったわ」
さとは何をどう解釈していたのか、目をぱちくりさせて尋ねた。
「コンテスト?」
「この服で出るんじゃないの?」
「燈次さまはきっと、この服が動いているところを見たいのかな、って話はしましたけど、コンテストは私考えてなかったです」
「えっ、えっ? でも、エントリーしちゃったわ」
「でもモデルさんいないですよ。あと10分しかないですけど、今から探せますかね。この服にサイズがぴったりな……」
ショーはあと1時間に迫っている。町行く人に片っ端から声をかけるのか。高音はさとにおずおずと尋ねる。
「ねえ、この服、さとちゃんが着るのはどうかしら」
「私っ? 無理です、可愛くないですもん」
「実はワタシこの服、さとちゃんが着てくれたらなって思ってデザインしたの」
「似合いませんよ」
「似合う。デザインを考えたワタシが言うんだから、間違いないわ」
高音は衣装を差しだした。さとはためらいがちに手を伸ばす。軽く触れると大きなフリルが揺れ、生地がオーロラに輝いた。
そしてさとはステージに立った。恥ずかしかったが、衣装を見てもらうためにがんばった。
途中、モデルたちがパフォーマンスを披露するパートがあった。
ダンスや歌など披露する人が多い中、さとは特技の料理を披露した。台にまな板と大きな魚を乗せ、それを丁寧にさばいていく。これは本当の「マグロの解体ショー」である。
さとの特技はインパクト大で、観客たちは熱狂した。
もちろんそれだけではなく、衣装の美しさも評価された。
コンテスト終了後、高音のイラストアカウントはフォロー数が急激に増えた。例の「マグロ」という名前のアカウントである。
こうして、「マグロの描いた衣装」は話題となった。
そして……。
「そんなことがあったんですよ」
屋敷に戻ったさとは、誇らしげに報告した。さとのご主人さまの燈次はうん、うんと深くうなずいて聞いている。
「今着ているのが、そのとき着ていた」
「はい。とっても綺麗なお洋服で、気に入っちゃいました!」
さとはくるくると回ってみせる。フリルがふわふわと揺れ、生地が魅力的な輝きを放つ。燈次は感嘆の息を吐いた。
「本当に綺麗だなあ」
「燈次さまに〈マグロの描いた衣装〉を実際にお見せできてよかったです」
「特技披露の場面の〈マグロの解体ショー〉は汚れなかったか」
「ツルツルした素材なので、洗ったらすっかり落ちました」
「それはよかった。が……」
「何か?」
「いや、あの……」
「ほえ?」
「そのステージ……俺も観客として招いてくれてもよかったのに……」
「恥ずかしいので、それはちょっと」
「あとこれ言っていいのか分からないけど、〈マグロの描いた衣装〉ってそれ、〈マグロの解体ショーの〉聞き間違い……」
「今、何て?」
さとがあまりに純粋な顔で首を傾げるので、燈次は開いた口を一度閉じ、もう一度別の形で言葉を続けた。
「いや、俺のために色々やってくれてありがとう」
聞き間違いについては、何も言えなかった。
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