出会い

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 隣の席の人との関わりはなかなか切り離せないものだ。夏川(なつかわ)(そう)というらしい彼への印象は未だ変わらず、毎回のペアワークは憂鬱でしかない。 「これの答えわかる?」 「28、だと思うけど」 「ほんと夏川ってすごいよな。なんでそんなに数学できんの? 俺苦手すぎてさ」 「佐伯も書いてあったじゃん。答え、オレが言う前から」  常に無表情で他人など視界に入っていなさそうなくせに妙なところで勘がいい。褒めて距離を縮めるという技も使えないなんて、ほんとにめんどくさい奴だ。 「あ、ほんとだ当たってる。ラッキー」  そう誤魔化して笑顔を向けても彼は一切釣られてはくれない。  こんなんだから浮くんだよ。もっとクラスに馴染めるように努力すりゃいいのに。  なんて、俺が気にする必要はないよな。でも気になるんだ。こいつの横顔を見ていると中学での部活を思い出してしまう。だから、嫌なんだ。 「あっ」  肘があたり消しゴムが床へと転がり落ちた。前屈みになり手を伸ばす。と、冷たく骨ばった夏川の指先が触れた。  ドクンと心臓が大きく脈打つ。消しゴムを拾わなければならないのに身体が強張って動かない。ドクドクと鼓動が早まり出した。  落ち着け。大丈夫。ただ指がぶつかっただけ。  そう自分に言い聞かせてもなかなか動悸がおさまらない。  怖い、すごく、怖い。 「ほら、これ」  机にトンと消しゴムが置かれる。止まっていた俺の代わりに夏川が拾ってくれたらしい。 「悪いな。サンキュ」  うまく笑顔を作れただろうか。少しずつ落ち着いてきた鼓動に合わせて小さく呼吸を繰り返す。 「オレのこと、怖い?」 「──え?」  突然夏川に言われて思わず間抜けな声を出す。普段自分から話を振ってくることなんてないくせに、どうしてこういう時だけ敏感なんだ。 「何言ってんだよ。そんなわけねえだろ?」  これは本心だ。夏川が怖いわけじゃない。単に誰かと触れるという行為が無理なんだ。精一杯の笑みを浮かべて軽く言う。だけどまだ手の震えはおさまらず、シャーペンを持つ手に力を込めた。 「佐伯の方こそ、無理しすぎ」  ドキリと再び心臓が跳ねた。しかしいつものような不快な感覚ではない。心にぼんやりとした灯りをつけてくれたみたいな、うまく言葉にできないけれど、どこか救われた。 「……ごめん。嫌な気したよな」  ほんの少し手が触れただけでこんな対応を取られたら不愉快にならないはずがない。早く治さなければと思うのに日に日に悪化しているような気さえする。 「謝るなよ。悪いのは佐伯じゃないんだから」  夏川の淡々とした声がスッと俺の心に染み渡る。なんとなくホッとして心地よい言葉。  でも、誰が悪いのかはわからない。あいつだろうか。部員だろうか。それともやっぱり自分か。どれも納得できない。きっと誰も悪くない。だけど、全部消えてしまえばいいと思う。 「……怖くて」  思わず漏らしていた自分に焦った。今まで誰にも言ってこなかった。  何にも触れたくない。触れられたくもない。身体にも、心にも。ひたすらに硬い殻で覆っている方がずっとずっと楽だから。知られたくないし知りたくない。全部内にとどめて一人で消化する。あの日から悪化していくばかりの接触への恐怖もそうするつもりだった。それなのになぜ、たいした話もしたことのない夏川に、怖いだなんて情け無いことを。 「佐伯は、やっぱり自然体の方がいい」 「は?」  無表情でいきなり意味のわからないことを言い出す夏川に思わず顔を顰めた。夏川は伏目がちに続ける。 「入学式の日に声かけてくれたの、嬉しかった。ありがとう」  どうしてだろう。ただお礼を言われただけなのに心臓がバクバクし始める。 「それならその時言えっての。嫌がられたのかとか、不安になるから」  照れ臭さを隠したつもりがついまた余計なことを言ってしまった。  怖いとか不安とか、そんな感情を人と共有したって意味はない。相手までマイナスな気持ちにさせるだけじゃないか。  それなのに夏川は俺を見て「ふっ」と小さな笑みを見せた。 「笑うなって」 「悪いな。なんか、佐伯もそういうとこあるんだなって思ったら、安心して」  なんだよ、それ。  ていうか夏川って、こういう顔もするんだな。 「佐伯、答え出たか?」  ふわふわしていた頭の中に突然先生からの指名が入り込んできた。霧がかかったかのような脳内をパッと目覚めさせる。 「えっと、28、ですか」 「ああ惜しい。29だな」 「あれ、どこでミスったんだろ」なんて、恥ずかしげに笑いながら席に座る。チラリと夏川の方を見ると彼も肩をすくめてはにかんでいた。  どうしたんだよ俺。その姿に自然と頬が緩む。
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