ニ 怪異の黒桜

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ニ 怪異の黒桜

「陽の光の元で見るからこそ、ものの憐れを感じることができるというものではないか? なぜに魑魅魍魎が跋扈する夜、桜を、しかも仕事で男と見に行かなければならんのだ」  不服そうに言い、男が伸びをする。  男が着ていた直衣(のうし)の生地が擦れてサラサラと音がした。  ただそれだけの仕草なのに、同性から見てもこの男には色気があった。  次々と恋の相手を変えることができるのも頷ける。  この男にかかれば、落ちない女などいないだろうと思えた。   「星明かりの下で見る桜もまた一興。昼の光で見る可憐な花とは違い、それはまた艶やかな姿を見せてくれることでしょう。ふつうの花ならば、ですがね」 「一癖あったとしても、それならば俺は生身の花が良い。そう言えば、二条辺りの姫君は絶世の美女だそうな」 「またですか? 本当にあなたは恋多きお方ですな……」 「蕾が見事に花開く、それを愛でる。さりとて散らぬ花などなし。よって、次に開く花を愛でるのみ」 「あなたに情があるのかないのか、私には解せませぬ」  部下の言葉に、男が静かに笑む。  目的地の寺が見えて来た。桜が美しく咲き誇るこの寺は花寺と呼ばれている。  寺に入ると、二人の男は怪異の噂を確かめるために、寺の奥庭に向かった。     夜の暗闇に、咲き誇る桜。  ただの桜ではない。  濃い墨汁をかけたような真っ黒な桜が一面に咲き誇っている。 「なんと……妖しや。噂違わぬ、魔に魅入られし桜ぞ」 「良いではないか。魔桜としても、(あで)やかで美しい。咲いたものに目くじらを立てるほどの事でもあるまい」  男はそう言うと桜に歩み寄り、桜の幹を優しく撫でた。  男の言葉に呼応するかのように、風もないのに黒い桜の花弁がはらはらと男の周りを舞う。 「見聞は済みました。もう帰りましょう」  男の頭上に伸びた枝に咲く墨染の桜が、男に覆いかぶさる女の髪の様に見えて肝を冷やし、そそくさと帰ろうとする同僚に、男が笑う。 「気が変わった。俺はこの桜をもう少し見物したくなった」 「おやめください、物の怪に取り憑かれますぞ」  慌てた同僚の声音に、男が嘆息した。 「怪異があった訳ではない。まだ何も起こって居らぬではないか」 「何かがあってからでは遅いのです。私は先に帰らせていただきます。あなたも、早く帰られたほうが宜しいかと存じます」  そう言って、あたふたと帰っていく同僚の後ろ姿を見えなくなるまで見送り一人になったところで、男は桜の幹に手をかけ、優しく言った。 「愛らしい姫君よ、そなたであろう?」
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