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エイプリル・フー
「エイプリル・フー? 知ってますよ」
ー ホントですか?
「年1回のでしょ」
ー はい。4月1日にだけこの店に来る人です。
「去年会ったな」
ー どんな様子でした?
「噂どおり、バーボン1杯だけで帰っちゃったよ」
ー 目立ってました?
「新橋だからね。オジサンの店にコスプレだし」
ー 声をかける人はいなかったですか?
「ハロウィンはまだ早い、とか?」
ー ええ。
「近寄れないオーラがあったから。誰も何も」
ー どんな人か知りたくないですか。
「正体? どんな人なんだろうねぇ」
新橋のバーボンハウスに年に一回だけ現れる謎の客。
通称エイプリル・フー。
彼女のことは誰も知らない。
私はこのインタビュー映像を何度も見ている。
新聞社に属する者として興味深いからだ。
記者のはしくれとして、そして、もしかすると後輩として……。
萩原由真。
社会部の元エース。私の憧れの先輩記者。
情熱の塊で、徹夜仕事も厭わない。
だけど、4月1日だけはなぜか毎年ノー残業デーだった。
私がエイプリル・フーの噂を耳にした時、正体は先輩だと直感した。
今日、またエイプリルフール当日。
私は無性に彼女に会いたくなり、バーボンハウスで張り込みを……。
げっ。
普通に駅前で出くわした。
「元気?」
久々の再会なのに、萩原先輩はいつものクールな対応だった。
シスターの衣装に身を包んでいる。
「げ、元気ですッ」
不意をつかれ、言葉に詰まる。
つい「エイプリル・フー発見!」なんて口走りそうになる。
先輩をカフェに誘った。
「エイプリルフールにアタシに会いに来たの?」
勘のいい先輩は私が新橋に来た意図に気づいていた。
「今日だけこういう服を着るのって、おかしい?」
珍しく先輩は饒舌だった。
「自分に嘘をつくって感じですか?」
コスプレの真意を問う私。
先輩は孤独だった。
4月1日に嘘をついて笑い合う相手がいない。
相手がいなければ「自分自身にウソをつくしかない」?
そういうことだろうか。
「嘘はついてない。これが自然体だから」
先輩は下手なウソをついた。
エイプリルフールの日なら少々奇抜なことをしても大目に見られる。
それを逆手に取って「自分に正直になっただけ」だと言うのか?
私は違うと思った。
萩原先輩はあの重苦しい空気の社会部で記事を書く人だ。
うつむいて一心不乱にパソコンのキーを叩く姿が誰よりも似合う。
それが萩原由真のはず。
上層部の編集方針に従わず、辞表を出した先輩。
真実だけを追い続けてきた先輩は嘘をつけない人だった。
窓の外をぼんやりと眺める先輩。
毎日がエイプリルフールになった先輩は時間を持て余しているように見えた。
私が注文したチャイラテは思ったよりスパイシーで、
「早く戻って来てください。先輩のこと、みんな待ってますよ!」
と、ピリピリした舌が勝手に嘘をついた。
先輩はフフッと笑った。
ウソは苦手なくせに、他人の嘘はすぐに見抜くのだ。
(おわり)
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