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それでも好きが止まらない(後編)
抱きしめられていれば、あー各務くんだなぁ、なんてしみじみと感じてしまう。
このまま暫く堪能したい欲にかられたが、今の俺には任務があった。
「各務くん、あの、カレーが……」
そう、夕飯を作るという任務である。焦げるのではないかと心配になったのもあるが、これで話題を変えられないかと試みた。
だって好きすぎて泣いたとかちょっと……いや大分重いだろう。
しかし俺の目論見は失敗した。各務くんは俺を抱きしめたまま手を伸ばして火を消す。なんて狭いキッチンなんだろうか。完全敗北である。そして各務くんの無言の圧が強い。
……俺は大人しく降参することにした。
「その、自分でも良くわからないけど、各務くんのこと好きだなぁって思ったらブワってなったんだよ。……悲しいとかじゃなくて、安心したっていうか」
観念した俺はなんとも拙い説明をする。
もっと判りやすく説明してとか言われたら困るなぁと思っていたが、各務くんは一瞬息を呑んだあと、俺の背中を子どもをあやすようにトントンと優しく叩いた。
それが心地よくて、俺ももっと各務くんに触れたくて、無意識に抱きしめ返す。
「……で、食事できないほどしんどかったのは?」
「うっ、それは、その、各務くんと一緒じゃないとご飯が美味しくなくて、面倒になったから手を抜きました」
「は? 何だよそれ。なにか悩み事があるとかじゃなくて?」
「悩みは特にないよ。………なんだろうね。各務くんに会えなくて、寂しすぎたのかな」
味の変化については自分でも何故かわからないので説明のしようがない。
彼氏に会えなくて寂しいなんて、可愛い女の子ならまだしも三十過ぎのおっさんが言うのはかなり痛々しいだろう。
自分のみっともなさは判っている。さすがの各務くんも引くかもしれない。
俺が恐る恐る各務くんの様子を伺うと、各務くんは複雑な表情を浮かべていた。
悲しそうな嬉しそうな怒ってるような、口元がモニョモニョしている。
これはどういう心境なのだろうか?
各務くんの真意がわからず戸惑っていれば、そっと涙を指で拭われた。
うっかりトキメイてしまうから、さり気なくカッコいいことをするのは止めて欲しい。
「なんか、ごめん」
「え? なんで各務くんが謝るの」
「あー……いやなんだ、その、おれ、こういう時、うまいこと言えないから、その、ごめん。あー、でもほんとあんた何なの? 俺に会えなくて寂しすぎとかマジかよ。……ヤバい、まじ、ヤバいから、ちょっと待って。ちょっとマジで、ごめん、落ち着くから」
「え、あ、うん」
各務くんはそう言うと俺から離れて部屋の方へ移動してしまった。突然早口になったかと思えば部屋で「ヤバい」とか「まじかよ」とかブツブツ言っている。
とりあえず混乱している各務くんはそっとしておいて、俺は夕飯の続きを作るべきだと判っているが、ついつい各務くんの後を追ってしまった。
「っ!?! なんであんたも着いてくるの?!」
しゃがみこんでいる各務くんの隣に当たり前のように俺もしゃがむ。
混乱しつつ真っ赤な顔でニヤけている各務くんは、今まで見たことのないレアな表情だ。
なんだか凄く良いことあったんだなと判るが、何がそんなに嬉しいのかわからない。
だけど多分自惚れでなければ俺が各務くんを喜ばせているのだろう。なら隣に居ても問題あるまい。それに今は。
「……なんか、各務くんと離れたくないなって思って」
俺の感情任せの答えに各務くんは耳まで赤く染めると、ついには両手で顔を覆って天を仰いでしまった。
「あんた、ほんと、そういうとこ質悪いな……」
指の隙間から覗く瞳は相変わらずキツく睨みつけてきたけど、真っ赤な顔で息も絶え絶えになった各務くんに凄まれても、ただただ可愛いだけである。
途中で放置してしまったけど、無事に完成したカレーとサラダを二人で食べた。特に可もなく不可もなく想像通りの味なのに、各務くんと一緒に食べているというだけで何倍も美味しく感じられた。
それを各務くんに伝えたら「高い牛肉だから美味かったんじゃねぇの?」と言われてしまった。
でも俺の言葉に満更でもない顔をしてたので、照れ隠し可愛いなぁと俺の心はほかほかした。
あの後、俺は真っ赤になって天を仰いだ各務くんに、ご機嫌になった理由を問い詰めた。だって何がそんなに嬉しかったのか知りたいじゃないか。
各務くんは言うのを渋っていたが「寂しがるあんたが可愛すぎて、まじヤバイ」との回答を得た。それを聞いて思わず「それは各務くんの感性がヤバイのでは?」と真顔で言ったら怒られた。ちょっと理不尽だと思う。
さらにもう一つ、各務くんに怒られた事がある。これは完全に俺の落ち度だったんだけど。
「自分の誕生日忘れるとか、普通ないよな?」
そう、なんと今日は俺の誕生日だったのだ。
三十歳を過ぎれば家族からも祝われなくなり、疎遠になった友人たちからも連絡はなく、自分の誕生日の存在などすっかり忘れていた。
いや日付は覚えているけど、今日がその日だというのを失念していたのだ。
今日は各務くんとの夕食会!! それしか頭になかった……。
「だからケーキか!」
「気づくの遅ぇよ」
呆れ顔の各務くんが食後のコーヒーとケーキを用意してくれた。3と1の形のロウソクも用意してくれてたけど、使うのが勿体ない気がして記念に取っておくことにした。カットケーキにロウソク乗せるのも窮屈に見えるしね。
「あはは、えへへ、嬉しいなぁ」
酒が入っているわけでもないのに、俺はフワフワとした気分で苺の乗ったチョコケーキを食べる。各務くんはシンプルなチーズケーキだ。
「あのさ……我慢しないでいいから」
「ん?」
「おれに会いたいとか、そういうの。さっきは取り乱して寂しがるあんたが可愛いとか、なんか最低なこと言っちゃったけど、好きな人を寂しがらせるなんて、良く考えたら最悪だよな」
ケーキを半分食べたところで各務くんが静かな声で言った。隣に座る姿を見れば、正面を向いたまま真面目な顔をしている。
「おれの自己満足のせいであんたを傷つけた、本当にごめん……なさい」
消え入りそうな声で各務くんはそう言うと、ラッピングされた小さな箱を取り出した。間違いなく俺への誕生日プレゼントだろう。他人からもらうのは何年ぶりだろうか。
「開けてもいい?」
「……うん」
小さな箱の中身はシルバーの腕時計で、俺でも知っている海外の老舗時計メーカーのロゴがついている。
「え、まって、これかなり高いやつじゃ……」
大学生が買うにはバイト代を何ヶ月、下手したら年単位で貯めなければ手が届かない価格だったはずだ。
各務くんと腕時計を交互に見ていれば、各務くんは視線を合わせることなくバツが悪そうな顔をする。
「いつも身につけて貰えるものがいいなって思ったんだけど、あんたアクセサリーとかつけないし、時計ならいいかなって。実用性とか職場に着けてくなら、それなりの物の方がいいだろ?」
「いや、でもだからって流石にこれは……」
俺が戸惑っていれば、こちらを見る各務くんと目があった。
「だから、おれの自己満足なんだって言ってるだろっ! ちょっと予定よりバイトも増やさなくちゃいけなくて、会う時間も削って、あんたがまともな飯も食えなくなってるのにおれはあんたのためだって自惚れて、あんたを放置してたんだ」
きつく自分の手を握りしめ、視線を外すことなく真っ直ぐ俺を見つめたまま、各務くんは「ごめん」と呟いて頭を下げた。
胸がギュッとなる。これはトキメキではない。
……学生から貰うにはあまりに高価過ぎるプレゼントだ。だけどこれを受け取らないということは、各務くんの苦労や俺への愛を否定することになるんじゃないだろうか。
俺は箱から時計を取り出すと腕にはめる。
高級メーカーだけあって装着感も良い気がした。
「各務くんが謝ることは何もないよ」
未だ頭を下げている各務くんの肩にそっと手を乗せる。腕時計が照明に反射して煌めいた。
「各務くんは自己満足って言ってるけど、俺への好きって気持ちで頑張ってくれてたんでしょ? それが最悪なんてことあるわけが無い。それに一か月会わないくらいで、あ、厳密には朝会ってたけど、とにかくそんなすぐに大の大人が弱るなんて普通思わないし。……俺は嬉しいよ。時計、ありがとう。大事に使わせてもらうね」
「……うん」
俯いたままで顔は見えないけど、その弱々しい声に庇護欲が掻き立てられて、思わず各務くんの頭を胸に抱きしめた。
「あ、でもこれを俺が受け取るってことは、各務くんも俺からのプレゼントは無条件で受け取るってことだからね」
「は? いや待て、あんたの散財はヤバい、からっ……」
顔を上げて抗議しようとする各務くんの頭をしっかりとホールドしたままほくそ笑む。
「ははっ、きっと俺の愛は各務くんより重いからね。覚悟してね」
「愛の重さとか関係なく金遣いが、あんたのは絶対洒落にならねぇだろっ」
抱えていた頭は強引に振りほどかれ、じゃれ合う様に暴れていれば、気付いた時には各務くんに押し倒されていた。
お互いドギマギと意識しすぎたせいかキスすら出来ぬまま、大人しく座りなおして残りのケーキを美味しく食べる。
なんだかんだと話し合った結果、最終的に各務くんは俺からのプレゼントを受け取る約束をしてくれた。ただし、プレゼントは俺のひと月分の給料より安いものに限ること。
俺は俺で寂しくなったら体調の変化をきたす前に、必ず各務くんに伝えることを約束させられた。
ただお互いがお互いを思って、好きだからこそ頑張れていた事が相手を無意識に悲しませた。
各務くんはすました顔をしているが、大学生の夏休みがいくら長いからといって、これだけの金額をいつもの生活費の他に稼ぐのは並大抵のことじゃない。各務くんは悪態はついても嘘はつかないから、研究室の手伝いだって本当にやっていたのだろう。
彼こそ睡眠時間を削り、体力ぎりぎりの日々を過ごしていたんじゃないだろうか。
「ねぇ、各務くん。寂しくなくてもたまには連絡してもいいかな」
俺にとって甘えるのは我慢するよりハードルが高い。年下の相手ともなればその敷居はさらに高くなる。だけどもう二度と各務くんの努力を自己満足だなんて言わせたくない。
だから俺は毎日美味しくご飯が食べられるよう、これからは各務くんのお言葉に甘えることにする。
「なんなら、毎日食ったものの写真送ってくれてもいいけど」
「それってどこかのスポーツジムみたいじゃない?」
思わず二人で顔を見合わせて笑う。
俺たちはこれからもきっとすれ違ったりするのだろう。だけど各務くんとなら、こうやって最後には笑いあえるに違いない。
そっと各務くんの手に触れれば、当たり前のように握り返してくれる。その手の暖かさに、そんな気がした。
(第四話・終)
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