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まさか好きとは思うまい(後編)
育休明けの復帰と新人が入ったタイミングが同じで、俺は二人同時に仕事を伝えることができた。
社内の事も判っている方だから、赤ちゃんが急に熱を出してしまったりと勤務は安定しなかったけど、週に数時間でも来てもらえるだけで俺の仕事量は格段に減った。新人も簡単なことならその人に聞いてくれたので、俺の時間が新人教育に大幅に削られる事もなかった。
なので二月には日曜の休みを確保できたし、夜も21時には退社できた。
ただ困ったことに家に着くのが0時前になってしまったので、コンビニに寄っても各務くんと会わなくなった。
「あんた最近、夜来ないよな」
「早く帰れるようになったんだ」
「……ふーん」
「レポートは終わった?」
「……うぜぇ」
なので、朝会いに行くことにした。
一月になったらまた各務くんが居ない日があって、店長さんに聞いたら「レポートが終わらないって言うからお休みにしてあげたの」と個人情報をさくっと教えてくれた。
今は知り合いだから、まあいいのかと思う。
「明日飯、夜でいい?」
「うん、いいよ」
「じゃあ五時にそこで」
「コンビニの前ね、わかった」
会話の量は増えたが、今は後ろのお客さんを待たせないで済むようになった。
なんだかんだと各務くんと話すようになって三か月くらいたったんだな。あの頃は本当に仕事に追われていたから毎日良く判らないうちに終わってたけど、各務くんとの会話? 挨拶? のお蔭で人間としての最低限の心が守られていた気がする。
いや「うざい」とか言われて守られる心ってなんだろなと、冷静になると意味が解らないけど、俺の状況が相当やばかったという話だ。
各務くんと約束の日はバレンタインだったので、職場で貰ったチョコをお裾分けしようと持参した。頑張っていた俺になんだかみんな気を使ってくれたらしく、六個も貰ってしまったからだ。
もし食べないっていうなら持って帰ればいいし。
約束の時間にコンビニの前で立っていれば、中から各務くんが出て来た。
「あれ? そういえば今日バイトの日じゃないの?」
「変わってもらった。飯、うちでいい?」
「いいよ。あ、それなら何か買ってく? 飲み物とか」
「は? 俺がおごるんだけど?」
「え? 飲み物はいいよ、ご飯だけ食べさせて。お酒でいい?」
「あんたと一緒のでいい」
「あはは、何買うかバレてるよね。……って、あ? そうだ、歳いくつ?」
「二十歳」
「じゃあ飲めるね。適当に買ってから家行くよ」
「……チッ、わかった」
なんだか久々に不良店員くんって呼んでた時代の舌打ちを聞いて、思わず笑ってしまう。
俺はいつもの缶チューハイとビールと適当に買って各務くんの家へ向かった。コンビニが近いと買い足しも楽でいいな。
「ゆかり荘」は古い建物だけど、中はまあまあ広かった。四畳半にキッチンがついててその奥に六畳間がある。俺の住んでる1Kより広い。
四畳半に小さなテーブルがあって、その上にコンロと鍋が乗っていた。
「懐かしいな、大学生ってこういう感じだよね」
「勝手に先輩が置いてった」
「あはは、溜まり場確定だ」
冷蔵庫も勝手に開けていいと言うので買ってきたチューハイとか出し入れして、鍋を食べた。ご飯も炊いてあった。ちゃんと食事してんだな、偉い。
そういえばテレビが部屋になくて不便じゃないか聞いたら、パソコンで見るから要らねぇと言われて今どきはそうなのか?? と驚いた。
あと各務くんは俺と同じ大学に通ってた。学部も違うし、学科もなんだかんだと変わっているから同じ先生に習ってはいなかったけど、学食のメニューは変わってなくて、積極的には会話をしてくれないが各務くんと話すのは楽しかった。
「あ、そうだ甘いもの好き?」
「……ふつう」
「じゃあ、チョコあげるね。職場で今年結構もらってさ。あ、もしかしてきみも結構貰ってたりする?」
「もらわねぇよ」
「そっか。はいどうぞ」
俺は鞄からチョコの赤い包みを取り出せば各務くんへ差し出した。
「……まじ、キモイんだけど」
ぼそりと呟かれて、あれ? と思う。
「ごめん、えっと、嫌だったこういうの?」
「は? なんで?」
「今、キモイって言ってたから」
差し出した包みをしまうべきか悩んだけど、チョコには罪はないし。
悩みつつ各務くんを見れば睨まれた。
「……聞こえてんのかよ」
「え? 聞こえてないと思ってたの??」
「あんた、耳遠いじゃん」
「そんなことないよ。いつも俺の事、ウザいとかキモイとか言ってたの聞こえてたよ?」
「は? なんで? 財布の時ぜんぜん気付かなかっただろ」
「あれはちょっとぼーっとしてたから……」
「ていうか、ウザいとか言ってる奴と飯食ってんの……え? なんで?」
「そう、なるね。あ、でもなんていうか、挨拶なのかなって思ってたからあんまり気にならないっていうか……えっと、ごめん」
嫌われてんの解ってんなら来るなって事だよね。確かにごもっともだ。
「えっと、俺帰るね。今日はご馳走様。片付けとかしないでごめんね」
久しぶりに仕事関係以外で食事ができるからって、確かに浮かれてた。各務くんとの約束と、仕事の区切りが同じだから、なんかもうその日ばかり待ち遠しくて。
そうだよな。俺の方が大人なんだし、ちゃんと気を使うべきだった。
「は? ちょっと待てって!」
「え? あ? ごめん。片付けてった方がいい?」
「いや、そうじゃなくて………………その、ごめん……なさい」
荷物を持って立ち上がりかけたら、鞄を掴まれ制止された。
「えっと……え?」
「聞こえてるとは……思ってなくて……」
「うん、俺も嫌われてるって判ってるなら来るなって話だし、ほんとごめんね」
「は? ちげぇよ」
「えっと、お礼はこれで大丈夫だからね。美味しかったし」
「だから、そうじゃなくて……とにかく座れ」
「あ、はい」
思いっきり睨まれたので俺は大人しく元の場所に座る。思わず正座した。
「その……ウザいとかは、あんたに言ったんじゃなくて……」
俺が座れば各務くんは俯いてぼそぼそと話し出した。
「俺じゃないの?」
「あんたじゃない」
「えっと……俺の背後霊とかそういう?」
「そんなの見えねぇよ。あんた見えんのかよ?」
「いや見えないけど、じゃあ……何がウザい、の?」
背後霊の話をしたら、顔を上げて馬鹿にしたような顔をしてきたが、またすぐに俯いた。
「おれが……キモイし、ウザい」
「へ?」
「だから、おれがって言ってんだろ!」
うつむいたままキレ気味に言われたんだけど。
「ごめん……意味が解らない」
俺は素直な感想を述べた。確かに俺がウザいとかキモイとか言われるのも良く判らなかったけど、さらに解らない。
「その、あれだよ……あんたのこと、いいなって思ってる自分が…キモイなって」
「いいなっていうのは……?」
毎日同じ時間にくたびれた顔して缶チューハイとおにぎりを買う生活がいいなって思った……わけはないよな。
「あんたに前にも助けてもらったことが、あって……それから……店来るたびにいいなって……」
「えっと……?」
「一年の時まだこっちきたばっかで、気持ち悪くてコンビニの前で座ってたら仕事行くあんたが声かけてくれて、コンビニで水買ってくれて、ついでに店長にも話してくれて……」
「あ、あった。時間なくてお店の人に結局お願いしちゃったけど。え、あれ? あの子きみだったの? だいぶ雰囲気変わったね。あれか、大学デビューか」
「……うぜぇ」
「あ、すみません」
今のウザいは俺に対してなのはわかった。
「……キモイだろ。それであの店でバイトしてるとか、ストーカーじゃん」
まあ、確かに。
「でも家から近いからそこでバイトしてんじゃないの?」
「……それもある」
「じゃあ別にたまたま俺が来てるってことでいいんじゃない。そっかそっか、俺の事じゃなかったのか。良かった。俺何したんだろうって思ってたから」
「いや、良くねぇだろ」
「え? そうなの?」
「……気持ち悪くないのかよ」
「別に気持ち悪くはないけど……あ、一応言っておくけど俺男だよ?」
「……見りゃ判る」
「だよね、えっと、きみも男だよ、ね?」
「女に見えんのかよ」
「見えません」
「じゃあ、聞くなよ」
「いやほら一応……」
そして訪れる沈黙。
これは……どうしたらいいんだろうか。いいなと言われてはいても告白されたわけではないし。
「あの、これ……チョコ、とりあえず食べない? バレンタインだし」
「……意味わかんねぇんだけど」
「いや、あの、間が持たなくて」
「……他の女から貰ったチョコとか、最悪なんだけど」
「これ義理チョコだよ」
あははと笑ってたら、各務くんがおもむろに立ち上がって、冷凍庫からチョコの入ったモナカアイスを取り出してきた。
そして俺に投げてくる。
「それ、食ったら……その、なんつぅか」
チョコモナカアイスを指さしてぼそぼそと各務くんが言う。バレンタインに本命を貰ったのは初めてだな。
俺は包みを開けて食べた。
さすがロングセラーなだけあってチョコモナカアイスは美味い。
「は? 何食ってんだよ??」
「え? 食べちゃダメなの? 俺、本命チョコ貰ったの初めてだから嬉しいんだけど。食べないと溶けちゃうし」
「はぁ?」
「え、あれ? 違った? 今、告白されてるんだと思ってたんだけど、違ったら物凄く恥ずかしい…んだけど」
「……ちがくねぇ」
それなら良かった。こういう勘違いは物凄く恥ずかしいからね。
「あんた、おかしいんじゃないのか? 普通こう、もっと、驚いたりとか……」
各務くんが自分の気持ちにすごく驚いたんだろうな、となんとなく伝わる。
誰かを好きになったりするのを「きもい」とか思う必要ないと思うんだけど。俺に迷惑をかけていたわけでもないし。
「うーん、驚くより嫌われてなくて良かったなとか、本命チョコ貰ってうれしいなとか、そういう風に思うけど、それがおかしいって言われたらそうなのかも。半分食べる?」
各務くんが大人しく頷いたので、チョコモナカアイスを半分割って渡してあげる。
「とりあえずお返しにカニ鍋やりたいけど、どう?」
「は?」
「バレンタインのお返し。俺ここんとこ仕事しすぎてて、鍋とか誘える奴いなくなっててさ、みんな結婚したりしてるし。あ、もちろん嫌じゃなければだけど」
「……いやなわけねぇだろ」
「そっか。カニ好きなら良かった」
いやほんと仕事ばっかだったからお金を使う余裕もなくて、ちょっと贅沢出来るくらい溜まったしお取り寄せとかしちゃおう。
「……好きなのは、カニじゃなくて、あんただよ」
「は? え?」
「あんたが好きだって言ってんだよ。解ってんだろ、聞き返すな!」
「え、あ、ごめん。解ってたけど……ちゃんと言われると、破壊力違うな……はは、えっと、ありがとう。えっと、なんか暑くなってきたね。窓開けようか」
俺が提案すれば各務くんが窓を開けてくれた。
その後、ホワイトデーにカニ鍋をした。もはや贅沢にしすぎて海鮮鍋になったけど。
各務くんとは相変わらずコンビニで挨拶をする。
俺と会っても「キモイ」とか言わなくなった。それがちょっと寂しいと言ったら「あんたマゾか?」と冷たい目で言われたけど、あの時はその罵倒じみた言葉すらも俺を救ってくれていたのだと各務くんに言えば、珍しく照れていた。
新人が育って仕事の就業時間が安定した俺は、たまに夕飯を各務くんと食べる。今となると缶チューハイとおにぎりが夕飯だった生活を思い出せない。
来週は映画に行く約束もしている。
恋人と言えば恋人だし、仲がいい友達と言えばそんな感じの関係だ。
今、各務くんと過ごすのがとても楽しいので、これ以上、関係がどうこうなるというのなら、またその時に考えようと思う。
(第一話・終)
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