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ちゃんと好きだと伝えたい(中編)
秋晴れと言うには蒸し暑い平日。
本来なら仕事の日に休みを取るというのは、ただそれだけで贅沢に感じる。
しかし残念ながら各務くんは深夜のコンビニバイトは休めなかったらしい。それまでには帰るので問題はないけど。
あまり連れ回すのは悪いので、はしゃぎ過ぎないように気をつけよう。
各務くんのおまかせで向かった先は水族館の他にも小さな遊園地や数店舗のレストラン、お土産屋などが離れ小島の中に併設されたテーマパークだった。
久しぶりに見た遊園地の乗り物にも思わずテンションが上がるが、本日の目的は水族館である。
「イルカショーとか、ほんとにあるんだ」
「え? 各務くん見たこと無いの?」
水族館の入口でパンフレットをもらい、きちんと確認するあたり各務くんの真面目さが伺える。
「ない。おれの住んでたとこの水族館、イルカは居なかった……と思う」
「アシカは?」
「それは居たと思うけど、トドとどう違うの?」
「え?」
「は?」
アシカとトド、聞かれても俺もわからない。なんかボールを鼻に乗せたり、あうあうと手を叩いたりするのがアシカだった気が……。
「……セイウチ、アザラシ、オットセイ」
「へ?」
「海獣っていうらしい」
記憶を検索する俺とは違い、気付けば各務くんはスマホでアシカたちを調べていた。
俺たちと同じくいわゆる海獣の違いに首を傾げる人は多いようで、検索サイトの予測変換に「アシカ トド ちがい」と出てきたのには二人で笑った。
入口から立ち止まりつつも俺たちは水族館をのんびりと見学した。
槇さんが言ってたように水族館内は快適な温度で、平日だからかそこまで混んでもいなかった。小さな子を連れた親子連れと大学生くらいのグループやカップルが多い。
ふと、俺と各務くんはどう見えるのかな? と思った。
この暗がりなら俺もまだ若く見えて友達同士といったところだろうか。
隣に並び薄暗い水槽を見つめる各務くんの横顔を伺う。なにげに真剣な顔だ。思ったよりも魚に興味があったのかもしれない。
魚に夢中なのかと思えば、真剣にサンマの群れやカニの水槽を見ていた俺に「それ、食えないから」と言ってきたので、俺のこともちゃんと視界には入れてくれてたようだ。
なんだか凄くくすぐったい気持ちになった。
水槽の迫力なのか魚たちの知名度なのか、歩いていると人混みに差があった。
今いる水槽はヒトデを展示しているが、あまり人気のない場所なのか壁に埋め込まれている小さな水槽をみんな素通りして行く。
そんな小さな展示すら俺たちは真面目に案内を読み見学した。
そこで俺は気付いた!
もしかしなくても、これはチャンスなのではないだろうか。人が少ないならちょっとくらい、恋人らしいことをしてもいいんじゃないか?
と言っても俺の思いつくのは手をつなぐこと位だけど。でも、俺と各務くんにとって手をつなぐことだって初体験である。
……俺はそっと各務くんの手の甲に手の甲で触れる。
いけないことをしているようで、緊張で心拍数が上昇する。避けられたらショックなので強引に手を取ることは出来なかった。
触れた各務くんの手がビクリと震える。
各務くんが俺を見ているのが水槽越しに見えるが表情までは判らない。手はまだ触れられる位置にある。引かれてはいない。なら、大丈夫、たぶん、きっと。
俺は口から心臓が飛び出しそうなほど緊張しながら各務くんの手をそっと握った。
正直会社のお偉方と話すよりも緊張している。
各務くんの手が動いたので、振りほどかれる、と思った。
仕方ないよな二人だけじゃないし、と自分に早めに言い訳したのだがその必要はなかった。
遠慮がちに繋いでいた俺の手を、各務くんはしっかりと握り返してくれたのだ。
俺たちはちょっとだけ、その場で手を繋いだまま水槽を眺めていた。
ゆっくりと館内の水槽を見学したあとはイルカショーを観た。音楽に合わせてものすごい高さに飛ぶイルカに拍手喝采である。各務くんは身を乗り出して観ていて、なんとなく大の大人が前列に座るのは気が引けて二人で後ろの方に座ったんだけど、これならもっと前に座れば良かったかなと少しだけ後悔した。
「各務くん、ふれあいコーナーでイルカに触れるみたい」
水族館を出て、さて次はどこに行こうかとパンフレットを見ていれば、メインの水族館の他にもふれあいコーナーなど別の建物にあるのを発見した。思った通り各務くんは興味津々のようで、さっそく向かうことにする。
タイミングよくイルカに触ることが出来たのだが「なんか……魚」とイルカをひと撫でした各務くんがどこかがっかりした顔で呟いたので笑ってしまった。
俺ももっともっちりしてるのかと思ったから触ってちょっとびっくりしたけど、これは実際触らないと判らない驚きと感動である。
その後は釣り堀で魚釣りをした。ちょっと各務くんは難色を示したものの、釣った魚が隣のバーベキューレストランで食べられるのだと知った俺に押し切られた。
自分で釣った魚をその場で食べるなんてなかなか出来る体験じゃない。というか30年生きてきたけどやったことがない。
「あんた食べることになると目の色変わるよな」
ちょっと呆れ気味に各務くんはぼやいていたが、ちゃんと付き合ってくれる優しい子である。釣りのセンスはどちらも微妙だったけど、小さい子も挑戦できるだけあってわりと入れ食い状態だったので釣れないという事はなかった。
釣った魚をレストランに持っていき、だいぶ遅くなった昼食をとる。
バーベキューレストランはビュッフェ形式で、各務くんは言うまでもなく山のように肉を取ってきていた。あとカレー。
「なんで食べ放題なのにカレーを持ってきちゃうんだろう。絶対に違うもの食べた方がお得なのに」
「……美味いから?」
「美味しいよね」
「焼いた肉入れるとさらに美味い」
そう言いながら各務くんは食べ頃に焼けたカルビを俺のカレーへトッピングしてくれる。
もちろん俺もカレーを持ってきていた。あととりあえず野菜。玉ねぎとか人参とか。特に打ち合わせをしたわけでもないけど、俺と各務くんは交互に焼く係を代わりつつ、食べ頃や美味しそうなところを相手の皿へ入れていた。
俺の場合は職場での忘年会や歓送迎会なんかで身につけた気遣いだけど、大学生の各務くんが俺と同じように気を配ってくれる事に感動する。本当に気が利く。
グリルから立ち上る炎に悪戦苦闘しつつ俺のために肉を焼いてくれる各務くんを、気付けば惚れ惚れと見つめていた。
「うう、お腹いっぱい」
「おれも」
うっかりいつもの倍くらい食べてしまった。ただのビュッフェならここまで食べられなかったと思うけど、焼くのが楽しすぎたし焼いてもらうのが嬉しすぎた。
釣った魚も美味しかったので大満足である。
「今度、焼き肉の食べ放題行こうね」
あまりの達成感に思わず口から出た俺の誘いに、各務くんが心底呆れた視線を向けてくる。
「は? なんで今こんなに腹一杯の時に食べ放題の話しすんの?」
「え? 各務くんと行きたいから? ……駄目だった?」
「いや、行くけど……」
各務くんは呆れた顔のまま小さくため息を着くと、なんとも言えない複雑な表情を浮かべた。
そんなに食べすぎたのだろうか? 俺はかなり食べたけど。
そのあとは乗り物に挑戦するのを諦めお土産を見つつ、まだ行っていなかった施設を見て回っていれば結構な時間が経っていた。
気付けば夕暮れになっておりパーク内には明かりが灯った。海の水面に光が反射して、ただの街燈なのに不思議と綺麗に見える。いつの間にか子ども連れの姿はなく、見渡せばカップルの姿がやたらと目につく。
「あと何かやりたいことある?」
売店で買ったコーヒーを飲みつつ、ベンチに腰掛けぼんやり海を眺めていた俺に各務くんが声をかけた。
「いやもう満足しました。楽しかった。各務くんは? あの大きなイルカのぬいぐるみ本当に要らない? 今ならまだ戻れるよ?」
「要らねえよ」
同じくコーヒーを飲みつつ隣に座る各務くんが嫌そうに答える。欲しそうに見てたと思ったんだけどな。今日一日一緒にいて、各務くんは絶対にイルカを気に入ったと確信している。いつも睨んでいるような視線の多い各務くんの目力が緩み、イルカをキラキラとした少年のような瞳で見てた。可愛かった。
色々出来たのも楽しかったけど、なにより普段見られない各務くんを見ることが出来て大満足である。俺が思わずニヤけていれば各務くんに睨まれた。
これ以上は本気で嫌われそうなので、俺は顔の筋肉を総動員して思わず笑顔になってしまいそうになるのを堪える。
「……なぁ、まだ時間平気?」
「うん、大丈夫だよ。8時に出ればバイトの時間には間に合うし」
「バイト?」
「? 各務くん今日コンビニでしょ?」
俺が答えれば各務くんが目をパチクリと瞬かせる。
「……おれじゃなくて、あんたの予定を聞いたんだけど」
「え、あ、そうなのか。俺は全然大丈夫だよ」
俺の答えを聞けば各務くんは立ち上がると駅へ向かって歩く。どこか他に行きたい場所があるのかと思い着いていけば、駅を通り過ぎて小島であるテーマパーク全体が見える対面の海岸へ向かっていた。
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