エピローグ

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 先野光介は、ここ数日どこかぼんやりしている原田翔太に気づいていた。  浮気調査の案件が入っていて、サブとして原田がついていた。何度かターゲットを尾行しているがまだ尻尾はつかめていない。根気よく続けていくのが探偵の仕事である。 「今日もまっすぐ帰宅したか──」  職場を出たターゲットがどこへも立ち寄らず自宅へ入っていくのを見届けて、先野はいっしょに尾行をしていた原田に、帰るぞハラショー、と言って振り返る。  パートナーである依頼者が「怪しい……」と気づくぐらいだから浮気は間違いなくしている。いくら巧妙に隠し通していても隠しきれないものなのだ。なにかの拍子で浮気の匂いを感じさせてしまう。そしてそれはだいたい外れていない。何日か尾行していけばいつか必ず証拠をつかめる。  原田は、はい、と返事をし、きびすを返して歩き出す先野についていく。 「どうした、ハラショー。集中力が途切れているぞ」  ペアでターゲットを尾行する場合、バレないように連携するのが大事だ。しかしここのところその連携に齟齬が見られた。幸い、ターゲットは自宅に帰っていたからよかったものの、下手をすると尾行中に見失ってしまうこともあり得た。 「はぁ……すみません……」  おざなりに謝った。 「あの依頼者のことが忘れられないんだろ」  先野は指摘した。花浜というとんでもない美女に、原田がなにも意識していないわけがなかった。 「いいえ、そんなことは……!」 「隠さなくていい」  先野は歩きながら上着のポケットからマルボロを取り出し一本をくわえると使い捨てライターで火をつけた。夜の街角にポツンと光が灯る。 「確かに美人だったよなぁ……。長く生きてきたが、あんな美人を見たことはなかったよ。まさしく浮世離れした美しさだった。あんないい女がこの世にいるんだなぁ……」  クルーザーに乗っていた幕石と、花浜は無事に再会できた。どういう経緯で海上で再会できたのかは、先野は原田からの話しか聞いていないから詳細は知らないが、さがし人が見つかったのだから万事解決で、それはそれでよかったと、クルーザーから降り立った二人を見てそう思ったのだった。  ついでにマリーナに呼んでいた警察によって、比森に(とが)があるのかどうかもはっきりするだろう。顧客である比森に対してそんなことをするのは余計なのかもしれないが、うやむやにしたくなかった。  探偵業をしていると、ときどき犯罪まがいの人間とも出会う。浮気相手が結婚詐欺師だったり身辺調査をしていてストーカーを発見したり。社会正義無くして探偵は存在意味がないのだ。 「あんな美人なら、おまえが我を失ってしまうのも無理ないさ」  吐き出した紫煙が風に吹かれて拡散する。 「探偵(このしごと)を長くやっていると、いろんな人間に出会う。困っている美人の客から依頼を聞いたら心が動いてしまうこともある。おまえはまだまだ若いからな。男は失恋を重ねていけばいくほど強くなっていくものさ。精進しろよ」 「はい……」  先輩風を吹かせる先野の言葉を二十三歳の原田は素直に聞いていた。いかつい顔の三十八歳独身男がどれぐらい恋愛遍歴を積んできたのかは想像もつかないが。 「すぐに切り替えられないかもしれんが、なぁに、もうすぐ春になるし、おまえにも春が来るかもな」  その外見が醸し出す雰囲気ではとてもではないが春が来そうにもなさそうな先野は、くわえ煙草でふっと小さく笑った。ちょっと気持ち悪い笑顔だった。
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