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「一ヶ月も音信不通なんですよ、どう考えてもおかしいでしょ!」
スマホの通話相手に向かって、別矢芽衣咲は声を張り上げずにはいられない。
『いや、そうは言うけど、創作が煮詰まってて、外からの声をシャットアウトしたいときだってあるだろう?』
予想以上の剣幕に、通話相手の男はややたじろいでしまっている。
『――きみだってクリエイターの端くれなんだから、そういう気持ち、わからんでもないでしょうに』
「それにしたって、メッセージに既読はつかないし、通話にも出ないって、ちょっと異常じゃないですか?」
クルーザーで海に出てくる、というメッセージが届いたのが一ヶ月前。インスピレーションを得るためにと、幕石閃輝が海に行くことはときどきあったから、さほど気にもとめていなかった。そして海に行った後は決まって楽曲制作に没頭する。その間音沙汰がないこともあったし、別矢もいつものことだと思っていた。しかし一ヶ月も連絡がないとなるとどうなっているのかと気がかりになる。創作に夢中になっているのだとしたら邪魔をするのも悪いような気がしていたのだが、そうも言っていられない。
「いまから曲が上がっても、動画公開にこぎつけるまでにもう一ヶ月ぐらいかかっちゃう。いつまでも待ってはいられない」
『まぁ、それはわかるけど……』
幕石が作詞作曲編曲した楽曲に、別矢がレコーディングスタジオでボーカルを入れ、いま電話の向こうにいる彼――帆村央晴がアバターのダンスや背景を付けて動画ができあがる。その担当でこれまでやってきた。おおもとである楽曲ができあがらなければ、その先の工程には進めなかった。
これまでアップしてきた動画は人気を集め、新曲を公開するごとに評判は上がっていった。再生回数はタイトル一本当たりで数千万を超え、産み出した利益は億に届こうかというほど。無名のインディーズがわずか一年半でこれだけの人気を集めるのは異例であった。それだけその楽曲が人の心を惹きつけるものを持っていたということだ。
「ネットの世界では二ヶ月なんて長期ブランクもいいところですよ。死亡説まで出てきちゃう」
『焦りすぎだよ』
スマホの向こうののんびりとした帆村の声が、別矢には腹立たしい。
『──それに、おれたちにどうしようもないだろ? 幕石さんのところへ直接訪ねていくわけにもいかないし……』
「だから余計に焦ってるんじゃないですか」
お互いネットで知り合った仲間であった。どこに住んでいるのかも知らなかった。
直接顔を合わせたことは一度もない。会う必要はなかった。インターネットを介したやりとりだけですべて完結しえた。個人情報は公開しない徹底ぶりは自己を護るためでもあって、その方針に三人とも納得していたし、それでこれまで問題はなかった。
もしなんらかの問題が発生したならそのときに直接会えばよい、という認識でいたのだが、結果的に盲点をつかれたような事態に陥った。まさか、と思った。
『とにかく、いまは待つしかないよ』
帆村の言うとおりであった。なにもできることはない。
だがそれが別矢には歯がゆくてしかたがない。
「なにかあったのかもしれない……」
『なにかって……』
「急病で倒れてしまってるとか」
『おれたちはまだ二十代なんだぜ、そんな年寄りみたいな……』
「事故に遭ったのかもしれない……」
『事故って……』
なにをばかな、とため息をつかれた。
「もしかして誰かに殺されていたり――」
『いいかげんにしなよ』
苛立ちが通話を通して伝わってくる。
『幕石さんにだってなにか都合があるんだよ、きっと。おれたちが知らないだけで連絡をよこせない理由が。おれたちをこのまま放置するわけないよ。大人なんだから』
もう少し待ってあげよう、と言って通話は切れた。
別矢はスマホを机に置き、指で目頭を押さえる。ここのところしっかり眠れていない。
椅子から立ち上がり、室内を見回した。
降って湧いたようなきっかけで驚くほどの収入を短期間で得ていたが、生活そのものは以前と変わらない2LDKのマンションであった。
あわただしくすぎていく時間に追われて、気がつくと、ひどく危なっかしい場所に立っているのだと実感した。いつ壊れてしまうかもしれない成功だとなんとなく恐れていたが、それは現実のものになりそうだった。
(早く戻ってきて――)
誰にも頼れず、願うしかできないのがもどかしかった。
ネットでもリアルでも知り合いは多かったが、他人に相談することはできなかった。どこでどんな妬みややっかみで傷つけられるかわかったものではない。だから三人のことを知る者は他にほとんどいない。仕事上の知り合いである一握りの音楽関係者ぐらいだ。その人たちに話をしても解決しないだろうとも思うし、むしろ知らせないほうがいい。
別矢芽衣咲は椅子の上でひとり膝を抱える。
日が暮れようとしていた。今日もなにひとつ進展がないまま一日が終わってしまう……。
明日には幕石からメッセージが届くんじゃないか、電話がかかってくるのではないか――。そんな気持ちで待っていたが、もうこれ以上は孤独に心が蝕まれてしまいそうだった。友人はいても別矢はひとりきりだった。
――さがそう。
顔を上げ、ぽつり、とそうつぶやいていた。もうじっとしてはいられない。動き出した途端に、ひょっこりメールが入ってくるかもしれないが、それでも行動しないことには自分がつぶれてしまう。
とはいえ、幕石に対する個人情報をまるっきり知らない。決意したところで途方に暮れるしかなかった。
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