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比森、とその男は名乗った。四十代の脂ぎった顔にぎらついた双眸。ひとことでいえば人相がよくない。
もっとも、先野光介も他人のことはいえず、調査や尾行中に警察官から職務質問されることは数知れず、その回数は興信所の最高記録を更新中だとか。誰が見ても怪しそうな顔つきは本人も自覚していたが、曰く、「男は顔じゃない」であった。
事務所のすぐ外に設けられた、パーテションで区切られた六つのブースのひとつに、先野は原田とともに四人がけのテーブルについて、依頼者に対していた。
「さがしてほしいのは、右岡奈音という女だ」
と、比森は言った。暖房がきいているにもかかわらず、黒のコートを脱ごうともしない。
「年齢はたぶん二十六歳」
スマホで撮った写真を提示した。目鼻立ちが整った美人である。
「おれは彼女の借金を肩代わりした。なのに行方をくらましたんだ。なんとかさがしだしてほしい」
「借金を……代わりに返してあげたんですか?」
分厚いシステム手帳を広げた先野はボールペンを走らせる。
「ああ、六百万円ほどな」
「六百万……」
そんな大金の借金を肩代わりするなどというのは普通の関係ではない。努めて平静を装ったが、内心瞠目ものである。
「それはひどいですね……。しかし、なにかあったんでしょうか? 失踪に心当たりはありませんか?」
「それはこっちが知りたい」
先野はうんうん、とうなずく。
「警察は頼りにならないからな。ぜひ見つけだしてくれ。謝礼ははずむ」
「いえいえ、当社は規定代金のみで依頼をお受けしておりますので」
「心づくしってやつだよ。とにかく見つけてくれさえすれば」
なんと景気のいい。だが六百万円もの借金を肩代わりできたということは、相当な金持ちなのだろう……と思えるのに、眼の前の男の風貌からはカネの匂いがしなかった。どちらかというと、逃げていくカネを追いかけ回しているような気配を先野は感じるのだった。もちろんそんなことは口にせず、代わりに質問してみた。
「ちなみにさがしだせたとして、彼女になにをお望みなんですか? 肩代わりしたおカネの返却ですか」
「カネはいいんだ。とにかくおれのもとへ帰ってきてくれさえすれば」
「わかりました。では、その彼女に関する個人情報をできるだけ提出願います」
「おう、持ってきてるぜ」
ニヤリ、と比森は口角を上げ、コートのポケットをごそごそとさぐり始めた。出てきたのは、角の折れたスナックの名刺だった。
ああ、そういう関係か──と先野は二人の間柄を察した。これはハッピーエンドにはならなそうだ……。
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