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 奇跡の力が使えなければ、ダナはただの平民の女に過ぎない。しかもダナの力は、誰かとともに過ごした思い出を対価として、その誰かの願いを叶えることしかできない。自分ひとりの思い出で、自分のための願い事を叶えることはできないのだ。  お金もないし、お金に換えることのできる装飾品も持っていない。せめて婚約破棄の慰謝料代わりに、何か金目のものを持っておくべきだったとダナが考え込んでいると、見知らぬ男に声をかけられた。女には不自由していなさそうな、涼やかな美貌の男だ。 『こんなところでどうした。物取りにでもあったのか』 『ええと、そんなところかしら。住んでいたところから着の身着のままで追い出されてしまったの。申し訳ないけれど、職業斡旋所に連れて行ってくれないかしら。ついでにいい宿があったら紹介してほしいわね』  神殿に保護を求めれば下にも置かない扱いになるだろうが、それではまた同じように願いを叶えるためだけに仮初の思い出を積み重ねる生活をさせられるだけだ。ちなみに婚約したのも婚約破棄したのも初めてだったが、願いを叶えるために仮初の家族やらなにやらと、幸せぶった生活は散々やってきている。せっかく違う国に来たのなら、普通の生活をしてみたかった。 『こういうのは、話の流れというものがあるだろう。いきなり、仕事が欲しいとか宿が知りたいだとか頼むやつがあるか。女衒に捕まって、娼館に売り飛ばされるぞ』 『だってあなたって女に不自由していなさそうだし。それにその腕輪、高位の魔術師の証でしょう。大丈夫だって判断したの』 『無謀なのか、賢いのか。勘弁してくれ』  頭を抱える男は、そんな大げさな動作をしていても美しかった。久しぶりに晴れやかな気持ちになったような気がする。 『私はダナ。あなたは?』 『俺はサリバン。見ての通り、魔術師をしている』 『ねえ、サリバン。あなた、善行を積んでみたいとは思わない?』 『はあ?』 『ここに、無一文の可哀そうな女の子がいるのよ』 『女の子っていう歳か?』 『失礼ね。女性はいつまでも夢見る女の子なんですよ』 『金は返してくれなくていいから、ちゃんと食事をしろ。そんな痩せぎすじゃあ、見ているこっちが心配になる』  馴染みの店だという下町の食事処に連れていかれて、ダナは美味しい料理を心行くまで味わった。王宮の料理は美味しいがお上品すぎるし、何よりマナーにうるさい。食べても食べた気がしない。神殿の料理は清貧が基本。栄養はとれるが、素材の味を活かしすぎている。 『気持ちのいい食べっぷりだな』 『それはどうも。こんなに美味しいごはんは、いつぶりかしら。本当に、無一文なのが申し訳ないくらいだわ。何か持ってないのかしらねえ……あ』 『うん、どうした?』 『金目のものではないものならあったわ』 『守り袋か。中身はなんだ……っておい』 『だって、触るのも嫌だったんだもの』  守り袋の中に入っていたのは、かつて王太子にもらったことのある手紙だ。それを力任せに引っ張り、ダナは細かく破り捨てた。 『ねえ、灰皿ちょうだい』 『意外に吸うのか。悪いな、煙草、持ってないぞ』 『違うわよ。これを捨てるの』  ――何度忘れても、ダナのことを思い出すよ。思い出せなくても、何度だって思い出を積み重ねていけばいい――  そんな甘い言葉の書かれた手紙は、もう紙吹雪のように小さくなっている。煙草の吸殻に塗れているのがお似合いだろう。 『火がいるんだろう?』 『あら、煙草は吸わないのでしょう?』 『舐めるなよ、こちらは天下の魔術師さまだぞ』 『あら、素敵。なら、地獄の業火で焼き尽くしてくださいな』  一気に燃え尽きる手紙を見ていたら、ダナの頭をサリバンが撫でてきた。まったく腹の立つことに、こういう時の女の扱いは慣れているらしい。 『こいつ、何したんだよ』 『浮気されたの。その上、婚約破棄されて家を追い出されたのに手紙を焼くだけで許してやっているんだから、いい女よ、私は』 『ああ、そうだな。とびきりいい女だよ』 『何よ、嘘ばっかり』 『嘘じゃない。魔術師は嘘をつかない。嘘をつくと、魔術師は術を使えなくなるから』 『じゃあ、本当にいい女?』 『ああ、最高の女だ』 『うわああん、ほんどうにずぎだっだのにいいい』  そうして昼日中からわんわん泣いて、やけ酒をしたダナ。気が付けばサリバンの腕の中というか、ベッドの中だった彼女は、それからずっとサリバンの屋敷で暮らしていたのだった。
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