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第15話 小料理屋
「チガヤなんてある訳ないか…、草だもんね」
穂波は野菜コーナーを前にして呟いた。スーパーの店内なのでサングラスは外しているが、マスクの中なので誰にも悟られない。勿論スーパーにチガヤなんて置いていなかった。
「えっと、野山にあって食べられるもの。ツクシとかタラの芽? そう言うのって道の駅みたいなところにしか売ってないよね」
仕方なく穂波は目についた山菜、『こごみ』を買った。これで万葉のご飯になるのか、聊か心許ないけどないものは仕方ない。まさかパクチーと言う訳にはゆかないのだ。野菜類しか買っていないので荷物は軽く、穂波は町の中を歩いて帰ることにした。少々距離はあるが、間もなく日も暮れることだし、古くからの街は歩くと気持ちがいい。
細い路地が東西南北に走る古都の市街地は、古民家を利用した店舗が増え、観光客がそぞろ歩きをしている。こちらに来てから穂波も幾度となく散策し、小物屋やカフェなどお気に入りの店は幾つか見つけていた。路地には電球色の街灯が灯り、レトロな風情だ。穂波は初めての路地に足を踏み入れてみた。路地は格子状に巡らされているのでそうそう明後日の方向に行くことはない。
ふうん…。古い歯医者さん。機械はちゃんとあるのだろうか。うっわ、こんなところにジャスバーがある! 間口の狭い古刹の隣にはステーキハウス。只の地方都市ではないな。流石は古代の首都だ。初めての路地は新たな発見だらけだった。
周囲が一層暗くなり、穂波も一層速足になる。へぇ家の前に長細い石の庭園? あ、お店だった。
『ごはん屋もみじ』
行燈風の看板照明は紅葉の葉模様で、ほのぼのとした感じだ。ごはん屋だから和食かな。足を止めた穂波はふと思いついた。そうだ、たまには外食もいい。それにここなら『こごみ』の調理法を教えてもらえるかも知れない。穂波は格子の引戸を開けた。
「いらっしゃいませ」
小学生くらいの女の子がエプロン姿で出て来た。穂波は子ども相手ではあったが緊張する。
「お一人ですか?」
「え、ええ、そうです」
「じゃ、こちらどうそ」
「す、すみません」
店の中にはテーブル席が四つとカウンターがある。穂波は二人席のテーブルに案内された。すぐに女の子がメニューとお冷を持って来る。メニューは単純に『晩ご飯定食』のみだが、複数のメインディッシュから選べる。カウンターの向こうでは女性が一人、忙し気に振舞っていた。
「あの」
声を上げるとその女性がカウンターから出て来た。女将と言うかママさんらしい。
「えっと、天ぷらの晩ご飯定食をお願いします」
「はい、天ぷらね」
そのままメニューを抱えて立ち去ろうとするママさんを穂波は引き留めた。
「それからあの!」
「はい?」
「ご存知でしたら、でいいんですけど、『こごみ』の調理法を教えて欲しいんです。出来れば古代からやっているような食べ方を」
ママさんは、振り返って穂波を見つめる。
「『こごみ』…ってまた珍しいものを食べたいのね。でもねぇ古代からと言われても判らないけど」
「えっと、多分ですけど、茹でて薄い味つけをするだけと思うんですけど、お塩くらいしか思いつかなくて、もうちょっと何かないかなぁって」
「ふうん。お料理研究とかしていらっしゃるの?」
「いえ、大学院で古典文学を研究しているんですけど、奈良時代の人はどんなものを食べてたかって、まとめてみようかなと思いまして」
「へーえ、大学院! モデルさんかと思ったよ、美白だし。じゃあ、もしやそれが『こごみ』?」
ママさんは椅子に置かれたエコバックを指さした。
「そうです。今買ったばかりで、どうやってお料理すればいいかなって考えながら歩いていたら、ここが目に入って、ここなら聞けるかもと入って来ました」
「ふうん、見込まれたものねぇ。判った。ちょっとそれを使ってやってみてもいい? ウチには『こごみ』なんて置いてないからさ、作ってみて食べてもらうのが一番手っ取り早いから」
「あ、有難うございます!」
穂波はエコバックから『こごみ』を取り出した。
「じゃ、少々お待ち下さいね」
そこへ先程の少女がバタバタと姿を現した。
「お母さん、理人が宿題しないでゲームばっかりやってるぅ!」
「やれやれ。宿題終わらない人はご飯がありませんって言っときな」
「はーい」
少女は店の隅の扉に向こうへ消えて行った。
生活…だな。穂波はほっこりとした。
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