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第17話 イケメン来店
穂波は翌日から週3回、『ごはん屋もみじ』で働き始めた。ホールと言っても一目で見通せる範囲。香雪には身体の事情を伝えていて、屋外の仕事は控えるが、日が落ちてからならOKとなっていた。時間は大学院の授業終了後、17時から3時間。料理は賄作りから教わっている。賄と言っても佐倉家の夕食にもなるので好き嫌いや栄養バランスも考えねばならない。穂波は中学生並みにイチから教わっていた。
その日はたまたま講義が休講になり、人見教授は学会出席中、文美は他の大学へ出張講義で穂波は早々に研究室を営業終了とし、夜の部の開店時間である15時に、ごはん屋もみじに入っていた。その時間帯はまだ客が少なく、ほとんど仕込み時間のようなものだ。仕込みを通して教わることも多く、穂波はノーギャラで出勤していた。
ところが…、
ガラッ
「え? い、いらっしゃいませ」
豚肉を叩いていた穂波は慌ててエプロンを纏って表に出る。客は若い男性。少し茶髪のチャラっとしたイケメンである。
「やってますよね? 腹減ったー」
遠慮がない。
「は、はい、一部出来ないメニューもありますけど、やってます」
「ふうん」
イケメンは穂波を見ながら、ボックス席に座った。
「で、何なら出来ますか?」
「えっと…」
穂波はキッチンの様子を思い出した。豚肉は叩いている最中だし、牛肉はまだやってないし…。
「鶏肉のお料理なら出来ます。豚肉と牛肉は準備中でして」
「じゃ、チキン南蛮の定食で」
「はい、かしこまりました」
穂波は香雪にオーダーを伝えた。
「はい、チキン南蛮ね」
香雪は調理に入り、穂波は豚肉叩きを再開した。
「穂波ちゃん! 悪いけど片栗粉をここに補充してくれない? 空っぽだったわ」
「はいっ」
穂波は店の奥の扉を開けて食品庫から業務用の片栗粉を持って来た。危なかった、最後の一つだった。
「香雪さん、片栗粉、これがラスワンでした」
「あら、そう。あんまり使わないからって油断してると欠品するパターンね。来週持って来てもらうわ」
「はい。そうですね」
穂波がカウンター内の配膳台で片栗粉の袋を開け、専用のポッドに移そうとした時、奥の扉かがいきなり開いて、夏帆が飛び出して来た。
ドンっ! うわ! あ!
夏帆は穂波に体当たりした形になり、片栗粉の袋が飛んで洗い物用シンクの中の、水を張った洗い桶に落下した。
「あーー」
穂波の声に夏帆は立ち止まり、続けて叫びながら飛び出して来た理人がそこにぶつかる。
「何してるの! 走るんじゃないよ!」
香雪が夏帆を𠮟りつける。
「だって、理人がさぁ」
「違うよ! 姉ちゃんがオレの帽子を持って逃げるから!」
「おだまり!」
穂波はオロオロする。ラスワンの片栗粉が水没している。チキン南蛮が…。香雪は咄嗟に切り替えた。
「穂波ちゃん、悪いけど片栗粉、買ってきてくれない? スーパーの普通のでいいから。お金はレジから出して!」
「は、はいっ!」
このままじゃチキン南蛮を出せない。穂波はサングラスとマスクをつけると、
「理人クン、ちょっとこれ貸してね!」
夏帆が手放した理人のミリタリーキャップを被ると、店から飛び出した。
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