第25話 不幸の元

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第25話 不幸の元

 穂波は心底落ち込んだ。自分のことで、小さな姉弟が喧嘩になっている。お客さんの相手をしながら浮かぶのは二人が取っ組み合っている姿。ああ、私、疫病神みたい。幽霊よりタチが悪いや。 「穂波ちゃん、落ち込まないでよ。あんなのしょっちゅうだから」  香雪さんは気遣ってくれる。しかしそうはいかない。理人君が私を応援してくれているのはいつも感じるし、夏帆ちゃんはクールに私を見つめ、ある意味、的確に指摘をしてくれる。『ごはん屋もみじ』は私にとって安らぎの場であり、先生でもある。だから尚更自分が諍いの元になっているのが心苦しい。その日はどうやったら姉弟を仲直りさせられるかを考え続け、香雪と話をしていて帰宅は遅くなった。ふう。そうだ、貰ったお薬、塗ってみよう。  穂波はバイト用の着替え部屋で、目の周囲に軟膏クリームのような薬を塗り、薬を邪魔しないように小さめのマスクに取り換えた。そしてワンピース姿の自分を姿見に映してみる。  薬を塗ったからと言ってすぐに赤みが引く訳でもなく、穂波の顔は気味が悪いままだ。目立たないよう遊歩道を歩いて帰ろう。    格子状の路地を出て、穂波は奈良公園の中の大きな池沿いの遊歩道に向かった。灯りは所々にしかなく、足元は危うい。そもそも夜間に歩くような道ではないので人気(ひとけ)はない。空には半月が掛かっていて、奈良公園の木々から遠慮がちな鳥の鳴き声が聞こえる。数歩歩くごとに姉弟喧嘩を思い出した。  ああ…、夏帆ちゃんには言っても駄目だろうな。上から目線だから私の言うことには聞く耳を持たない。理人君は、ガッチガチに固まっているから、これまた聞いてくれそうにない。穂波は歩を止めた。遊歩道脇の池の水が、月の光を映している。お手紙でも書こうか…。月を見上げて鞄を抱えなおし、一歩を踏み出した時だった。  ズルッ・・ うわ、ああっ! ジャボーン!  法面近くの縁石に足を滑らせ、バランスを崩した穂波は傍らの池の水面に肩から突っ込んだ。  痛い…冷たい・・・臭い・・・。   幸い水深は大したことなかったが、足元はぬるっと滑って、起き上がれない。口の中は池の水で青臭い。手探りで水底の石に手をつき上体を起こした穂波は、岸辺の石を掴んでなんとか遊歩道に這い上がった。  最悪…。  びしょびしょの上に靴が片方ない。足は擦過傷がじんじんと痛く、どろっとした藻と血がべったりついている。手で拭おうとしたがよく見えず、髪から顔に水が垂れて来る。きっと顔も酷いことになって居る。穂波は遊歩道にへたり込んだ。  靴、どうしよう。暗くて全然判らない。石の割れ目に挟まっているかも知れない。そう言えば髪を覆っている筈のバンダナも消えている。情けなくて涙がこぼれて来る。今日は本当になんて日だ。鞄は抱えたままで無事だったので、取り敢えず家には入れるけど、靴とバンダナは明日の朝、探しに来よう。  穂波は痛みを堪えて立ち上がった。眩暈がしてよろける。その時、後ろに人影が見えた。 「うぎゃーっ!」  人影は潰れた絶叫を上げると来た方向へ走って逃げた。 え? 私、怖いものと間違われてる? 半月の光に白髪が乱れ、真っ白い顔の目の周囲は赤く、かつ藻や血がついている。たまたまこの日は淡いワンピース姿。幽霊そのものか。  穂波は片足裸足のまま、足を引き摺ってとぼとぼと歩き始める。足が痛い。歩けるのは幸いだが、どこにどんな怪我をしたかは判らない。ただ一つ、判ることと言えば…  やはり、私はみんなの不幸の元だ。先生もお祓いした方がいい。以前、中室美弥が人見教授に言った言葉が、まざまざと穂波の耳に蘇った。
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