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千年後も
夏休み明けから囁かれるようになった「倉橋先生がイケメンの助手を雇った」という噂は、瞬く間に学内に広がった。
「ひぇええ! 先生たち何してるんですか!」
研究室に入った途端、ゼミ生の一人が悲鳴をあげた。
整理整頓された研究室内の四人掛けデスクにはタコ焼き機が置かれ、ほんのり甘い匂いを漂わせている。
「ああ、お疲れさま。夏休み以来だな。君が一番乗りだ」
「はあ、お疲れさまです……。って、研究室内火気厳禁じゃないんですか!?」
「電気式のタコ焼き器だから問題ない。なに、夏休み明け初日のゼミだろ? みんなでベビーカステラを食べながらやろうと思ってな」
「それで俺が焼かされてる」
大江はタコ焼き用のピックを器用に扱い、ホットケーキミックスで作った生地を九十度ずつ丁寧に返している。
「べ、ベビーカステラ……」
「ああ」
大江と祇園祭の宵山で食べる約束をしていたが、紆余曲折あって叶わなかった。それで自分たちで焼こうと思い至ったのだが、何せ一度作ると大量にできる。ゼミ生たちにもお裾分けしようと考えた次第だ。
宵山での事故のことは全国規模のニュースとして取り上げられた。しかし、どこのメディアやSNSでも蓮介と大江の写真が使われることはなかった。
なんでも写真が白飛びしたり、ブレブレだったり、おかしなものが映り込んで肝心の二人が見えなくなっていたりしたらしい。一部の界隈では怪異として話題になっていると聞いた。
「あの……ベビーカステラってなんですか?」
「ああ、東京では知らない人も多いらしいな。関西発祥の粉もので、もとは露天組合が売り出したものだ」
蓮介がそう言うと、ゼミ生は目を丸くした。
「倉橋先生なのに鬼と関係ないんですか? 今から鬼のこじつけ話が始まるとか?」
それを聞いていた大江が噴き出す。
「どうして大江くんが笑うんだ」
「いや、蓮介の鬼好きも有名なもんだ」
「それはそうだ。ずっと好きで来たんだから」
「倉橋先生?」
きょとんとしたままのゼミ生に向き直り、蓮介は「ベビーカステラと鬼は関係あるぞ」と、なんとか准教授の顔を取り戻した。
「今はまだ歴史的な記録はないが、そのうち大学の研究室でベビーカステラを焼いた鬼の史料が発見される予定だ」
「それって大江さんのことですか? 先生たち、夏休みに言ってた冗談、押していくんですね……」
そう零すゼミ生は引き気味だ。
「倉橋先生の助手が鬼って、みんな面白がってすぐ噂になりそう」
「史学科准教授と鬼の助手か。いいんじゃないか? なあ?」
同意を得ようと大江を見れば、大江は吹き出さないように笑いを堪えていた。
「大江くん」
「え?」
『千年後には歴史になってるかもしれないんだぞ?』
蓮介はそう耳打ちし、大江と顔を寄せ合って笑った。
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