カラクリ箱

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カラクリ箱

 大江は約束の時間通りに部屋にやってきた。軽く歓迎し、ルームサービスを並べた窓際のテーブルに案内する。部屋に鬼好きの友人を招くことがあまりなく、もやもやした気持ちを抱えながらもワインまで用意してしまった。 「二人でこんなに食うつもりか?」 「君がどれくらい食べるのかわからなくて。酒は飲めるか?」 「人間用のものなら」  そう言われて一瞬固まった。そして、すぐに酒呑童子の話だと気づく。 「鬼は酔わせられないな。君はジョークを言いそうにないから、いつも気づくのが遅れる」  二人分のグラスにワインを注ぐ。ホテルには白としか伝えなかったが、グラスで揺れる琥珀色が美しく、華やかな香りにも期待が持てた。 「すまない」  そう切り出したのは蓮介だ。 「君に確認しないままでは、せっかくの楽しい食事が台無しになりそうで」  大江がグラスを置く。蓮介は肩を落とし、テーブルに指を組んだ手を置いた。 「帰りがけに庶務課に寄った。学内の清掃員に大江という男はいないそうだ。けど、君が嘘をついているとは思いたくない。何か事情があるなら教えてくれないだろうか」  大江の反応は薄かった。姿勢よくソファーに座ったまま、蓮介の方を見据えている。 「膝を突き合わせて座ってるんだ。せめて君を信じたい気持ちは伝わっているといいんだが……。君と話していると楽しいし、できるならこれからも親しくしたい」  祈る気持ちで大江を見つめた。大江の反応を待っている間、一秒ごとに心音が大きくなっているように思えた。  しばらくして大江は深くソファーに凭れた。そして部屋を見渡し、ドレッサーの棚を指さして白状した。 「あんたに近づいたのは、カラクリ箱を見張るためだ。あれは、首塚大明神の宝物殿から盗まれたものだ」 「宝物殿から盗まれた……?」  サトウの様子から盗品の線もあるとは考えていた。しかし、宝物殿から盗んだ物とは予想外だ。  首塚大明神は地域の住民が管理している小さな神社だ。以前、蓮介も宝物殿へ行ったがカラクリ箱の展示はなかった。  鬼を呼び寄せる箱なんて説明されていたら、蓮介が忘れるはずがない。当時は、大江山から出土したという盃なんかが数点展示されていただけだった。 「最近になって幸徳井家から寄贈されたものだ。跡取りがいなくなり、取り壊しになる家から回収された」  幸徳井家といえば、安倍晴明の師匠・加茂忠行を祖先に持つ、安倍家とは別の陰陽師の一族だ。 「箱を俺に寄越せ」 「寄越せって、大江くんはその、宝物殿の関係者なのか?」 「宝物殿とは関係ない」 「おい、待ってくれ。だったら渡せるわけないだろう。本当に盗品だとしても、まずは依頼人に確認して、警察にも届けないと……」 「依頼してきたのはどんなやつだった?」 「どんなって、普通の、中肉中背の中年男性だ」 「預かるよう言われただけか?」 「いや、中を知りたいから開封してほしいと」 「絶対にやめろ」  強く言い切られて体が強張った。 「絶対に開けるな」 「そんなに強く言わなくても、開けるつもりはない。考古学の先生にスキャンしてもらった結果、中は空だった。無理に開けなくても中を知りたいならそれで十分だ。依頼人にはこの結果を伝えようと思っていた」  前金だと押しつけられた三百万円のこともある。怪しすぎて関わる気になれない。 「けど、君のその焦りようはなんなんだ? 素材もただの木のようだが、どうしてそこまで開けさせたくない?」  蓮介が問い詰めると、大江は深く息を吐いた。 「中は空なわけじゃない。写らないだけだ……。その箱には、歴史から消された陰陽師の魂が封印されている」 「は……?」 「封印された理由は、鬼と通じ不老不死を得ようとしたから。死んだあと怨霊にならないよう封印された。鬼を呼び寄せる箱と言われたのは、そこからだろう。その陰陽師を愛した鬼が箱を探している」  だんだん頭が痛くなってくる。 「君は今、史実を話しているのか、創作を話しているのかどっちだ?」 「事実を話している」 「事実って……」  鬼といい仲になり不老不死を得ようとした陰陽師がいたとする。地方の絵巻物や説話を探せば、古人の作り話のひとつやふたつ見つかるかもしれない。平安時代に男色は珍しくない。異類婚姻譚も多く見られる説話類型だ。  陰陽師という数人しか選任されない官人となれば、歴史から消し去ることは不可能に近い。カラクリ箱が平安後期から鎌倉初期のものなら尚更だ。貴族の日記に記録が残っている可能性は高い。たとえば、安倍晴明は貴族の日記に頻繁に登場する。一条天皇の虫歯を治したという些末な話でもだ。  人の口に戸は立てられない。公式文書から記録を消せても、どこかに存在が残る。  本当に実在した話であれば、だ。  ――理解が追いつかない。  見えないものは存在しない。幼い頃からそう割り切ってきた。鬼が好きで、鬼に抱かれたい性癖があって、夢にまで見たとしても、鬼が実在したとは思えない。  いくら大江に寄り添おうと考えたところで、長年の信じてきたものを覆すことはできない。 「ああ……」  ヒートした頭を冷ますように額に手を当てる。自分の唸り声が頭の中に反響する。  大江がカラクリ箱目当てだったということも、蓮介には受け入れ難かった。  ――親しくなれると思ったんだが……。 「それで、君と箱の関係は?」 「昔から追っている」 「それでは説明になっていない」 「あんたの家にも同じものがあるだろう」 「なんで、それを……」 「カラクリ箱は全部で三つ存在した。だが、開封されていない箱はここにあるのが最後だ。……一目でいい。見たい」  正面に座る大江は真剣そのもので、信じたい気持ちも相まって無下にできない。  蓮介は力の入らない足で備えつけの金庫に行き、カラクリ箱を取り出した。 「どうやって俺がこの箱を持っていると知ったんだ? 君と出会ったのは俺が箱を受け取った翌日だった」 「どこにあっても在り処はわかる」 「だから、答えになっていない」  発信機でもついているのかと疑うが、CTスキャンから返ってきたものだ。ありえない。  テーブルに箱を置くと、大江は目を細めて箱を見つめた。  その目が思いつめたように見えて胸がざわつく。まるで蓮介が大江からカラクリ箱を奪ったような心地だった。  本当に盗まれたものか、取り急ぎ宝物殿のホームページを検索したが、そもそもホームページが存在しない。ローカルすぎるためかネットニュースにも出てこなかった。  今すぐサトウに確認したいが連絡先を知らない。スマートフォンを見てもタイミングよく鳴る気配はない。サトウから会いに来るまで蓮介からは何もできないのだ。 「はあ……」  先ほどから何度目かの溜め息が出る。  大江を見ていたが、どれだけ経っても箱から目を離す様子はない。 「なあ……。俺の物ではない以上、その箱を君に渡すことはできない。ただ、歴史的価値のある物を、学者として然るべき場所に戻したい気持ちは持っている。君も同じだというなら協力は惜しまない」  蓮介がそう言うと、大江は首を振った。 「俺は箱を開けさせたくないだけだ」 「それは……」  魂の入った箱を開けたくないなんて、まるで浦島太郎物語だ。  浦島太郎の開けた玉手箱の中身は、助けた亀の魂だと言われている。御伽草子の浦島太郎物語と違い、奈良時代『丹後国風土記逸文』には、美しい女性に姿を変えた亀――亀比売との恋愛が書かれている。  浦島太郎は故郷に戻ったあと、故郷の変貌ぶりに驚いて「開けるな」と言われていた箱を開けてしまい、老いるのではなく一気に掻き消えてしまう。鬼隠の里と竜宮城の類似点を調べていたときに史料を読んだ。  ――よけいなことを考えている場合か……。  落ち着こうとすると、つい得意なことを考えてしまうのは悪い癖だ。  大江の発言と史料を紐づけたところで意味はない。  目の前のカラクリ箱がどういう物語を持っているのかはわからないが、非現実的なことを推測したところで仕方ない。 「君にとってその箱はなんなんだ?」 「命より重い」  カラクリ箱を見つめたまま言い切る口ぶりは、まるで大切な人の魂が中に入っているようだった。  何が大江をそうさせるのか。  どう考えても危ない人物でしかないのに、まだ大江を信用したいと思っている。 「……君の熱量は信じるよ」  カラクリ箱を金庫に戻すと、背中に大江の視線を感じた。振り返ると目が合う。 「今夜からここに泊まる」 「は?」 「あんたが箱を開けないとは限らない。俺の目的は話したんだ。遠慮するつもりはない」 「君の方は俺を信用しないということか……」  思わず声に出たが、聞き方によっては蓮介のひどい片思いのようだろう。 「構わないよ。ベッドなら余ってる」  テーブルに戻るのも億劫で、ベッドに座って頷いた。 「ただ、シャワーの調子が悪いのは目を瞑ってくれ。悪くないシティーホテルだと思ったんだが、見えないところは古いみたいだ。お湯が突然水になっても不機嫌にならないように」  大江に頼み、食べられるだけ料理を食べてもらった。蓮介は食事どころではなかった。  横目で肉を口にする大江を見ながら、ふいに夢で鬼に抱かれたことを思い出した。  ――なんで今……。  恋愛経験が乏しく、性対象が男でないとは断言できない。しかし、いくら鬼の顔が大江と重なるからといって、信用できない男――ましてや自分を疑っているような男を意識したくはなかった。いつもは心待ちにしている鬼の夢も、今晩ばかりは見ないように願った。  ――鬼好きを見つけたからって、期待した結果がこれだ。友人になれると思ったんだが……。  蓮介は鳴らないスマートフォンを握り、背中からベッドに沈んだ。
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