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本家
それから数日。大江に監視されるホテル生活を続けながら、朔久鷹の帰りを待った。本当はすぐにでも首塚大明神の宝物殿を訪ねたかったが、その前にかつて蓮介が開封したカラクリ箱を見ておきたかった。
「大江くん、抵抗はないのか?」
「抵抗?」
「いや……ないなら歓迎する。俺にとっては日本一、一人で入りたくない場所だ」
年を重ねるにつれ、本家に向かう足が重くなった。カラクリ箱を監視されている状況だとしても、一人より大江といる方が心強い。
蓮介が本家と呼んでいる安倍家の本宅は、平安時代から増改築を続け現在の形に至るが、築地塀に四方を囲まれ、池のある南面に母屋、その東西に対になるよう離れが建つ配置は変わらない。家相を重要視した、土地の吉凶を占うことに長けた陰陽師らしい家だ。
分家に養子に出たあとも、離れにある朔久鷹の部屋によく遊びに来ていたし、敷地の広い本家は蓮介にとってもいい遊び場だった。ただ、両親が死んで一人になってから本家が苦手になり、訪問するときは裏門から入るようになった。
裏から入れば極力本家の人間に会わなくて済む。
今は離れを改修中のようで、業者数名とすれ違った。
「うるさくてごめんね」
「いや、風流を煮詰めたような本家で電動ドリルの音を聞くとは、俺は嫌いじゃないぞ。ここの人間は嫌がりそうだが」
「たった数日なのに父さんはピリピリしてるよ。この前の台風で半地下の部屋の窓が割れたの。今は竹の飾り窓に改修してるところ」
「台風で? 聞いたかもしれないが、実はうちも窓ガラスが割れたんだ。あの台風は強かったな。お前が貼った玄関の札も剥がれてしまった」
渡そうと思いポケットに忍ばせていたくしゃくしゃの霊符を出すと、朔久鷹は口を開けたまま溜め息を吐いた。
「これを剥がしたから窓が割れたに一票。この一週間、よく怪我もなく無事だったね」
「この通りピンピンしてる。お前の気にし過ぎということだ」
「あのね、小さい頃から僕がどれだけ蓮介を守ってあげたか――」
「朔久鷹様、お茶をお持ちしました」
家政婦が湯呑を置いても、朔久鷹は礼も言わず話を続ける。
大江は家政婦に目を向けていたが、朔久鷹が「式神だ」と言うので訝しげな顔をしていた。いくら陰陽師の家に来たとはいえ、誰もが冗談を受け入れられるわけではない。大江にはそっと、家政婦で蓮介の家にも通いで来てくれる顔なじみだと補足しておいた。
出張から帰ってきたばかりらしく、朔久鷹はまだ訪問着のままだった。
現代の陰陽師に服装の規定はないが、和服だと客に恰好がつくらしい。若い男性にしては個性的な黒髪の前下がりボブヘアも、華奢で中世的な容姿と揃えば様になる。
「で、そちらの彼は?」
「……友人だ。このあと京都まで付き合ってくれる予定で、待たせるのも悪いんで入ってもらった」
朔久鷹の値踏みするような視線にも怯まず、大江は礼儀程度に頭を下げた。
「ふーん……」
「それで、頼んでいたものはあったか?」
「そう急かさないでよ。これでしょ?」
卓袱台に置かれたのは、記憶の中と同じカラクリ箱だ。今、蓮介が持っているものと違い、開封されて木枠の一面が外れている。
「しばらく借りられるか?」
「失くさないでよ? あと、蓮介が預かってる方の箱、見せて」
カラクリ箱を二つ並べると、寸分違わず作られたものだとわかる。保管方法の差か、蓮介の預かった箱の方がやや退色して見えるが、二つを並べて比べるからそう感じるだけであって、片方の蓋が開いていなければ見分けはつかないだろう。
一通り観察し終えると、朔久鷹は着物の袖に手を入れ、霊符を一枚取り出した。
封じられたカラクリ箱にべったり呪符が貼られる。
「これで移動中は大丈夫」
「お前は本当に札が好きだなぁ」
「好きって、あのねぇ……」
毎度のことで蓮介にとっては見慣れた光景だったが、朔久鷹が素っ頓狂な声をあげたことで我に返った。
静かにしていた大江が貼ったばかりの霊符を剥がしたのだ。
「おかしなものを貼るな。こいつには俺がついてるから問題ない」
これにはイラっとしたのか、朔久鷹はテーブルに乗り出して大江を睨んでいる。まずい。しかし、霊符がおかしなものであることは間違いない。
「では朔久鷹、急ぐので俺たちはこれで」
「えっ、父さんも見たがってたけど、待たないの?」
「今日は彼もいる。機会があればと伝えておいてくれ」
「ちょっと蓮介!」
「すまない。京都土産は任せておけ」
「京都土産って、そんなの何回も行ってるのにいらないんだけど!」
叔父に会うのは何より気が重い。本家に来たくない理由の第一位は叔父だ。
蓮介は大江の背中を押すように家を後にした。
部外者の大江についてきてもらったのは正解だった。早々に帰る口実ができた。式神といい、霊符といい、大江には怪しまれたかもしれないが。
「あんた、腹でも減ってたのか? 別に急いでなかっただろ」
「腹……?」
腹か。思わず気の抜けた笑みが零れた。
「中まで付き合わせたんだ。電車に乗ったら話そう」
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