本家

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 盆シーズンの昼時ということもあり、新幹線のホームは芋の子を洗うような大混雑だった。新大阪行きののぞみ新幹線は一時間に十二本も運行しているが、二人席を予約するにはグリーン車しか空いていなかった。同じ車両には、サラリーマンや子ども連れの家族、蓮介たちのように名前のわからない組み合わせが混在していた。  窓際に座る大江の前は、ツインテールの小さな女の子だった。シートに立っているのか、ヘッドレストに顎を乗せ、前からじっと大江を見ている。大江は大江で目を逸らしづらいようで、ぎこちなく見つめ返している。  代わろうかと聞く前にスマートフォンが震え、蓮介は慌ててデッキに急いだ。出る前に振動が収まってくれないかと、祈るように両手に挟んだが無意味だった。 「叔父さん?」 『お前、少し待つくらいできなかったのか。まったく朔久鷹といい気が利かない』  開口一言目から小言とはあいかわらずだ。  叔父と話すのが嫌で逃げたとは言えず、「そんなに俺に会いたかったんですか」と笑ってごまかす。 『お前ではなく箱に、だ』 「でしょうね」  叔父は鬼退治こそ陰陽師にとって最高の名誉としている。かつて鬼を退治したこともあるらしいが、宴席での武勇伝には嘘が混じっていると思う。それに、鬼に食われたい蓮介とは根っからそりが合わない。 『私が見ればわかることもあったかもしれん。お前は素質がないから仕方ないとはいえ、朔久鷹の低能ぶりには目に余る』 「低能って、霊符が人気で忙しそうですよ。俺にはわかりませんけど」 『そんなものにしか力を使えんことを低能と言ってるんだ』  祓えを得意とする叔父と違い、朔久鷹は占いや霊符を得意としている。仕事のスタイルがここまで叔父と真逆では、朔久鷹の苦労が目に浮かぶようだった。 『とにかく、こっちに戻ったらわかったな?』 「依頼人の許可が出たら、そうしましょう」  とは言え、サトウの連絡先を知らないのだから、許可を取れるわけもないのだが。 『なんだその言い方は!』 「え? すみません、もう一度、トンネルで電波が、おかしいな、あれ――」  蓮介はスマートフォンを耳から離し、神奈川ののどかな田園風景を横目に画面をスワイプした。 「はあ……」  しばらく画面を見つめ、再び叔父からの着信がないことに心底ホッとした。喉にたまった気持ち悪さをすぐにでも冷たいもので流したい。心を消耗しながら愛想のいい声を出すにも限界がある。  ちょうどすれ違った車内販売でアイスクリームを買えたのは有り難かった。  蓮介が戻ったときには、大江に興味津々だった女の子は自分の席でりんごジュースを飲んでいた。  土産のアイスを渡すと、大江が目を見張った。 「……車酔いか?」 「気分が悪いことには違いないが、そんなに酷い顔をしてるか?」  まだカチカチのバニラアイスに力ずくでスプーンを刺し、やっとの思いで欠けらを口に運ぶ。  冷たく甘い。少しずつ肩の力が抜けていく。いつもなら溶けた部分から少しずつ削いで味わうところを、必死になって口に運んだ。  無言で食べ進めていたところで、隣から視線を感じてハッとした。 「すまない、黙々と……」 「いや、甘味の効果はすごいな」 「え、ああ……」  いつもなら流してしまうような会話だが、話のきっかけにしたくて、唇を嚙むように舐めた。 「……昔から本家が苦手でね。従兄弟はいいやつなんだが、霊能力者の集団が苦手なんだ。俺には特別な能力はないし、視えないものが存在していると言われても、わからないし受け入れられない」  食べ終えたカップをテーブルに置いた。 「それでも、幼い頃はもう少し許容できていたんだ。自分が視えないからといって存在は否定しきれないと。七歳までは神のうちという言葉は知っているか? 日本古来の考え方で、七歳未満の子どもは神に属する存在で、我が儘や非礼があっても責任を問われない。俺も六歳までは陰陽師の素質がないことを許されていた。それが七歳になった途端、一族の子として諦められ、本家を追い出された。おまけに身の回りでおかしな出来事が続き、俺はそのたびに半地下の部屋に閉じ込められた――」  最初はカラクリ箱を開けてしまったときだ。  その日、両親が揃って出張に行くことになり、蓮介は本家で留守番をすることになった。ちょうど蔵の換気をしていたのか、いつも施錠されている蔵の扉が開いていて、幼い蓮介と朔久鷹は興味を引かれ、薄暗い蔵を探検することにした。  そこで見つけたのが、彼岸花が描かれたカラクリ箱だった。埃をかぶり、不用品同然に置かれていたと思う。蓮介は汚れた箱にどうしようもなく引きつけられた。 「幼い俺はカラクリ箱をポケットに入れて部屋に持ち帰った。どうして開いたのか覚えていないが、寝る前、朔久鷹が部屋の電気を消したあとだった。仕掛けを解いて箱を開けた」  箱の中は覚えていない。朔久鷹は何も入っていなかったと言っていたから、それで記憶にないのかもしれない。  ただ、鬼の夢を見たことは覚えている。  ひどく嬉しかったからだ。 「朝起きてから大変だった。朔久鷹は百鬼夜行を見たと泣いてるし、叔父たちはカンカンで。俺が妖を呼び寄せると言って部屋に閉じ込められた」  布団一式が敷かれた六畳の和室で、床の間には安倍晴明の掛け軸があった。部屋の照明は絞られ、四隅では香が焚きしめられていた。固く閉じられた襖の向こうからは止むことなく叔父たちの術が聞こえていた。 「何日隔離されていたかは覚えていない。唯一の救いは天井付近の窓から入ってくる外の光だった。あの光がなければ、気が狂っていたかもしれない……。そのあと、出張から帰ってきた両親に助け出されたんだが、車で家に帰る途中、両親だけが交通事故に遭った」  三人で自宅に戻っている最中だった。両親だけが自損事故で炎上した車中で死亡した。蓮介も同じ車に乗っていたはずだったが、一人、別の場所でぐったりしているところを発見された。  親族からは、まるで神隠しに遭ったようだと気味悪がられた。 「俺は退院するなりまた半地下に逆戻りで、部屋から出る頃には両親の葬儀もすべて終わっていた。叔父たち曰く、両親は俺に寄ってきた妖のせいで事故に遭ったらしい。現場に強い霊障が残っていたと」  叔父の冷たい目は、今も脳裏に焼き付いている。 「そんな非現実的なことを言われて信じられるか? 幽閉されながら、もしそれが本当なら、鬼でも妖でもいい、いっそ俺を食い殺してくれと思った。でもそんな願い、叶うわけない」  存在しないのだから――。  話しすぎたと隣を見れば、大江が顔をしかめていた。その表情は、聞きたくない話を聞いたというより、蓮介に同情してくれているようだった。  大江は存外優しい男だと思う。感情が表情に出る。 「もちろん、今では助かってラッキーだったと思ってるよ。ただ、そんなことがあって俺は本家が苦手になり、視えないものは存在しないと割り切るようになった」  そして、鬼にのめり込んだ。鬼の夢を見ること。陰陽師の素質がないこと。それらにはポジティブ・ネガティブの両面がある。 「陰陽師は霊感商法だと思ってるよ。親族の手前、口が裂けても言わないが」  蓮介は小さく笑って見せた。 「そういうわけだ。『鬼を呼び寄せる箱』も『陰陽師の魂が封印されている箱』も、俺には信じられない。もちろん、歴史的価値のあるものを盗品と言われて見過ごしはしないが、それは研究者としてだ」  そう言い切ると大江に手を掴まれた。意図がわからず呆気にとられたが、「少し寝ろ」と強く握られては、引っ込めることもできなかった。 「起きていると余計なことを考える。そんな顔をしている」 「いや、しかし眠くは……」 「温もりがあれば眠りやすいだろ。俺は他人より体温が高い」  大江は手を繋いでいて気にならないのか――。  戸惑いを隠せないが、大江の言う通り、大江の体温は心地よく、次第に眠気に誘われた。 「……京都に着く前に起こしてくれ」 「ああ」  大江の柔らかく低い声が心地いい。  大江は片手でアイスを食べているのか、少しだけ肩が揺れる。それも心地よかった。  ――箱のことが解決しても、大江くんは友人になってくれないんだろうか……。  カラクリ箱が目当てなら、蓮介を気遣ってくれる必要はない。優しくされただけ離れがたくなる。  ――そうだ。離れがたくなる……。  うつらうつらしながら、蓮介は思うよりずっと早く夢の中に落ちていた。
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